我が家の白樺の枝で遊んでみました。
おそらくうまく書けそうもないことを書いてみましょうか。
メルボルンに移り住んで20年以上経ちました。
間もなく30年になるでしょう。
メルボルンでいけ花を習った先生は2人。
現在、草月流ビクトリア支部長のエリザベス・アンジェル、
そして、カーリン・パターソン。
両先生にお世話になりました。
特にカーリンの教室へは長く通いました。
先日、カーリンに用があって電話しました。
「ちょっと待ってくれ」と男性。
少し様子がおかしいのです。
「番号違いでしょうか」と私。
電話の相手が代わって、カーリンの娘さん。
「誰からも聞いてないのね」
「え?」
「母は去年9月に亡くなったのよ」
言葉が見つかりません。罪悪感。
急な病気だったとのこと。
「大変、失礼しました」半年以上も知らずにいたなんて。
「あなたのことは母からよく聞いていました」
私はカーリンがいかに優れた教師であったか、
今、メルボルンで活動している草月流の教師の
ほとんどがカーリンの生徒であること、
カーリンが教えてくれたことをまた
私達が次の世代に伝えていくだろうというようなことを伝えました。
電話を切った後、
昨年、カーリンから思いがけず電話があったことを思い出しました。
亡くなる直前だったのかもしれません。
しかし、いつもとなんら変わりない会話でした。
自分のことはほとんど話すことはなく、
私のことをあれこれ尋ねてくれました。
草月流ビクトリア支部についてあなたの考えを教えて、
というようなことを繰り返し言われました。
「何も気にすることはないですよ」「何も言うことはないですよ」
私も繰り返しました。
私は集団から距離をおいているだけ。悪感情はないのです。
しかし、集団はそんな個人にある種の感情を持つのかもしれない。
余計なことでご心配をおかけしていたようです。
カーリンについてはいつかきちんと書いておこうと思います。
いけ花の作家としての力だけでなく、
指導力という点で比類ない方でした。
実際、指導力のあるいけ花の先生には
なかなか巡り会えないのではないでしょうか。
私は幸運だったと思います。