華道家 新保逍滄

2019年7月12日

「専応口伝」の謎 2


「専応口伝」について、再び。
まず、前回書いたことは、訂正しなければいけません。

「この一流は野山水辺をのずからなる姿を居上にあらはし、花葉を飾り、よろしき面かげを本とし、先祖さし初めしより一道世に広まりて、都鄙のもて遊びとなれる也」

この部分ですが、
「この一流は」
(1)野山水辺をのずからなる姿を居上にあらはし
(2)花葉を飾り、よろしき面かげを本とし
「先祖さし初めし」に続く。

と、通常の解釈に従う方が無難です。
なぜなら、「面かげ」という言葉ですが、その近くに面かげの対象、つまり名詞がないといけません。何の「面かげ」かがはっきりしなくなるからです。
その名詞とは、「花葉」ということになるでしょう。
ですから「花葉を飾り」と「よろしき面かげを本とし」とを離して考えない方がいいのです。

実は、上記(1)と(2)は同じことを繰り返しているのだと気付きました。
もちろん、意味は別です。

野山水辺 / をのずからなる姿
花葉 / よろしき面かげ

この2項対立において、
前者が知覚対象(全体把握は不可能)
後者が対象の全体あるいは本質
という関係になっているのです。

要するに、生け花とは目には見えないものを表現しているのだし、
そのためには、素材の目に見えないものを本にしているのだよ、ということ。

フッサールの知覚の現象学的還元を専応は先取りしていたのでした。

別の機会にもっと詳しく説明します。


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