生け花について考えていると、「専応口伝」はどうしてもその作業の出発点になってきます。それについて書かれたものはたくさんあります。しかし、ほとんどの解説はあまりに薄っぺらです。特に、みなさんがブログなどで読むことのできる解説のほとんどは読む価値のないものが多いようです。
もしかすると私がこれから書こうとすることも、無意味なブログの解説のひとつ、ということになるかもしれませんが。
ともかく、「専応口伝」の謎について、です。
おそらく私の知る限り誰もまともに考えたことのない謎。
そして、花道の核心にも関わってくる謎。
次の有名な序文を熟読してみましょう。
「瓶に花を挿す事いにしへよりあるとはきき侍れど、それは美しき花をのみ賞して、草木の風興をもわきまへず、只さし生けたる計りなり。この一流は野山水辺をのずからなる姿を居上にあらはし、花葉を飾り、よろしき面かげを本とし、先祖さし初めしより一道世に広まりて、都鄙のもて遊びとなれる也」
注目すべきは、第2の文章。
生け花の核心を述べた文章としてもっとも重要視されているものだと思います。
「この一流は」
1、野山水辺をのずからなる姿を居上にあらはし
2、花葉を飾り
3、よろしき面かげを本とし
この3つの修飾節が、「先祖さし初めし」にかかっていきます。
これはおかしいと思いませんか?
ここには不自然な分かりにくさがあるのです。
実はこの3つの修飾節、順番が逆です。
本来、以下のようにならなければなりません。
1、よろしき面かげを本とし
2、花葉を飾り
3、野山水辺をのずからなる姿を居上にあらはし
「先祖さし初めし」に続く。
これで初めて意味が自然に通るのです。
なぜこんな事になったのか?
なぜ不自然な順にしているのか?
なぜ5世紀もの間、誰も問題にしなかったのか?
そのために花道史上、どんな問題が起こったのか?
あるいは私の言っている事自体がおかしいのか?
いずれ私の考えを発表します。
しかし、私の説は特殊なものかもしれません。
通常は、
「この一流は」
1、野山水辺をのずからなる姿を居上にあらはし
2、花葉を飾り、よろしき面かげを本とし
以上の2つの修飾節が、関連し合うことなく、並列の関係で
「先祖さし初めし」に続く、ということになるのでしょうか。
この場合の問題点は「よろしき面かげを本とし」があまりに軽視されてきたということ。
面かげとは何か。
これもまた別の機会に。