華道家 新保逍滄

2015年3月17日

一日一華:小説・教室のうわさ話(6)



我が家の前の並木から枝を切り取る。
オーストラリアのネイティブで常緑樹。
一応、市が管理しているわけだが、
生花教室に使う分位は歓迎してもらえるはず。

5、6本枝を持って歩いていると
ネイビーブルーのメルセデスが
すぐ脇に静かに滑り込んできた。
「ハロー」
サングラスのマリアが微笑んで、手を振ってくれる。
指の爪は銀色で、星がちりばめられている。
小学生の女の子が好みそうな模様だが、
彼女の声の幼さい印象とよくマッチしている。

彼女が車を運転してくるのは初めてだと思う。
それに新しいメルセデス。昨年のモデルだ。
「今日はご主人の送迎じゃないんだ」
「自分で来た方が気が楽でいいわ。
それに、彼、新しい仕事が見つかって、忙しいみたい」
「どんな仕事なんだろう?」
「それがね。教室で教えてあげる」

だいたい時間になると生徒は揃い、
各自、準備を始め、制作にとりかかる。
水がない、添え木がない、剣山を忘れた、
などという生徒のお世話をして一息つく。

マリアのいるテーブルで笑いが起こる。
「そう。うちの亭主」とマリア。
3、4人が新しい銀行の広告チラシに見入っている。
既存の二つの小銀行が合併して新しい銀行ができた。
オーストラリアには4つの大銀行がある。
第5の位置につけるかどうか、という話の出ている新銀行だ。
その銀行のチラシでは、
中年男性が自分の家の前でにっこり微笑んでいる。
彼の側にはきれいな奥さん、二人の子供。
そして、大型の車まで。
「わが銀行の低利ローンを使えば皆が欲しがる商品は
みんな手に入って、こんなに幸せになれるよ」
というメッセージだろう。
テレビでも高速道路の大型広告板でも昨今おなじみの男。
髪は短く、丸い目でコメディアンのように笑っている。
「笑ってちょうだい。おかしいでしょう?」
え、まさかこの男が?

こうした広告に出る「理想の家庭」は、
本当の家族ではなく、モデルの寄せ集めであるらしい。
マリアもかわいらしい女性だが、
広告の奥さんほど細身ではない、かもしれない。

「だからね、彼、趣味で演劇やっていたの。でも、たいしたことはなかったわけだけど。
今回、オーディションに通って、このコマーシャルに出ることになって」
「それはたいしたものだね」と私。
「本人は満足しているわ。仕事探しやめて、フルタイムの芸能人になろうか、だって。
気楽な人よね」
「まあ、いいお金が入るなら、それも悪くないでしょう」と私は笑った。

他の生徒の作業を見て廻っていると、「ショーソー」と
ナタリーが小声で話しかけてきた。
「マリア、本当はとてもハッピーなのよ」と微笑んだ。
「家のローンも完済できたし、新しいメルセデスまで買ってもらえたんだから」
「へえ、そんなにお金いただけるものなのかあ」
「いろいろ契約やなにか面倒はあるらしいんだけどね」

我が家にふて腐れたような顔でやってきたあのロシア人男性。
マキシム機関銃を撃ちまくっているわけでは、もちろんなく、
コメディアンなのであった。
言われてみて、初めて、「あ、あの人だ」と気付く。
イメージのギャップが大き過ぎる。
今度会ったら、何て言ったらいいのだろう?

Shoso Shimbo

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