華道家 新保逍滄

2015年12月20日

21世紀的いけ花考(42)

 ポストモダニズムの芸術を外から眺めると、どうも美というより意味を追求しているように見えるます。それは素人の意見かもしれません。著名な学者がああ言った、こう言ったという話も大切ですが、理論家というより実作者の私はできるだけ自分の言葉で考えてみましょう。  まず、ポストモダニズムが追求する意味とは、人生の意味とか、言語の意味とか、哲学や文学で問題にする意味の探求とはちょっと違うようなのです。もっと狭い。確かに言えることは、どうも芸術史におけるモダニズムについてあれこれコメントするという傾向が強い。お...

2015年12月18日

Wa: Ikebana Exhibition in Melbourne 2015

12月に他流との合同展に参加しました。6分のスライドショーをお楽しみ下さい。 私の生徒はとても喜んでいました。 展覧会に出展すると、生徒はよく自分のベストを出し切りますし、 もっと続けていこうという動機付けにもなります。 またこうした機会を作ってあげたいものです。 ...

2015年11月12日

21世紀的いけ花考(41)

 前回、現代芸術の命は「意味」だという提言をしました。批判覚悟の上の私論です。とても大雑把ですが、現代芸術には20世紀前半に流行った①「モダニズム調」と後半現れた②「ポストモダニズム調」という二つの傾向があります(芸術史でモダニズムと言う場合は19世紀後半から20世紀初期頃までの芸術運動のこと。ここでは時代区分ではなく、傾向の意)。意味は双方にとって必須な要素です。しかし、①にはまだ美の追求という要素が多分に含まれているようです。②では意味の追求が主と私は理解しています。  ①と②の関係ですが、①が...

2015年10月6日

21世紀的いけ花考(40)

現代芸術の基本をおさらいしておきましょう。現代芸術の知識ゼロだった私が少し勉強して驚いたことを紹介しましょう。かつての私と同じような立場の方にとってお役に立てれば幸いです。まず、現代芸術とは特殊な芸術です。芸術一般ではありません。それは「現代に関わる」芸術だということ。現代社会、文化に関連のある芸術。音楽にもクラシックと現代音楽があるようなもの。ですから例えば、いけ花で古典的な花を再現した場合、古典として貴重ですが、通常、現代芸術とは言いがたいのです。これは当たり前のようですが、私にとっては重要なポイント...

2015年10月5日

アーチボールド賞展インスタレーション(1)

Week 1 (4 October 2015): Shoso Shimbo's installation for Archibald Prize Exhibition at Art Gallery of Ballarat. His work will evolve in next 3 weeks. http://archibaldballarat.com.au まったくどこから手をつけていいのか分からない状態で プロジェクト開始。 「人の肖像」というトピックが大きすぎるのです。 いけ花でできる領...

2015年9月5日

21世紀的いけ花考(39)

 いけ花と現代芸術の関わりを考えていきます。当面、焦点は現代芸術。しかし、これが分かりにくい。私は現代芸術と縁のない世界にいましたが、「いけ花でこれくらいやれるなら」と美術修士に入学許可され、数年前修了。芸術も私の専門分野になりましたが、分かりにくい。修士をやっている者が分からない、分からないと繰り返しているわけにもいきませんので、勉強しました。  まず、分かったことは芸術の世界にいる人には芸術の分かりにくさが分からないということ。この分野の先輩に何から読んだらいいのかと尋ねると「ベンジャミン、ラカン、デリダくらいは読んでおこうね」。今だからこそ断言しますが、これは最低のアドバイス。彼らには部外者の感じている分かりにくさが理解出来ないのです。こういう人に芸術を語らせても、つまらないですね。オタクの独りよがりな話を聞いているようなもの。  次に分かったことは現代芸術を理解する鍵はその歴史にあるということ。20世紀の芸術史を抑えておくことです。前回紹介したWhy...

2015年いけ花ギャラリー賞

2015年いけ花ギャラリー賞の発表までたどり着けました。 今回で4年目でしょうか。 http://ikebanaaustralia.blogspot.com.au/2015/09/ikebana-gallery-award-2015_2.html いくつか気付いたことを書いておこうと思います。 次回のためにも。 1、日本人の参加が少ない。日本語の案内も出していますが、英語の壁か、超流派という主旨がよく理解されていないのでしょう。いくつかの流派でも内部でのコンクールはあるようです。そちらのほうが都合がい...

2015年8月25日

一日一華:現代芸術における花

春近し。 我が庭のぼけ、馬酔木を他の花材とともに 盛り込んで。 現代芸術における花と いけ花における花との比較、 ということで論文を用意しているところです。 時間はあまりないのですが、課題が次々出てきます。 現代芸術における花という場合、 題材としての花と 材料としての花と 区別して考えなければいけません。 題材としては長い歴史があります。 17世紀のオランダ静物画が特徴的で、 現代芸術にも影響大。 材料としては20世紀モダンアートの時代になってから。 ...

2015年8月23日

一日一華:RMIT大学にて

RMIT 大学での公開講座、「いけ花から現代芸術へ」にて。 この講座はとても楽しくやっています。 条件はいろいろありますが、やってみたかったことが ぎっしり詰まっている感じなのです。 通常のいけ花クラスでは、流派のテキストに従って指導していますが、 この大学での講座はすべて私のカリキュラム。 自由にやっていいよということなのです。 流派のコースでは充分できないこと、 芸術学部のコースでは充分でないこと、 それらをあれこれ考え、 芸術の基礎概念から、 バウハウスの教授法まで 様々な資料を検討しつつ、講座を作っています。 そして、参加者が楽しいものでなければなりません。 新しいいけ花講座のあり方が 示せないか、とまで考えています。 たぶん、この講座が続けば、 理論的にも充実した、新しいテキストが書けるくらいの 内容になりそうです。 The...

2015年8月19日

一日一華:線の対比、そしてメールのマナー

自然の抽象的な線、スパニッシュアイリスで。 人口の有機的な線、錆びたワイヤで。 これほど強いコントラストには 大胆なデザインで。 さて、メールのマナーについて。 おそらく一般企業にお勤めの方にはいろいろマニュアルがあって きちんと修得されているのでしょう。 私はあまり詳しくありません。 ただ、応用言語学を学んだ者として、 最近、「ちょっと、どうかな?」と感じることがありました。 相手は20代の大学生。 若い方とあまりメールのやり取りの経験がないので、 若い方の間では普通のことなのか、 この学生が特殊なの...

2015年8月18日

2015年8月17日

一日一華:春を待つ

春のホームパーティー、 テーブルアレンジメントを依頼されました。 ベネチアガラスの花器を用意され、 チューリップをたっぷりというリクエスト。 浅い花器で、水がほとんど入らない、 オアシスも剣山も使えません。 チューリップを寝かせ、ツルで花器に縛りつけています。 私のアシスタントも苦労して仕上げてくれました。 ありがと...

2015年8月13日

一日一華:カーネギー「人を動かす」

歳のせいでしょうね。 以前ほど寛容性がなくなってきたような。 つまらないことにこだわってみたり。 特に気になる他人の欠点は、 かつて自分にもそうした短所があり、なんとか克服したようなもの。 かつての愚かな自分を見ているようで、何ともおさまらない。 最近、あるコンクールの審査員を依頼されました。 一日ボランティアで働くことになりますが、 「私でよければ引き受けましょう」と返事。 しかし、その後のやりとりが不愉快で辞退してしまいました。 「名前これでいいんですよね?」(違うよ) 「博士号持ってるんですか?...

2015年8月12日

一日一華:冬の庭から

メルボルンの8月は冬本番。 しかし、我が家の庭の一番いい時期かもしれない。 梅が終わって、桜のつぼみが膨らんでいます。 ぼけ、こぶし、椿、馬酔木、 皆、きれいに咲いてくれています。 この作品にも庭の柊南天を使っています。...

2015年8月11日

一日一華:渡辺謙の執念

バララット美術館からの制作依頼。 待望の仕事です。 アーチボールド賞展。 豪州で最も人気の展覧会のひとつ。 数十万人の動員があります。 その展覧会の広告塔を制作してくれ、 肖像画展にちなんで巨大な人物の頭を制作してくれ、 というリクエスト。 華道家は彫像などやらないでしょう。 守備範囲が違います、と断ってもよかったのです。 やれるかどうか、分からないのですから。 しかし、断っても、 また、承諾して、失敗しても 新参の彫刻家としての私のキャリアは終わりです。 あとがありません。 著名アーティストとは立場...

2015年8月10日

一日一華:スピアグラス

メルボルンの花菱レストランにて。 レストランでの花材選びはなかなか大変です。 花の香りが強すぎてもいけない、 花粉症を引き起こすようなものでもいけない、 結局、店主さんが注意深く用意して下さった花材で活けます。 なかなか楽しい仕事です。 さて、私のいけ花の生徒には、 オーストラリアだけあって 様々な文化の出身者がいます。 フィリピン、ベトナム、中国、英国、ロシア、ポーランド、NZ、そして、日本ほか。 先日、ふと中国人が増えてきたことに気付きました。 あるクラスでは半分ほどになっていました。 飲茶の話...

2015年8月9日

一日一華:勅使河原宏の新境地

いけ花の先輩の方々、著名な先生方の作品を拝見していると、 ある時点で独自の境地を開かれるのだな、とよく感じます。 その点では多くの方が共通しています。 しかし、作品は二つのタイプに分かれるように思います。 ひとつは、解釈可能な作品。独特の作品でありながら、多くは国際的な現代芸術の文脈で解釈可能な作品。 もうひとつは、解釈不可能な作品。作者の圧力のこもった作品であることは理解出来ますが、なんら意味を生成しない作品。独りよがりな作品。場合によってはそのような作品を新しい境地を開いたなどとありがたがっているのかもしれませんが、私には勉強不足かつ徒労に思えます。もちろん、現在の私自身が勉強不足ということかもしれません。いけ花の奥深さがまだまだ分かっていない、それは確かでしょう。 90年代、勅使河原宏は流麗な割竹のインスタレーションを多く作っていました。ある意味で分かり易い作品群でした。 それが、最晩年、竹の格子を重ねたような作品を作り始めました。 独自の境地を開いたということだったかもしれません。 多くの方々はうまく理解できなかったようです。 しかし、西洋の現代芸術のコンテクストを参照すると、 作品の解釈が可能なのです。 私の初めての宏論はそういう趣旨でした。 (2013...

一日一華:ジャスミン

スタージャスミンとか チャイニーズジャスミンとかいう常緑のツル。 我が家の庭のへいを緑で覆う計画で育てています。 伸びすぎたものは切り取っていけ花の花材。 手前のツルの曲線と花器の間、が写真ではうまく出ていない。 写真は難し...

2015年8月8日

2015年8月6日

一日一華:フリージア

メルボルンは真冬。 過去数十年で最も寒い冬だとか。 庭の花が咲いてきました。 ぼけ、こぶし、沈丁花、アセビ、 そして、去年買ったばかりの加茂本阿弥。 すべて白。 白い花、 花の白さには特別なものがあります。 写真は逆光でフリージアの白を強調してみました...

2015年8月4日

21世紀的いけ花考(38)

 「いけ花は芸術か?」という話です。まずは、近現代の芸術、いけ花、それぞれの歴史をざっと抑えておかないとまとまった話になりません。要は20世紀における芸術の流れと、いけ花の流れ、この両者はどこでどのように交錯したのか?いけ花のほうは比較的分かり易い。しかし、芸術のほうは波乱の1世紀でした。  数年前、ロンドンのTate美術館でアーティスト・タイムラインという20世紀芸術史の簡略な年表を見つけ、「これが欲しかったんだ」と喜んで買ったものです。一枚の紙に後期印象派からヤング・ブリティシュ・アーティスツあたりまでの主要な芸術運動が主要作家の名前とともに記してあります。しかし、実はこんなものをにらんでいてもさっぱり核心的な部分が分かりません。様々な運動が次々に現れては消えていく。まるでファッションの流行のようです。短いスカートが流行ったり、黒色が流行ったり。もっと深い、芸術の変動の要因のようなものがあるはずなのです。   書いてあることで納得するというのは高校生まで。大学以降は自分の腹で納得しない限り、知的探求を止めてはいけません。自分で納得したことだけが表現する意味があるのだと思います。20世紀芸術の混沌、これは何だ?とあれこれ考えていきました。現代芸術に関する日本語の本も読んでみましたが、なんとも分かりにくい。大学院で訓練を受けた私でも分からない。頭の悪さを隠すためにこんな大業な文章を書いているのだ、というのが私の結論。  おそらく私と同じような意見が多かったのでしょう。最近、分かり易い現代芸術の入門書が多数出版されています。私が特に気に入ったのはオックスフォードから出た...

2015年7月28日

一日一華:教室での講話

私の生徒に他の州から飛行機で通ってくる生徒がいます。オーストラリアですから多分500キロくらいの旅程ではないかと思います。なかなかご苦労様です。 オンラインでやってもいいよと言っているのですが、他の生徒の作品を見たり、私のコメントを聞いたりしたいからということで、月に三回くらいきちんと出席しています。 ありがたいことです。 教室では気楽な話をすることが多いです。特に準備もせず、思いついたことを話していますが、生徒は外国人ですから、日本人なら感心もしないようなことでも興味深く聞いてもらえるわけです。 今日はアルマーニの色彩配色について話しました。 先週は織部の花器を持ってきている生徒がいたので、古田織部について私の知っていることを話しました。 勅使河原宏に「古田織部」という著作があります。 宏のいけ花芸術を知るためには最高の本だと思います。 私の宏論でも多いに参考にしました。 国際いけ花学会の学術誌、いけ花文化研究の創刊号に載せた論文です。 2013...

2015年7月23日

2015年7月20日

21世紀的いけ花考(37)

 前回でいけ花とは何かという話の結論に達したので、次に「いけ花とは芸術だろうか」という話に移ります。となると、芸術とは何かということをはっきりさせないといけませんね。これは難しい。専門家でもなかなかスパッとは答えられません。機会があったら尋ねてごらんなさい。ややこしい話につきあわせられます。いろいろな定義があるからです。正確に答えようとするとそうなってしまいます。そんな話をここでしても退屈。いけ花との関連で重要な点を門外漢がさらりとまとめておこうと思います。   まず、結論から。いけ花は芸術か?「芸術的要素...

2015年7月19日

2015年いけ花ギャラリー賞準決勝

恒例のいけ花ギャラリー賞、本年度の準決勝進出16作品の選出を終えました。 是非、ブログ、あるいはFacebookをご覧下さい。 Facebookでは、2015年7月末日まで人気投票も受け付けています。 http://bit.ly/1Kd5KQe https://www.facebook.com/IkebanaGallery 私達選考委員の作業はこの準決勝作品の選出までと決めています。 これから決勝の5点、最優秀作1点が決まりますが、 これらの選出はボランティアの審査員の方々にお願いして...

2015年7月2日

一日一華:花菱レストランにて

ただ今、寝ても覚めても考えているのは バララット美術館からの制作依頼。 アーチボールド賞という オーストラリアでトップクラスの肖像画展の開催に 合わせて、大作を制作してくれということなのですが、 大変な挑戦になります。 制作は2015年10月、 約4週間をかけていいということです。 何が大変かと言えば、 ・・・それはまたおいおいお話ししましょう。 ...

2015年6月28日

一日一華:庭の草花で

冬ですので、それほどたくさん花はありませんが、 庭からとった花材で小品を作ってみました。 まもなく生徒向けのいけ花コンクールの応募締切り。 それから私達選考委員の作品選抜作業がなかなか大変です。 http://ikebanaaustralia.blogspot.com.au https://www.facebook.com/IkebanaGallery もう少し応募が増えると もっと面白いのに、と思います。 いけ花にコンクールを持ち込むということに疑問もあるでしょう。 国際的な生徒作品のコンクールと...

2015年6月25日

一日一華:花菱レストランにて、そしてピロル菌について

花菱レストランでの仕事は 用意していただいた花材で生けます。 何が出てくるか分からない、 時間制限がある、という難しさ。 しかし、材料調達の時間が節約できるのは有り難いです。 私が忙しい時は、私の上級の生徒にお願いします。 皆、難しかった、でも面白かった、と言ってくれます。 ところで、最近、日本で人間ドックを受けました。 この日本のシステムは素晴らしい。 ビジネス化していて、サイト上で、比較、予約も簡単。 結果をオーストラリア人の医師に見てもらいました。 彼のコメントが面白かったので、紹介します。 ...

2015年6月18日

一日一華:ハラン再び

ハランで再び。 この作品の花材も生徒が置いていったもの。 余ったから、使えなかったから、 作品作って見せて、ということなのです。 宿題をもらったので、ちょっと遊んでみました。 私の生徒の作品を載せているサイトを 見ていただくとお分かりかと思いますが、 日本人の生徒が増えてきました。 http://ikebanaaustralia.blogspot.com.au https://www.facebook.com/IkebanaGallery どうして長い間、私に日本人の...

2015年6月15日

一日一華:ハラン

この花材、どう使っていいか分からないから置いていきます、 何か作ってみせて、 なんていうことで、生徒から宿題をもらうことがあります。 日本ではそんなことはあまりないのでしょうが。 海外ですから、なんでもあります。 でも、それも挑戦。 そこで、ハランとバーゲンディーの百合の取り合わせです。 日本でありえない、というか 華道家にとって、多分あまりないのは、 芸術作品制作の依頼でしょう。 華道家が何をやる人間か、おおよそ世間は分かっています。 しかし、ここはメルボルン。 華道家が何ができて、何ができないか、...

2015年6月10日

一日一華:白樺の枝

我が家の白樺の枝で遊んでみました。 おそらくうまく書けそうもないことを書いてみましょうか。 メルボルンに移り住んで20年以上経ちました。 間もなく30年になるでしょう。 メルボルンでいけ花を習った先生は2人。 現在、草月流ビクトリア支部長のエリザベス・アンジェル、 そして、カーリン・パターソン。 両先生にお世話になりました。 特にカーリンの教室へは長く通いました。 先日、カーリンに用があって電話しました。 「ちょっと待ってくれ」と男性。 少し様子がおかしいのです。 「番号違いでしょうか」と私。 電話...

2015年6月6日

2015年6月4日

21世紀的いけ花考(36)

 生花という言葉を巡ってあれこれ考えてきました。ここまでの話を簡単にまとめておきましょう。ここで言う生花とは、室町時代、主流の立花に対抗して出てきたひとつのスタイルの花飾りのこと。生花、立花、自由花など様々なスタイルをまとめていけばなと言う時には「いけ花」と表記して区別することにします。  生花とは花に新しい生命を与えて蘇らせるという意味だろうということでした。つまり、生花に使う切花は生命を失った存在。それが生けるという行為を通過して再び生命を獲得するということ。生けるとはまるで宗教的な再生の儀式のようです。そのように考えてみるとまた新しい仮説が出てきます。  前回は東洋哲学の見地からこの再生を無本質的な花としての再生だと説明したわけです。しかし、文化人類学的の基礎概念を当てはめてみることもできそうです。死→儀礼→再生。つまり通過儀礼ですね。結婚式、葬儀などと同じこと。これらの儀礼には共通する要素がたくさんあります。例えば結婚式で着る白無垢。これは死装束と同じ意味。人が生まれれば名前を与え、七五三でお参りする。それは故人に戒名を与え、年忌法要するのと対応しています。  そうすると材料の切花といけ花になった花とは、全く違ったものだということが分かってきます。花を生けるということは葬儀を執り行うようなものなのです。そう言うと「暗ーい」なんてことになりそうですね。婚礼を執り行うようなものだと言ってもいいのですが、最近の婚礼はロマンチックなイメージが強く、旧来の自己が死に、新しく生誕するための儀礼という本来の意味がぼんやりしていますので、どうでしょうか。  ともかく、いけ花のおおよその意味が分かっていただければ結構。次に、いけ花は芸術だろうか、ということを考えていきましょう。  さて、今月紹介するのはメルボルンフラワーショーに出展したハート。単純な作品と見えるでしょう。私自身、企画段階で今年は楽だぞと思っていたのです。しかし、制作は大変。3日間でぎりぎり。今年は私の生徒も多数出展してくれました。作品集をYou...

2015年5月23日

一日一華:玄関に

クラスの残り物花材をリサイクル。 インドの真鍮の花器に。 残り物を使うということは 自分で花材を選ばない あるものでなんとか工夫する となると 思いがけない取り合わせになることが多い 面白い勉強になります。 大工さんが玄関に生け花を飾る床の間(アルコーブ)を作ってくれました。 なかなかよくできたので 大いにほめてあげたら、 ここにも作れるよ、ここにも、と、 廊下にも、浴室にも作ってくれました。 簡単に作れるものなのだろう...

2015年5月15日

2015年5月12日

21世紀的いけ花考 (35)

  生花とは、一度は死んだ切り花に新たな生命を与えることであろう、という話でした。まあ、確かに「生き生きした感じ」を持つことになるでしょうが、それだけでは少々浅薄。さらに生命とは何か、と考えて行くと伝統的な日本思想の流れの中では、実相とか神とかいうものとつながってくるということでした。ここは東洋思想の核です。  おそらくこの核を一番分かり易く説明してくれているのは井筒俊彦の名著「意識と本質」(岩波書店)でしょう。しかも、例に花を用いています。南泉普願が牡丹を見て、「時の人、この一株の花を見ること夢の...

2015年5月11日

2015年5月2日

新連載:花を愛する10の理由

オーストラリアの人気雑誌、Living Nowにいけ花についての連載を始めました。花を愛する10の理由。私の作品も多数紹介されていますので、是非ご参照下さい。オンライン版で無料購読できます。 http://bit.ly/1bNhHg0 Shoso's new article on Ikebana, 10 Reasons to Love Flowers was published in Living Now magazine. Living Now, Issue 182, pp.10-11....

2015年5月1日

21世紀的いけ花考(34) 

室町時代、「立花と違い、花を生かすから生花というのだよ」という主張がなされたようなのです。それが多くの方にすぐに了解されたようなのですね。ということは当時、「生かす=蘇らせる」という言葉の意味が了解されていたということ。花を蘇らせるとは、どういう意味だったのでしょう?  おそらくそれを調べる一番の方法は、当時影響のあった文献を求め、「生く」あるいは「生」という言葉がどのように使われていたかを拾いだし、その意味を定めていくことでしょう。私にもそんな余裕があれば、取り組みたいところ。  しかし、私は仮説を提案するだけ。奇説ならなお結構。実証の部分は専門家にお任せ、というスタンス。かといって、私の仮説は全く根拠のない空想でもないのです。ここで参考にするのは、正岡子規の写生について小林秀雄が語った次の文章。「写生とはSketchという意味ではない、生を写す、神を伝えるという意味だ。この言葉の伝統をだんだん辿って行くと、宋の画論につき当たる。つまり禅の観法につき当たるのであります」(「私の人生観」)。やれやれ大変なことになってきました。さらに、写生とは実相観入だとか、観入とは空海の目撃だとか、話が拡大していくのです。ともかく生とはある観点からは実相であり、また神であるということ。その生を写せば歌になり、その生を切花に与えれば生花になるということです。歌論も華道論も同じ穴を掘っているわけです。この穴こそ東洋思想の核。  私には面白いこうした議論も、最近の学会では流行らないようですね。人気なのは軽ーい題材。アニメの研究、オネエ言葉の研究、オタクの研究、そういうカタカナのトピックが多い。もちろん題材が軽くても、研究方法がしっかりしていればいいわけです。博士論文などそのほうがいい。ともかく、人気のない難解な題材をこの場で、長々と引きずってはいけないでしょうね。次回は軽ーくいくことにしましょうか。  今月紹介するのはテーブルアレンジメント。西洋花的な丸いデザインで。花材には豪州のネイティブをというリクエストでしたので、バンクシアをにょきにょき見せています。枝で作った土手からソリダゴがこぼれて、その下には緑の実やジャスミンをびっしり。ジャスミンのこうした使い方はいけ花の文法にはないものでしょう。  なお、Living...

2015年4月25日

いけ花文化研究第2号発刊

国際いけ花学会の学術誌「いけ花文化研究」第2号が発刊されました。 目次はこちら。 学会誌の購入方法などは以下をご参照下さい。 http://www.ikebana-isis.org/2015/04/blog-post_41.html 私の寄稿文(英文)の要旨は以下の通りです。 いけ花に関する英文文献  新保逍滄 モナシュ大学日本研究センター  本稿では明治期から現在までに出版されたいけ花に関する主要な英語文献を紹介した。該当文献を暫定的に主要文献、指導書、作品集、学術論文...

2015年4月24日

出版記事のお知らせ

私の論説「いけ花から現代芸術へ」がIAFORの学術誌、日本文化と芸術特集号に選出されました。ご参照下さい。 http://iafor.org/the-iafor-academic-review-volume-1-issue-2/ 国際いけ花学会、2015年度春期例会出の発表は以上の論文に基づいたものでした。 http://www.ikebana-isis.org/2015/04/blog-post.ht...

2015年4月22日

メルボルン・フラワーショー

2015年度のメルボルン国際フラワーショーへの出展作を紹介します。 私と私の生徒の作品を以下のYouTubeでご覧下さい。約2分です。 音楽は別の投稿で紹介したマディーの作品です。 多数の方々にご覧いただければ幸いです。 HD: https://youtu.be/Z31-LwhP1DI SD: https://youtu.be/cDBHBl1vDzs http://www.shoso.com.au https://www.facebook.com/ikebanaaustra...

2015年3月18日

一日一華:イースターデイジー

イースターデイジーをたっぷりと。 安価な花の代表格なのでしょうか。 以前、メルボルン・フラワーショーで どっさり使ったところ、 他の出展者(大部分は西洋花)から、 「よくもこんな安い花を使う気になったわね」 そして、「こんなに効果的に使えるものなのね」 と二重に感心されたことを思い出します。 フラワーショーでは 高価な花をどっさり使うことが宣伝になるようですが、 私にはあまり興味のないアプローチです。 自分に挑戦できたら楽しいかな、と思います。 なかなか大変なのですが、今年も出展します。 2015年...

2015年3月17日

一日一華:小説・教室のうわさ話(6)

我が家の前の並木から枝を切り取る。 オーストラリアのネイティブで常緑樹。 一応、市が管理しているわけだが、 生花教室に使う分位は歓迎してもらえるはず。 5、6本枝を持って歩いていると ネイビーブルーのメルセデスが すぐ脇に静かに滑り込んできた。 「ハロー」 サングラスのマリアが微笑んで、手を振ってくれる。 指の爪は銀色で、星がちりばめられている。 小学生の女の子が好みそうな模様だが、 彼女の声の幼さい印象とよくマッチしている。 彼女が車を運転してくるのは初めてだと思う。 それに新しいメルセデス。昨年の...

2015年3月7日

一日一華:小説・教室のうわさ話(5)

マリアの携帯がまた鳴った。 生花クラスの最後はいつもShow & Tell。 今日の作品を順に皆で見て回る。 合評会といったところ。いつも10分ほど。 合評会が始まってから、 マリアの携帯が鳴るのは4回目だ。 呼び出し音は聞き慣れたクラシック音楽だが、 4回目となると、 さすがに穏やかな上品さはもう感じられない。 それでもマリアはおっとりと携帯に話しかける。 「今、行くって言っているでしょう。もう終わったのよ。 片付けしているところ」 マリアが携帯を切る。 1秒たったろうか。 ひと呼吸も終えないう...

2015年3月5日

一日一華:小説・教室のうわさ話(4)

「フェースブックに私の作品載せてくれたのね。 ありがとう。 娘が手伝ってくれて、ようやく見ることができたわ」 マリアが言った。 嬉しそうにするとピンクの頬がいっそう輝く。 日本ではリンゴのようなほっぺたなんていうが、 マリアは白い頬がピンクに染まっているわけで、 もっとジューシーな感じ、ピンクのプラムといったところか。 私の生徒の生花作品を定期的にフェースブックに載せている。 いろいろな反応があるのがとても嬉しいようだ。 手間はかかるが、できるだけ続けてみたい。 「お嬢さんって、大学生の? 留学中じゃなか...

2015年3月2日

21世紀的いけ花考(33)

 室町時代に登場したいけ花(総称)の異端、生花は「主流の立花と違って、うちは花に新しい生命を与えているのだ」と主張したらしい、と推察しました。これはどういうことでしょう?  単純に考えれば、新しい生命とはおそらく芸術的な(当時、そのような言葉は存在しませんでしたが)生命でしょう。生物学的な生命ではなく、象徴的な生命。立花は形式的で、生き生きした生命感がない。それに対し、生花は切り取ることで一度は生物学的な生命を終えた花に、新しく芸術としての生命を与え、蘇らせているのだ、ということでしょうか。確かに、...

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