華道家 新保逍滄

2022年1月13日

生花習得理論

 


言語学の中でも特に面白いのは、言語習得理論かもしれません。

60年代にチョムスキーが言語習得装置(LAD)なるものを想定して、どうも子供には言語を習得する能力が先天的に備わっているようだねえ、ということで、あれこれ研究が進んできました。

さらに、外国語は、それを実際に使う(コミュニーケーションする)必要があるという状況で、最も効果的に身につくんじゃなかろうか、という話にもなってきました。

コミュニーケーションしようと「実際に言葉を使うこと」が、習得につながる!

言葉は、「学んで」身につけるもの、ではなく、「使って」身につけるものだ、ということ。

この点はよく考えてみる必要があると思います。例えば、試験のため、世間体のため、など様々な理由で私たちは外国語の勉強をするわけです。しかし、おそらくもっと切羽詰まった事情があって、身につけなければ自分の生存に関わるとか、コミュニケーションできなければ、他の子供と遊べないなどという状況であれば、もっと迅速に言語は身につくのかもしれません。

そこに言葉の存在理由があります。

さて、生花ではどうでしょう?

何が「生花習得装置」に最も効果的なのでしょう?生花の存在理由、本質的な意義はなんでしょう?

言葉であれば、コミュニーケーション。実際の意味のやりとりです。(文法やら何やらを学ぶために言葉が存在するわけではないのです。当然ですが)

では、生花では?

なんのために生花をやるのでしょう?他者からの称賛、自尊感情の向上、見栄、賞状、金銭的な報酬、どうもそうした外在的な価値を求めている人の作品は、やはり、そこまでのもの、という感じがあります。

「どうだ、すごいだろう」と人を驚ろかすことに躍起になっていたり、綺麗さを求めるばかりで、やたらにうるさく、装飾的、少しも面白くないとか、そういう作品はよくあります。

そうではなくて、より内在的な価値を求めて、花を生けざるを得ないというような方の作品がやはり面白いのです。おそらく、単純に面白くてやめられないという方が、やはりいい作品を生み出しているようです。

この動機の違いを踏まえたところから、つまり、花にどう向き合うかと考えるところから、本物の華道論も始まるのだろうと思います。

2022年1月10日

生花道場:年間計画

 


生花道場カリキュラムは24回。

1ヶ月に2回開催すると、1年で修了予定です。そこで、なんとか2022年、1月から再開したかったのです。すると年末には2期目の修了者が出ることになるのですから。

幸いにも、カリキュラムもほぼ完成、参加者も集まり(満席)、開始できることになりました。

いろいろな点で既存の諸問題に挑戦するような面白い内容になっていると思います。その内容をまとめているのですが、英語で6000語を超えてしまいました。国際いけ花学会の学術誌に投稿予定です。うまくいけば出版され、オンラインで無料で読んでいただけるでしょう。

いつか日本語でも紹介したいと思います。


Shoso Shimbo

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