華道家 新保逍滄

2022年6月23日

出版のお知らせ:伝統文化研究編(京都芸術大学)

 


さらに英語にまつわる話を続けます。先のポストで英語攻略の秘訣を紹介し、英語解読はたやすいなどと書いたばかりです。https://ikebana-shoso.blogspot.com/2022/06/blog-post_21.html

たいていの英書は大丈夫。オーストラリアの大学院から学位がいただける程度の読解力はあるはずなのです。

ところが、これは手強い!と感じた本に最近出くわしました。

Pierre Bourdieu, The Rule of Art, Stanford University Press.

フランスの社会学者の著作を英訳したものです。一文が果てしなく長く、息切れするほどで、さらに文構造が複雑なのです。社会学の英書で、ここまで難解なものはあまり読んだことがありません(もちろん、相当に限られた読書経験内での話でありますが)。これはこの著者の特徴なのか、フランス人はみんなこんな文で考えているのか(フランス語教師の家内によれば、そういうことはないようです)、翻訳のせいなのか、それはよく分かりませんが、とても苦労しました。

翻訳ということでは、例えば、西洋の哲学書など日本語訳だとちんぷんかんぷんなのに、英語だと簡単に理解できるということがよくあります。そうすると、翻訳のせいで実際以上に難しくなっている可能性もあるように思います。

この本は、私が準備していた論文にとって重要な参考書で、なんとか読み込む必要がありました。そして、ともかく仕上げた論文が以下の通り出版されました。

井上治・森田都紀 編集「伝統文化 研究編 (はじめて学ぶ芸術の教科書)」京都芸術大学
第一章 第二次大戦前後の生け花場における自由花運動の相対的位相  新保逍滄

戦前の「自由花運動」が開花したのが、戦後の「前衛いけ花」だということが通説のようです。しかし、両者には異質なものがあるように思えました。小さな、しかし本質的な差異。そこを掘り下げてみたいということだったのです。

おそらく、学士レベルの学術論文というのは、こうした小さなところに拘って、きちんと論理的に掘り下げる、ということができたら十分なのではないかと思います。さらに、通説に対し少しでも違った観点を提出できたら上出来でしょう。大論文、世紀の大著などを目指す必要はないのです。そのような点から参考にしていただけたらありがたいです。

また、この「芸術の教科書」所収の論文が山根翠堂という魅力的な華道家の再評価につながれば、とも願っています。よろしければ以下のリンクからご購読下さい。

なお、この出版に至るまでにご協力いただいた多くの方々にお礼申し上げます。私の論文を評価してくださった京都芸術大学の井上治先生、資料提供にご協力いただいた真生流家元山根由美様、4回、5回と校正に付き合ってくださった京都芸術大学出版局藝術学舎担当者の方々、ありがとうございました。

<電子書籍>
リフロー型の電子テキストとして販売。

■Kindleストア 価格¥1200
www.amazon.co.jp/dp/B0B4C36WPM ※予約ページ
■honto  価格¥1200
https://honto.jp/ebook/pd_31775546.html ※予約ページ
等、電子書籍書店にて

<オンデマンド書籍>
デジタル印刷の技術を使い、1部から少部数(300部程度)までの製造に対応するものです。読者の注文を工場で情報受け取りしてから製造します。

以下2店舗で扱います。
■amazonPOD  価格¥1300
www.amazon.co.jp/dp/4909439617
■honto (https://honto.jp/)  価格¥1300
予約ページ準備中


2022年6月21日

思い出すこと:英語の攻略

 


中学高校の頃、英語学習にはとてもたくさんの時間を費やしました。会話ではなく、ただひたすら文法翻訳の練習です。

高校1年生くらいの時だと思いますが、英語にひとつの法則を見つけました。それは誰かから教わったのでも、参考書で見つけたわけでもないと思います。この法則は今でも役立っているのです。もしかすると、誰でも知っている陳腐なことかもしれませんし、教科書にきちんと書いてあることかもしれません。

それでも何人かに話したところ、感心してくださる方もありました。もしかすると面白いことなのかもしれません。私にとっては英語攻略の秘訣でありましたし、この法則に照らして、プロの誤訳を見つけたことも多々あります。また、この法則を無視した日本人の英作文に時々おめにかかります。

それは「& の法則」と、自分で呼んでいるもの。

Andが結ぶものは、文法的に同格であり(名詞と名詞、句と句、文と文、など)、結ばれたものは構文上、同格の機能を持つ(目的語と目的語、連体修飾語と連体修飾語、など)。

このことがわかると、いくら長く、複雑な英文でもスラスラ解読できるのです。5文型を覚え、「&の法則」が分かっていれば、英語は攻略できると思います。長文読解は大好きな課題でしたが、そこにはパズルを解いていくような面白さがありました。英語は得意科目だったのですが、その根本にあったのは「& の法則」の習得だったのではないかとさえ思います。

もっとも「自分は英語が得意だ」などという儚い幻想は、オーストラリアの大学院に入るや否や、瞬時に消え去ってしまったのですが。

2022年6月20日

思い出すこと:人生の岐路

 


あれが人生の岐路、だったかな、と思うようなことがいくつかあります。いい歳になってくれば、どなたもそんな思いを持たれることでしょうが。

私にはどうも2種類の岐路があったように思います。

ひとつは、外からやってくる岐路、人生の分かれ道。こういう曲面に対し、私はとてもいい加減だったなあと感じます。特に後悔もしていませんが。例えば、大学進学。日本の国立大学に落ちたので、合格していた私大に進むことにしました。いくつか合格通知が来ていたはずなので、探しました。ところが、早稲田からの通知は見つかったのに、慶應のものが見つからない。これも天意かもしれない、と早稲田に進みました。

ただ、合格して嬉しかったのは、慶應でした。というのは英語の試験問題が最高だと思ったからです。受験の得意科目は英語でしたが、自分の力(それほどの力でもなかったですが)を存分に発揮できたと感じたのです。それに対しやりがいがなかったのは東大です。私が受験した年は唐突にも最長文問題に、論説ではなく、小説が出題され、全く歯が立ちませんでした。小説読解は準備ゼロでした。その時点で落第は決定。もう自分の人生には意味がないとまで思い詰めたものですが、今となっては笑い話です。同様にやりがいがなかったのは早稲田の問題で、「こんな問題を解くために何年も受験勉強してきたのではない」などと生意気なことを思ったことを覚えています。

もうひとつ。大学で教職課程をとり、受講し、試験まで受けたのに、成績がついてこない。問い合わせると、私は講座の登録手続きに不備があり、受講資格がなかったとのこと。未登録の授業に出て、せっせと勉強していたわけです。これも天意か、とあっさり教職課程を諦めました。いい加減でもあったと思います。

それに対し、内的な岐路というのもあったように思います。

例えば、生け花。何度か中断しています。その度に帰路に立っていたと言えると思います。どこにたどり着けるか、到達点が見えなかったのです。目標とする人も見当たりませんでした。お金や名声にもつながりそうにない。

しかし、ひとつくらい一生続けたと言えるものを持つことは大切なんじゃなかろうか。走り出したマラソンは絶対完走、これは自分に誓ってきたことですから、同じ態度でやり切ってやろうと。細々と、継続していければいい。こういうことで妥協してしまうと必ず後悔するだろうと思うのです。

こうした岐路というのは、外からやってくる岐路とは少し違うように思います。それについてはまたいつか考えてみます。

Shoso Shimbo

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