華道家 新保逍滄

2018年6月21日

生け花とコンクール(2):グーグル翻訳を訂正


先に投稿した記事にグーグルで翻訳した「生け花とコンクール」についての文章を載せていました。あのままではやはり意味不明のところがあります。以下で最低限の訂正をしておきます。

https://ikebana-shoso.blogspot.com/2018/06/blog-post_38.html

「私たちはIkebana Gallery Award(IGA)を宣伝しようとしていますが、 "私たちの主人 マスター(あるいは)先生はIkebanaを裁かれる は審査されるべきではないと言った" "なぜ競争しなければならないのですか?"というステートメントを聞くことがあります。


結局のところ、誰もが自分の信念や哲学を持つことが許されています。彼らが私たちを嫌がらせたり、オンラインで非倫理的に行動したりしない限り、私たちはそれらを無視して、私たちだけを離れるように求めることができます 構わないでいただきたいとお願いするだけです。もし彼らが永続的なもしつこいのであれば、私たちができることは、私たちのウェブサイト上のミッションステートメントを読むように求めることだけです。

しかし、いけばなの審査や競争については、そのような狭い視点(視点の狭さ)についていくつかの注意すべき点があります。

1. 3つの主要な生け花学校流派(池坊、大原小原、草月)は、今日は本場の花火大会独自の生け花コンクールを運営しています。彼らは、生け花での競技の利点を認識しています。しかし、1000以上の学校流派がある生け花の分野では、彼らが「受賞者勝者」であることに注意する必要があります。他の学校流派の中には、勝者の態度が必ずしも正しいとは言えず、生け花での競技には否定的な態度をとることさえあるかもしれない。それらの大規模な学校流派を攻撃する代わりに、私たちは今のところ、小さくて簡単な目標ターゲットであるため、彼らの一部が私たちを攻撃するかもしれません。


2. 歴史的に、生け花の開発発展には常に競争が存在していた。しかし、生け花の競争という概念は、例えば現代のプロスポーツの競争概念と同じではありません。例えば勝利度が高く、時には重視される場合もあります。勝ち負けが過度に重視されるというものではありません。

原則として、生け花は内なる追求です。我々の主な焦点は、外部的に表現されたものではなく、それに匹敵するものではなく、内部的な成長です。したがって、比較できるものではないのです。西洋モダニズムが1920年代と1930年代の生け花に影響を与えた後でさえ、西洋美術のスタイルに従った競技は必ずしも十分に認識適切に受容はされていなかった。いくつかの大会は全く成功しなかった。生け花競技の歴史は魅力的な研究テーマですが、ここでは詳しく説明しません。

しかし、いけばな競技会が適切に管理運営され、適切注意を払って注目されているのを見て、私は個人的には、生け花の実務者に実践者(関係者)優しいフレンドリーな競争を楽しむには十分に成熟している(西洋化している)と感じています。私はIGAが肯定的なケーススタディを提示しとなり、研究者がすでに述べたように歴史的に重要であることを証明すると確信しています。誰もがIGAでは勝者です。

3.海外の生け花談話に関する言論は、日本のものとは時々異なる。私は「生け花はこれとそうでなければなりませんこうでなければいけない、ああでなければいけない」という言葉をあまりにも頻繁に聞いています。海外の生け花のマスター(およびそのフォロワー)は、日本のマスターよりも信頼できる権威主義的である可能性があります。彼らは生け花を神秘的にする傾向があります。彼らはしばしば怒り、他者を批判しがちです。さらに、彼らは競争を嫌う。私たちはそれらの "マスター"から離れておく必要があるかもしれません。

4. IGAのメリットと必要性については、次の記事をお読みください。 http://ikebanaaustralia.blogspot.com/p/faq.html

以上。

あともう一歩というところでしょうか。

先ごろ、ふと思いついて、日本語で書いたものをグーグルで翻訳してみました。
英文の文章が必要だったのですが、グーグルで訳したものにちょいと手を加えればいいかなと思ったのです。

ところが、それは全く違っていました。何の役にも立ちませんでした。
自分で初めから英語で書いていくしかありませんでした。

グーグルがすごいことになっているとは認めますが、
重要なところでつまずいているようで、
結論は、やはりあともう少しかな、と思います。

2018年6月19日

花道史の基礎知識:神道の方へ(2)


日本文化史上の生け花の位置付けについて分かりやすい講義を見つけました。
筑波大学名誉教授今井雅治先生の日本語学習者向けの講義ですが、外国の方に日本文化、生け花を紹介したいという方にもとても役立つことでしょう。

https://jfcairo.wordpress.com/2013/01/06/ikebana/

この講義の中で私が関心を持った点はたくさんあります。
私の話(「生け花・環境芸術・神道」)の出発点として都合がいいので、おいおい説明していきます。

まず、注目したいのは、生け花と西洋アレンジメントの大きな違いについての説明。
「最終的には悟りを目指していること」これが生け花、
「美しさの追求」これが西洋花、とされています。

生け花は修行であり、西洋花は芸術である、と言い換えてもいいかしれません。

私の21世紀的生け花考(「花を留める」ー伝言ネット版)シリーズなどを読んで下さった方はすぐに、「あれ?」と思われることでしょう。

私が何度か指摘していることですが、1930年代の新興いけばな宣言以降に人気を得た生け花流派(つまり現在日本で主流をなしている生け花)、草月流などは生け花は芸術だと宣言したわけです。
つまり、修行としての生け花という本質を捨てているのです。
生け花は西洋花と同じところを目指す「芸術」になったということ。

ここにはとても深い問題があります。私が先のエセー・シリーズで何度か触れた問題です。また、別の機会に続けます。

2018年6月17日

パニック・アタック攻略法


もう1年ほど前になりますが、自分にはパニック・アタックの症状があるのではないかと書いたことがあります。
https://ikebana-shoso.blogspot.com/2017/11/blog-post_6.html

今年の四月に日本、ヨーロッパを5週間ほど旅行しました。
仕事とホリデーを兼ねたもので楽しみにしていましたが、最も心配したのは飛行機内でのパニック・アタック。長い旅ですから。
あの症状が出ると、気持ち悪さ、苦しさは耐えがたい。
呼吸困難に加え、機内で叫んで、外へ抜け出したいという狂ったような衝動に突き動かされます。
乗り物酔い X 閉所恐怖症、そんなところかと思いますが。

ところが、今回はその症状は全く出ませんでした。
機内で、来るかな、という予感は何回かありました。
その度、禅の呼吸。
そして、ラベンダーの香りを吸引。
家内の持っていたラベンダー入りのアイ・マスクを鼻にあて乗り切りました。
私の場合、匂いが引き金になる場合が多かったのです。
アロマセラピーの絶大な効果、ということになるかもしれません。

「私が横にいたから大丈夫だったんでしょう」と家内は言いますので、
そうかもしれないねえ、と言っておきます。

ともかく旅行にラベンダーは必携となりました。

2018年6月15日

生け花コンクール(1):ここまで来たか、グーグル翻訳


グーグルの翻訳がすごいということを最近、よく聞きます。
私は英語でもよく記事やら雑文やらを書きます。
しかし、それをグーグルを使って訳すということをしたことがありません。

ちょっと、実験してみたくなりました。
最近、生け花コンクールについて書いた英文の雑文は以下です。

これをグーグルで訳すと以下になります。

「私たちはIkebana Gallery Award(IGA)を宣伝しようとしていますが、 "私たちの主人はIkebanaを裁かれるべきではないと言った" "なぜ競争しなければならないのですか?"というステートメントを聞くことがあります。結局のところ、誰もが自分の信念や哲学を持つことが許されています。彼らが私たちを嫌がらせたり、オンラインで非倫理的に行動したりしない限り、私たちはそれらを無視して、私たちだけを離れるように求めることができます。もし彼らが永続的なものであれば、私たちができることは、私たちのウェブサイト上のミッションステートメントを読むように求めることです。

しかし、いけばなの審査や競争については、そのような狭い視点についていくつかの点があります。

1. 3つの主要な生け花学校(池坊、大原、草月)は、今日は本場の花火大会を運営しています。彼らは、生け花での競技の利点を認識しています。しかし、1000人以上の学校がある生け花の分野では、彼らが「受賞者」であることに注意する必要があります。他の学校の中には、勝者の態度が必ずしも正しいとは言えず、生け花での競技には否定的な態度をとることさえあるかもしれない。それらの大規模な学校を攻撃する代わりに、私たちは今のところ、小さくて簡単な目標であるため、彼らの一部が私たちを攻撃するかもしれません。


歴史的に、生け花の開発には常に競争が存在していた。しかし、生け花の競争という概念は、現代のプロスポーツの競争概念と同じではありません。例えば、勝利度が高く、時には重視される場合もあります。

原則として、生け花は内なる追求です。我々の主な焦点は、外部的に表現されたものではなく、それに匹敵するものではなく、内部的な成長です。したがって、西洋モダニズムが1920年代と1930年代の生け花に影響を与えた後でさえ、西洋美術のスタイルに従った競技は必ずしも十分に認識されていなかった。いくつかの大会は全く成功しなかった。生け花競技の歴史は魅力的な研究テーマですが、ここでは詳しく説明しません。

しかし、いけばな競技会が適切に管理され、適切な注意を払っているのを見て、私は個人的には、生け花の実務者が優しい競争を楽しむには十分に成熟していると感じています。私はIGAが肯定的なケーススタディを提示し、研究者がすでに述べたように歴史的に重要であることを証明すると確信しています。誰もがIGAの勝者です。

3.海外の生け花談話は、日本のものとは時々異なる。私は「生け花はこれとそうでなければなりません」という言葉をあまりにも頻繁に聞いています。海外の生け花のマスター(およびそのフォロワー)は、日本のマスターよりも信頼できる可能性があります。彼らは生け花を神秘的にする傾向があります。彼らはしばしば怒り、他者を批判しがちです。さらに、彼らは競争を嫌う。私たちはそれらの "マスター"から離れておく必要があるかもしれません。

4. IGAのメリットと必要性については、次の記事をお読みください。 http://ikebanaaustralia.blogspot.com/p/faq.html

以上です。

例えば、大学でのテストで、日本語を学ぶ学生がこの程度に訳したとしたら、多分、不合格ではないでしょう。きっとパス程度の成績は取れるはずです。
日本語教師をしている知人が何人かいますので、尋ねてみようと思います。

内容的にはかなり複雑なものですが、そこそこ意味が通ります。何箇所か重大な問題のある部分がありますが、私の言いたいこともおおよそ翻訳できています。このことの意味するものは何か?

神道の方へ(1)


自然破壊、環境汚染にはなかなか有効な手立てが出てこないまま、
地球は危機的な状況へと向かっています。

この現代の危機は、現代人の精神の危機と対応しているのではないか。

特に、主要な宗教が死生観、ことに死に対して有効な回答を提示しえていないということと関係があるように思えます。

私がそう考えるのには理由があります。
が、この話は長くなりそうなので、またの機会に続きます。

2018年6月8日

フェイク・マスターズ


海外の生け花の世界には独特のものがあります。
そのうちの一つは、私が勝手にフェイク・マスターズと呼んでいる方々の存在。
フェイクですから、偽物。
ちょっと失礼ですから明言、公言はしません。
(ブログに書いたら、公言ですかね。読者は少ないでしょうが)


マスターというからには、生け花で言えば家元とか、師範とか
いろいろな言い方がありますが、要するに大家、達人ですね。
その真似をしている人が多いのです。
その方々の言動には、なかなか面白いものがあります。

私はそのモデルはどこにあるのだろうとずっと考えていますが、思い当たりません。
多分、空手の映画とか、どこかそのあたりにあるのだろうなあと思います。
どこか悟り切った風格があり、黙っていても人々は尊敬してくるのが当然、と言うところがあります。

しかし、悲しいかな。フェイクなのです。
まず、実力が伴わない。
道を修めようというものの真剣さがない。
そして傲慢なのです。

日本では家元とか名人とされる人々に会ったことがあるという方も多いでしょう。
おそらくその謙虚さ、フレンドリーさ、ユーモアのセンスに驚くという印象を持たれる方が多いのではないでしょうか。
一言で言えば、「爽やか」です(達人の持つ爽やかさについては、また別に考えます)。
少なくとも、私が出会った、数名の方々に関してはそうでした。傲慢な方など一人もいません。

ところが、海外にはいるんですね。
ちょっと滑稽な大師範が。
おそらく、学歴とか社会的なステータスとかといった点であまり高い自己評価を得られなかった方が、生け花を少しかじって、突然、偉くなったような気分になるのではないでしょうか(どうしてそういうことになるかというと、それは日本文化が海外において特別な存在だから。ここは面白い点ですからいつかもっと詳しくお話ししましょう)。

そういう方々も生け花の流派にとっては有用でしょうから、特にあれこれ言うつもりはありません。役職を与え、きちんと仕事をこなしてくれればいいわけでしょう。

有害になるのは、彼らが他の人をコントロールしようとしだす時。
時に、生け花のテクニック以上にいじめのテクニックに秀でているなどということになると周囲は迷惑です。

おそらく、戦後、海外で生け花を指導する日本人も多かったはずです。その大部分は女性だったでしょう。英語力その他様々な制約があり、「おかしいな」と思うことがあっても、なかなかはっきりものを言う方は少なかったのではないでしょうか。日本人としての、花道家としてのたしなみもあるはずです。昨今、世界を見渡しても、無礼で遠慮のないのは私くらいでしょう。

最近、私が英文で短い注意書きを書いたところ、思いがけないほどの反響がありました。
http://www.shoso.com.au/2018/06/ikebana-competition.html
海外における怪しいマスターの特徴として、
生け花を神秘化する
いつも腹を立てていて、他人を中傷する
実力主義のコンクールを嫌う
などと言う点を、冗談半分で書いたのです。

こういった権威的な方々のために、苦労している方が多いのではないでしょうか。
モヤモヤがスッキリしたというようなコメントもありました。

だからと言って、こういう方々に対抗しようとか、成敗しようとか
そんな苦労をするつもりはありません。
今以上に敵を作る必要はないのです。

ただ、私にできることは、そういうマスターは真物じゃないかもしれないよ、と諭すだけ。それで十分ではないかと思います。

そして、当然のことですが、私自身、マスターなどと自称しないようにと心がけています。ところが、様々な機会に紹介される際、生け花マスターと言われるのです。宣伝ですから仕方ないのですが、その度に訂正しています。

2018年5月28日

生け花ギャラリー賞について(3)


お知らせ:この度、Ikebana Gallery Awardでは蓑豊先生(兵庫県立美術館館長金沢21世紀美術特任館長、大阪市立美術館名誉館長)に審査員としてご協力いただくことになりました。蓑先生は日本を代表する美術館長として国際的にご活躍中です。「超美術館革命」(角川新書)他著書多数。https://www.artm.pref.hyogo.jp/ 
 先生の芸術に対するご見識の高さを審査結果に反映させていただけることでしょう。
 
 私どもは今後ともより多くの生け花学習者へ、履歴書の受賞歴に記載できる賞を無料で提供したい所存です。日本からの多数の応募をお待ちしています。
生け花ギャラリー賞募集要項日本語版:http://ikebanaaustralia.blogspot.com.au/p/japanese.html

 ご講演、著書を通じ、そのお仕事ぶりに圧倒され、さらに夕食をご一緒させていただき、そのお人柄に心服する者として、蓑先生から私たちのプロジェクトに貴重なお時間をさいていただけることに感激しています。
 なぜこのような小さなプロジェクトに国際的にご活躍の多忙な先生が関わって下さるのだろう?これは多くの方が抱く疑問でしょう。私もよくは分かりません。お願いしても、よくて断られるか、無視されても当然と思っていました。ところが快く引き受けて下さいました。
 推測ですが、このプロジェクトは私たちが営利目的でやっているものではないということ、これから生け花を真剣に学ぼうとする人たちを助けたいという、ただそのために私たちが骨をおっているというところを認めていただけたのではないかと思っています。先生はとても直感の鋭い方です。
 実は、半信半疑のような目を向けられることもあるのです。本人の心のスケール相応に相手が見えるのでしょう。そこそこ(「完全に」と主張すると窮屈になりますので、「そこそこ」で十分)純粋に他人のために動く人間もいるのだと、なかなか信じられない、生け花をやる人は皆自分のため、自分の流派のためにだけ活動するものだと硬く思い込んでいる人もあるようです。もちろん状況の変化に応じて、将来このプロジェクトもボランティアに頼るだけでなく、もっとビジネス化していく必要が生じるかもしれませんが。
 私は生け花ギャラリー賞・選考委員としてボランティアで協力してくれる私の生徒たちには、これは花道史の一つになる活動なんだよ、他の生け花学習者を応援し、励ますことができるんだよ、と鼓舞しています。私たちにとってはとても意味のある活動です。
 この機会に生け花ギャラリー賞について書いてきた文章を以下にまとめておきます。

「応募しようかな」とお考えの方へのメッセージ
http://ikebana-shoso.blogspot.com.au/2017/07/blog-post.html

生け花ギャラリー賞発表のお知らせ
http://ikebana-shoso.blogspot.com.au/2017/08/blog-post_27.html

生け花ギャラリー賞について(1)
http://ikebana-shoso.blogspot.com.au/2017/07/blog-post_20.html

生け花ギャラリー賞について(2)
http://ikebana-shoso.blogspot.com.au/2017/07/blog-post_31.html

生け花ギャラリー賞の目指すもの(「いけ花文化研究」所収)
https://www.academia.edu/36680038/Ikebana_Gallery_Award_no_mezasu_mono_International_Journal_of_Ikebana_Studies_Vol.5_2016_pp.92-95


2018年5月21日

一日一華:新書について


最近1年くらいについてですが、私の読書は多分80%くらいが英文。ほとんど学術関連です。
20%くらいが日本語。その約半分(つまり10%くらい)が小説などの娯楽としての読書、そして、他の半分が日本語での学術書。

日本語の学術書は、私の論文に使えるものが限られているため、結果的に新書が多くなっています。

新書というのは、私にとっては学生時代から特別なものです。
学生時代の友人と読んだ新書の冊数を競争したこともありました。
1日1冊という勢いで読んでいたものです。
講談社現代新書、岩波新書, 中公新書など内容が充実していて、何といっても信頼できます。

平川彰先生から仏教学を学んだことがありますが、大学の講義1年間で学ぶことが先生の1冊の新書(「現代人のための仏教」)に書かれている!と感じたこともあります。それほどの充実ぶり。他にも名著がたくさんありますね。

特に自分の知らない分野、専門でない分野について、その入門的な役割を期待してしまいます。そこから興味深い点はもっと深めていけばいい。
そういう期待は、あまり裏切られたことはなかったのです。
つい最近まで。

今は、日本の新書はどうなってしまったのだろう、と感じています。

現在、私は日本語での読書量がとても少ない上に、日本の本屋を覗くのは数年に1回という有様ですから、見当違いかもしれませんが。

最近は神道に関心があって、先月、日本で関連の新書を数冊購入しました。
驚いたのは、ベスト新書の一冊。

まず、日本語があちこちおかしい。2ページに1箇所くらいの割合で、文法が乱れていて、文章の意味が不明瞭。主語と述語が一致しないため、意味がいくつかに取れてしまいます。話し言葉ではそういうことが起こるかもしれませんが、書き言葉にしたならば、訂正すべきでしょう。これはもちろん著者のせいでしょうけれど、国語力のなさは編集の方がきちんと補うべきです。呆れています。

さらに、論理が飛躍し、ちょっとついていけない。これは学問的に考えるということをしたことがない人の語りです。こんな雑文を新書として出版してはいけないでしょう。

昨今は読み手も気をつけて新書を選ばなければいけない、ということなのでしょうか。タイトルだけでなく、著者略歴、前書き、後書きなどもチェックしないと後悔しそうです。

2018年5月17日

21世紀的いけ花考 第70回(最終回)


江戸後期、明治大正期にそれぞれいけばなブームが起こったという話でした。前者では生花(せいか)という単純化されたいけばなが目玉商品であり、後者では盛花という一層手軽に生け花を活けられる様式が目玉商品でした。

さて、3回目のいけばなブームが起こるのは戦後。そのブームの中心にいたのが草月流創始者、勅使川原蒼風。蒼風は従来の生け花を様々に批判していきますが、特に、模倣という一つの指導方法を否定していきます。初心者は模倣して覚えていくしかないように思えます。しかし、上級になっても模倣ということではいけない。作者の創意が尊重されねばならないということだったのでしょう。

西洋モダニズムの影響を受けて(というかそのいいとこどりをしつつ)自由花が1920年代に提唱され、その動きを引き継ぐように前衛花という目玉商品が注目を集めたのでした。キャッチコピーは、「生け花は芸術だ!」。「注目を集めた」と書いたのは、賞賛ばかりでなく、批判も多かったからです。本当に芸術か?芸術とは何だろう?そうした議論を避けることはできません。しかし、ブームの渦中にあっては、勢いのある議論がまかりとおります。蒼風らの運動には、旧来の生け花にまつわる種々のしがらみなども払拭できるかもしれない、という期待と後押しもあったのではないでしょうか。おそらく歴史的な評価を受けるのはこれからでしょう。

実は、草月流がもっと面白くなるのは、1980年代以降、3代家元の宏からだろうと思いますが、宏の仕事についてはここでは語ることはできません。というのは、発行者様の事情により私の連載は今回限りとなったからです。発行、編集担当の皆様には実に長らくお世話にな りました。読者の評判などまったく意に介せず続けてこられたのは幸運でした。読む人はあまりいないのだろうと思っていましたが、最近、初めて「伝言ネットの記事を読んで、習うことにしました」という生徒さんがやってきました。読んで下さる方もいらっしゃるのですね。ありがとうございました。文章を書くのは、日本語でなら全く苦ではないので続けろと言われればいつまでも続けられます。しかも、10年間、一度も締め切りを破ったことがないように思います。しかし、一区切りつけるのも新しい方向を探るためには必要なことでしょう。伝言ネットスタッフ、読者の皆様、そして私の英文をチェックしてくれた私のパートナー、ジュリーそして義母、パットにあらてめてお礼申し上げます。

21世紀的いけ花考 第69回



 日本史上の生け花ブームは社会・文化現象。その歴史を調べることで、日本社会もよりよく理解できます。より深く研究しようという方が出てきたら嬉しいですね。また、ブームの研究は即ちヒット商品の研究。成功のコツは世間のニーズをつかんで、革新的で魅力ある商品を提供すること、これが教訓でしょうか。

 ここで少々脱線。明治期のブームについて補足します。このブーム以前は個人指導が主でした。月謝は定額ではなかったようです。生徒が自分の経済状況に応じて支払っていたようです。前近代的ですが、私もそうしたいなと思うことがあります。私のクラスは格安で、日本で学ぶよりはるかに安く習得できます。ですからもっと日本人の方にご利用いただきたいものです。私の教え方が合うという方は速習できるでしょう。ただ、最近は格安で教えるのもどうかなと思っています。早く多くの師範を育成したいと格安にしているわけですが、値段に惹かれて教室に来る方は継続できない場合が多く、メリットがないのです。ともかく、明治、大正期のブームでは教室で集団で教えるという形態が定着していきます。 

 また、生け花の教師は主に男性でした。ところが、明治期、女性師範が急増しました。理由が推測できますか?日清、日露戦争です。司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読んでみて下さい。この必読書を戦争礼賛などと批判をする人もありますが、偏向マスコミに洗脳されているのでしょう。その浮薄さは危険です。ちょうど、癌が怖いから、癌について見るのも聞くのも嫌と言っているようなもの。予防にはなりません。それはさておき、すざましい数の日本男子が戦死しています。戦争未亡人にとって生け花師範というのは選択肢の一つだったのでしょう。 

 さらに、剣山について。このブームでの目玉商品は盛花。生け花を簡便にしました。実は、その簡便さの一因は剣山にあります。明治期に創案され、幾つかの変遷がありました。大正期に改良した剣山を使い、池坊から独立したのが安達流。改良剣山一つで大手の一流派が生まれるのです。剣山については追手門学院大学准教授小林善帆先生(国際いけ花学会会長)より一部ご教示いただきました。先生は広辞苑最新版の「いけ花」の項を執筆担当されています。

 さて、今月紹介するのはホーム・パーティーでの迎え花。強引な取り合わせが楽しいでしょう。4月には神戸の交際会議とルーマニアの大学で生け花と環境芸術について講演の予定。桜が楽しみです。

2018年3月10日

21世紀的生け花考 第68回


 今回は明治・大正期の生け花ブームについて考えてみましょう。ブームとは複数の要因が重なって起こるもの。単純には説明ができません。まず、分かっていることはこのブームを支えたのは若い女性であったということ。明治女性は生け花に何を求めたのか。女性と社会の関係から考えていくといいでしょう。しかし、未開の研究領域という感じがします。明快な説明には出会っていませんので、以下は私の仮説です。

 不明なのは生け花ブームを支えた若い女性の社会的な立場。専業主婦人口が増えるのは大正期以降ですから、彼女らはこのブームの主な担い手ではなかったでしょう。注目すべきは婚前の女性。つまり、花嫁修行のひとつとして生け花を習うということが主流だったようです。

 明治の国策は富国強兵。女性はそれを支える「家」にあって良妻賢母を目指しました。明治民法(明治31年公布)によってそれ以外の生き方は容易ではないという事情もありました。結婚は最大の関心事だったはず。できるだけ有利な条件を求めるのは必然。

 重要なのは女学校・高等女学校ができ、非正規科目ながら生け花やお茶が教えられることが多かったということ(正規の場合もあり)。女学校出→インテリ→生け花ができる→婚活に有利、というイメージの連係ができたのでしょう。お嬢様なら生け花ができる→生け花ができるならお嬢様(たとえ学がなくとも)ということで生け花のニーズが増大したのではないか。要は生け花がブランディング効果を獲得。手頃な投資だったのです。

 この時期、生け花の側にもブームを加速する工夫がありました。顕著なのは小原流による盛花のPR(明治末期)。剣山(明治期に初出)や七宝を使い、浅い水盤に花を生けます。最大の特徴は従来の生け花をさらに容易にしたものだったということ。デザインも単純でほとんど誰でも花が生けられるようになったのです。さらに、洋風住宅が増えてきましたが、そこにもぴったり。しかも真新しい西洋花も生けられる。生け花の楽しい面がドンと前に出たわけです。これは流行るでしょう。現在でも多くの生け花教室で、最初に習うのは盛花。次回に続きます。

 今月紹介するのは花菱レストランに活けた作品。毎週楽しくやらせてもらっています。3月はローン彫刻展に環境芸術2作を出展。さらに、同展の環境芸術会議でもトークを依頼されています。国際的なアーティスト、研究者も集うビクトリア州最大の屋外芸術祭。是非お越し下さい。http://lornesculpture.com

2018年2月22日

一日一華:生け花と存続可能性


今年初めて我が家の庭に植えたフウセンカズラがよく育ってくれました。
庭のブーゲンビリアと取り合わせ。
ガラス花器は生徒さんから頂いたもの。

さて、環境芸術についての発表が迫っています。
テーマは存続可能性と美学。
生け花との関連、などなど。

さんざん言われ続けていることですが、
現代西洋文明は特に環境問題において、存続不可能な状況。
その発展モデル、知の方法とも危機的です。

その根源は何か。
産業革命、植民地主義、君主制、資本主義の成立、ルネッサンス、
デカルト的二元論、ベーコン哲学、キリスト教だとか、アルファベットの成立だとかいろいろな説があります。

根本は、自然疎外。
自然を対象化し、資源とみなす考え方。

生け花にも同じ態度を持ち込んだのが、
新興いけばな宣言でしょう。
花など芸術的な自己表現の材料でしかない、という。
現在、生け花の主流となっている多くの流派に共通する態度です。

しかし、生け花は本来、自然と人との一体感、調和に根ざしたものだったのです。
それが、昭和はじめあたりから、西洋の自然に対する態度を慌てて学び、
生け花を変えていこうという動きがあったわけです。

今現在、西洋の方から自然に対する自らの態度への見直しが起こっています。
そのような見地から、異文化、ことにネイティブ文化への関心が高まっています。
日本の生け花は本来、一つのお手本を示すことができたはずです。
しかし、今現在主流になっている生け花に、その力はありません。

2018年2月12日

2018年2月5日

21世紀的いけ花考:第67回


 生け花の現状、将来の課題を探ろうと大上段に構えています。まず、生け花の歴史を簡単におさらいしておきましょう。簡略な華道史は何度かここで話していますが、今回はまた別の角度から。今回は生け花ブームに焦点を当てて、その成功の要諦を探ってみます。

 華道史上、重要なブームは江戸時代後期、明治期、戦後と3回起こっています。室町時代、立て花が生まれ、立華に発展。江戸時代初期に立華が大成。この辺りまでは生け花は社会の上層部で細々と行われていたのでしょう。庶民は絶えず紛争に巻き込まれ、余裕がなかったはずです。

 ところが江戸時代、260年間も大規模な紛争のなかった、世界史的にも稀な安定した時代でした。よく人類史上最も幸福な時代とされるパクス・ロマーナ、ローマの平和とされた時代もせいぜい200年間。しかも、必ずしも常時平和ではなかったのです。学校で習う歴史を鵜呑みにしていると、明治期に文明開化が起こり、それ以前は暗黒の封建社会などと考えがちですが、江戸時代についてきちんと考えないと日本文化の本質を見失うことになります。この特別な時代、文化、経済が大発展します。

 社会が安定し、経済が発展すると、生活に余裕ができ、余暇を楽しもうということになります。特に多くの女性が余暇を求めたのは江戸時代が初めてでしょう。時間とお金ができると日本女性の関心は花に向かうようで、生け花を習いたいという需要が生まれます。ところが、当時、生け花と言ったら代表的なのは立華。制作するのに数日かかります。一般女性には、そこまでの余裕はない。せいぜい2時間位で楽しみたい。

 そこで考案されたのが、生花(せいか/しょうか)。立華を大胆に簡略化。天地人という3点をおさえて、不等辺三角形を作るとそこそこの生け花ができるのです。結果、生け花人口が爆発的に増え、新流派も多数成立。これが第1回目の生け花ブームの核心。新しいニーズの特定+それに見合った商品開発=成功。3回の生け花ブームにはそれぞれの目玉商品があります。そこをおさえておけばいいのです。

 さて、今年、ローン・スカルプチャー、インターナショナル・アカデミック・フォーラムで環境芸術と生け花について講演を行うことになりました。特に後者では、日本一の美術館長と尊敬する蓑豊先生とともにフューチャード・プレゼンターに。大変なことになっています。 

 今月紹介するのはある医院レセプションへの商業花。ハイレベルの生け花を毎週ご希望でしたら、逍滄チームの花をご検討下さい。

2018年1月19日

一日一華:写真花の難しさ


生け花の写真は難しいなあと、よく思いますが、
この作品など、その典型的な例。
奥行きがなくなるのです。
前後にかなり広がっている作品ですが、
写真では前後の広がりがほとんど感じられません。
元の生け花作品の味が半減した感じがします。
そうしたことも考慮して写真花に臨むといいのでしょう。

2018年1月9日

21世紀的いけ花考:第66回



 西洋芸術のモダニズムの影響を受け、日本の生け花は大きく変わっていきました。その影響は現在まで続いています。昭和初めの生け花改革運動は、従来の生け花の何を改革しようとしていたのでしょう?

 15世紀、立て花の成立から始まった生け花、そのすべてを否定し、まったく新しい生け花を提唱しようとしたのではありません。では、何を否定したのか?この運動に関わっていた人々の間でもこの点で合意があったのか、よく分かりません。抜本的な改革を意図していた方もあったかもしれませんが、この改革運動の中心人物の一人、草月流初代家元勅使河原蒼風などは、どうもそうではないようです。

「かつていけばなの世界では『まねぶ』ことの方に重きを置きすぎて、悪いことがはやった。決められた形をそっくりまねるのでなければいけてはいけない、この流儀にはこの形しかない、この形を皆でいけるのだというような。非常に非芸術的な時代があった。これが江戸末期のいけばなの悪弊だった。(略)これは明治になっても大正になってもその停滞から抜け出ることができなかった」(「蒼風講義録から 4 平凡を非凡にする」)

 つまり、蒼風が批判しているのは江戸末期から大正までの生け花のある側面。生け花の全てを批判しているわけではないのです。批判の対象は、模倣させるという指導のあり方、制作態度。小さな点です。重要ですが。別の観点から見れば、これはモダニズムの「いいとこ取り」なのです。ここは後に詳述します。

 さて、江戸末から大正までの期間とは、生け花史上重要な時期。そのあたりに大きな生け花ブームが2回起こっているのです。江戸後期、明治期の2回。ともに流派の数が爆発的に増加した時期。3回目はもちろん戦後の最大のブーム。草月流、小原流などがリードしました。大手の池坊も様々な改変を経てブームを担い、今日に至っています。 

 さて、次回は、過去3回の生け花ブームについて、特徴を簡単に述べておきましょうか。それで日本華道史の要点も蒼風の立場もよりよく理解できるでしょう。

 今回は1年前の正月花を紹介します。クラウンの此処に活けたもの。今年もクリスマスから新年にかけて展示しますのでご覧下さい。

 今年は3月にローン彫刻展、9月にビエナーレ・オブ・オーストラリアン・アートに参加予定です。昨年度、イェーリング・ステーション彫刻展で入賞した作品を最初の作品とし、「公共芸術としての環境芸術」シリーズの続編をこれらの芸術祭で発表予定です。お楽しみに。

Shoso Shimbo

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