華道家 新保逍滄

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2023年9月15日

2023年5月23日

抽象的思考の面白さ:「学術論文の書き方」

 


諸事情あって学術論文を読む機会がよくあります。

学問の世界は広大ですが、私の専門とする領域は非常に狭いものです。教育心理学(博士号)、日本学(修士)、美術(修士)といった文系の中の小さな分野です。その狭い分野の経験しかない者の管見に過ぎないのですが、日本語の文系の論文にはつまらないものが多すぎるのではないでしょうか。 

大学生の論文や博士論文だけでなく、先生方の論文でも、私に言わせれば、論文になっていないのではないか、というものに出くわすことがあります。仮にその論文を英訳しても、出版してくれる学術誌は見つからないかもしれません。もちろん、通常、そんなことを口に出すことはありません。ここだけの話です。

もしかすると私が受けた学問の訓練(修士以上)がオーストラリアの大学においてですので、日本の学術の特殊な事情に不明であるというようなことがあるのかもしれませんが。立派なタイトルの立派な本でありながら、実につまらない、というものもあります。

最近、つまらない論文の共通項が分かってきました。

一言で言えば、抽象的思考がゆるい。

事実の羅列で終わっているようなもの。最悪です。考察がないのでつまらない。

事実の集積、あるいは調査の結果を分析し、グループ分けし、比較し、パターンを見つけ、理論をすくい上げると言った分析や抽象的思考の面白さがない。それをリサーチ・メソドロジー(研究方法)と言いますが、メソドロジーの習得は論文を書く前提です。

あるいは、ある事実(または調査の結果)を分析する段階に、分析ツール(理論)を持ち合わせていないために、思考が支離滅裂になっていたりします。文芸評論めいた著作によくあるケースです。

最近、必要があって香りについてのエッセーを読みました。デザインという言葉の定義を検討しつつ、特定の事象を説明しようとしているものです。私にとっては役に立つ内容でしたが、もう一つ上位の抽象概念(例えばアサンブラージュなど)を持ち出して、デザインを定義し直し、まとめるというところまでいかないと、説得力のある面白い論文にはなりません。

Googleで調べると、「論文の書き方」ということで、たくさんのアドバイスが見つかります。よく見かけるのは論文の構成から説明していくもの。

序論

文献レビュー

方法

調査

結果

分析

考察

結論

などが一般的な構成パターンでしょうか。

ここで最重要なのは「文献レビュー」です。

【必読!】文系学生のための卒論・修論の書き方

というサイトによると、文献レビューとは、以下のように説明されています。

「関連する過去の文献や論文、理論を、その分野の学術的流れや歴史なども含めて要約し、批判的に検討する。用語の定義などもここで。」

「その分野の学術的流れや歴史」というところが大切です。ここを踏まえていなければ、論文は存在する意味がありません。修士論文や博士論文でも、ここがないに等しいというものがありますが、その重要性を十分指導していないなら指導教官の責任は重大です。実は、「なぜ学術的な流れや歴史が重要なのか」という質問をしてくる方を、納得させるのはかなり難しい仕事になるでしょう。それがないと、一部の人々だけで共有される独りよがりなレポートになってしまうからです、と言っても分からない方には分かってもらえないでしょう。

ここで他の人の論文を持ち出して批判や評価をしたりするのはかばかられますので、昨年出版された私の小論文を参考に説明を続けます。今までのところ私の出版物はほとんどが英文なので、私にとっては数少ない日本語で書いた論文のひとつです。

2022. 新保逍滄、第二次大戦前後の生け花場における自由花運動の相対的位相「はじめて学ぶ芸術の教科書、伝統文化研究編」井上治、森田都紀(編)、京都芸術大学芸術学舎

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戦前、生け花の世界では、西洋藝術の影響で自由花運動が起こります。生け花の歴史上、とても大きな変革です。これをテーマに論文を書こうという場合、自由花運動をいくら詳しく調べ、記録していってもそれはただのデータの集積でしかありません。

そんなものはいくら内容が詳細であっても、中学校の自由研究レベルであって、大学レベルの論文ではありません。もちろんそれも無意味ではありません。歴史的事実の集積にも用途はあります。ただ、大学のいかなる学位もいただけないでしょう。分析も考察もないからです。リサーチ・メソドロジーのない文章は論文ではありません。

時に、例えば「歴史上重要なものであることが分かった」などと「分析、考察」を唐突に付け加えたりしている場合もあるようですが、そんなものは考察とは言いません。

自分の収集したデータや調査結果を俯瞰して、距離を置いて眺め、一体ここでは何が起こっているのか、と客観的に捉える視点、抽象的に考えていく力。重要なのはそこです。観察された事象をまとめたり、比較したりして、関係性やパターンを見出すという抽象的な思考力を養っていない方には、学術論文の作成はかなり困難でしょう。もしかすると、事実を集積して、暗記して、という知は日本の受験勉強型の知の使い方かもしれません。受験型秀才の得意とするところでしょう。しかし、私がここで説明しようとしている学術論文作成に要する知とはもっと創造的な知なのではないかと思います。

さて、私の論文に戻りましょう。自由花運動はどのような角度から検討していけばいいのでしょう?

これは生け花の変革です。生け花すなわち文化のひとつです。

ということは文化変容という切り口から分析できないだろうかと検討してみます。それでうまくいかなければ、また別の切り口を探すまでです。この段階で、私の思考は、自由花運動を離れています。歴史的な事象を離れ、抽象的な理論に注意が向いています。

文化変容にはどんな理論があるのだろう?

どんな研究があるのだろう?

類似の問題を扱った研究はないだろうか?

と、みていくといくらでも出てきます。文化人類学、社会学、カルチャル・スタディーズなどなど。この段階、つまり文献レビューの前段階ですが、ここに時間をかけることが重要です。もちろん、予め自分の分野が特定されているならその中で文化変容についての論文を次々読んでいきます。

文化変容理論の中では、特にフランスの社会学者ピエール・ブルデューの理論の影響力が大きいということがわかりましたので、彼の主著を読んでいきます。これにはかなり苦労しました。

ブルデューの芸術変容の理論を理解すればするほど、自由花運動についての記述に、疑問点が生じてきます。理論を手にすることで、研究の対象がより明確に見えてくるのです。

最大の疑問は、戦前の自由花運動が戦後の前衛生け花に発展していったという主流の言説は正しいのだろうか、というもの。両者には共通点もあるのですが、相違点も非常に多い。

相違点に注目するなら、自由花運動は「前衛芸術」的であるのに、戦後の前衛生け花は前衛というより「商業芸術」に近いのではないか、と思えてきました。歴史的事象の描写ではなく、その解釈に注力しています。

特に、ブルデューの芸術変容の理論がここでも当てはまるのか?と考えていきます。ブルデューの理論に反する点はないか、もしあるとすれば、ブルデューの芸術変容の理論に欠点や改変を要する点があるのかもしれません。理論を磨き上げていく感じです。そして、なんとか抽象的なレベルで新しい解釈の可能性を提示することができました。

ここまで到達して、私の論文はほぼ完了です。論文の骨格ができ、重要な要点は掴めたので、あとは書き上げるだけです。

小さな発見でいいのです。通説に疑問を投げかけることまでできれば十分でしょう。良ければぜひご一読を。


関連のポスト

生け花と嗜好

出版のお知らせ

思い出すこと:留学生として


2023年3月6日

『専応口伝』における「面かげ」の形而上学(英語版)



先に紹介した論文の英語版は以下です。

Abstract

Senno Kuden (16th century) historically presents the most influential definition of ikebana, which includes both ontological and epistemological concerns in representation. Although the former contributed to the development of the common definition of ikebana as a symbolic representation of nature or the universe, the latter has been largely ignored. This study points out that the latter has not only significant meanings in understanding Senno’s teaching on ikebana, but also a strong connection with the traditional Japanese aesthetics that values contemplative awareness of the transiency of beings.

Author Information
Shoso Shimbo, International Society of Ikebana Research, Australia

Paper Information
Conference: KAMC2022
Stream: Aesthetics and Design

This paper is part of the KAMC2022 Conference Proceedings (View) 
Full Paper
1. View / Download the full paper in a new tab/window

2. Academia

To cite this article:
Shimbo S. (2022) Seeing the Invisible: Applying Discourse Analysis to the Introduction of Senno Kuden ISSN: 2436-0503 – The Kyoto Conference on Arts, Media & Culture 2022: Official Conference Proceedings https://doi.org/10.22492/issn.2436-0503.2022.6
To link to this article:  https://doi.org/10.22492/issn.2436-0503.2022.6


日本語版

『専応口伝』における「面かげ」の形而上学

要旨

『専応口伝』序文にディスコース分析を応用し、従来あまり注目されてこなかった序文中の主要語「よろしき面かげ」の重要性について考察してみたい。「よろしき面かげ」はもうひとつの主要語「をのずからなる姿」とともに形而上学的な文脈で理解されるべきである。「をのずからなる姿」がいけ花を大自然の象徴的表現と定義したのに対し、「よろしき面かげ」はいけ花の始原についての定義と解釈できる。専応の教えは存在の無常性を瞑想を通じて認識することで、草や花の純粋な本質を捉え、それをもとにして挿してゆくものだということになる。さらにこの点において専応のいけ花の思想は日本の美意識の典型的な内的機構とも強い関連性があることが明らかになるのである。

全文は以下より。

2023年2月24日

我慢・我慢

 


海外で生け花の先生方と接していると、ここは我慢だな、と感じることが時にあります。きっともうすぐ状況は変わってくる、と思ってはいますが。

先生方への要望はあります。
しかし、非難でも、愚痴でも、嘲弄でもなく、「もう少し勉強なさいませんか」という要望を伝えるのはなかなか難しいものです。

例えば、大変親切な生け花の先生がいらっしゃいます。
私のためにわざわざ時間を割いて、お話して下さいます。
「いいかい、生け花というのはね、云々」
「天地人と言って、宇宙を表すものでね・・・」
そこで、私が「それは、歴史的には、象徴的表現を説明的表現と勘違いしたもので」と口を挟むや、「そこは大事じゃない」と私を制し、ご自分の御高説を滔々と話し続けられるわけです。

失礼ながらこの方はいけばなに関する英文書籍を2、3冊は読んでおられると思います。一般向けのガイドブックのようなものが出ています。
しかし、それで生け花の大家のようにお話をなさるには、相手があまり良くない。
「これを読んで勉強しなさい」とご自分の書かれた2ページほどの生け花論を手渡して下さいました。

もちろん、私は礼儀正しいですから、黙って聞いて、お礼申し上げましたが(それでなくても傲慢な奴と思われかねない)、いろいろ考えていました。

・ 早く終わらないかな?(失礼)
・ 私の論文、ひとつでいいから読んで欲しいな。まずは、"Ikebana in English" かな。
・ いけ花文化研究ならエッセーも論文も無料で読み放題なのにな。
・ 国際いけ花学会の例会に参加されれば、もう少し深い知識が得られるのにな、とか。

ただ、数十年前と比べ、現在、格段に情報量も増え、情報へのアクセスもしやすくなっています。生け花に対する一般の人たちの理解も深まっています。間もなくもう少し努力し、勉強しないと先生としてやっていくのが困難という事態になるはずです。生け花の世界では通常の教職と異なり、専門知識が少なくとも技術さえあれば教授とか立派なタイトルをいただけるようになっているようですが、そのメッキがすぐに剥がれるということになるでしょう。

例えば、昨年、ある新聞に私のことが取り上げられました。
短いインタビューでしたので、あまり期待していなかったのですが、なんとも深い記事に仕上げていただきました。専門外の方でも生け花に対し、これほどの深い理解を示しておられるのです。

ですから、あともう少しの我慢だなと思っています。

国際いけ花学会の次回例会が3月25日に開催されます。
内容は生け花教師どなたにとっても(流派に関わらず)とても価値のある内容になるはずです。ご自宅で聴講でき、しかも無料です。
ぜひご活用下さい。

2023年2月23日

『専応口伝』における「面かげ」の形而上学

 


新しいエッセーが出版されました。よろしければリンク先からダウンロードして目を通していただければ幸いです。今回は日本語版と英語版両方が出版される予定ですが、以下のリンクは日本語版です。


新保逍滄(2023)『専応口伝』における「面かげ」の形而上学International Journal of Ikebana Studies,10, 21-28.

https://doi.org/10.57290/ikebana.10.0_21


『専応口伝』についてはこのブログでも何度も書いています。そこにはどうも謎の部分があって、私にとってはとても気になる問題でした。ようやく納得のいく形で出版できたので一安心です。

生け花についてあれこれ考え、どうして外国人に教えるのはこうも難しいのだろうと日々悩んできたことの延長線上にこの論文ができたように感じています。「生け花とは何か」ということが、ここで自分なりに了解できたようにも思います。そしてここからいろいろな問題にまた発展していけるのではないかなと。

日本の古典は私の専門分野ではないので、様々なご意見、ご批判をいただくことになってしまいましたが、しばらくは、この問題に戻ってくる必要はないでしょう。その点でも安心です。

生け花の定義に関わる問題なので、いろいろ批判されたり、議論が起こるということになれば、なおありがたいところです。

要旨

『専応口伝』序文にディスコース分析を応用し、従来あまり注目されてこなかった序文中の主要語「よろしき面かげ」の重要性について考察してみたい。「よろしき面かげ」はもうひとつの主要語「をのずからなる姿」とともに形而上学的な文脈で理解されるべきである。「をのずからなる姿」がいけ花を大自然の象徴的表現と定義したのに対し、「よろしき面かげ」はいけ花の始原についての定義と解釈できる。専応の教えは存在の無常性を瞑想を通じて認識することで、草や花の純粋な本質を捉え、それをもとにして挿してゆくものだということになる。さらにこの点において専応のいけ花の思想は日本の美意識の典型的な内的機構とも強い関連性があることが明らかになるのである。

2022年6月23日

出版のお知らせ:伝統文化研究編(京都芸術大学)

 


さらに英語にまつわる話を続けます。先のポストで英語攻略の秘訣を紹介し、英語解読はたやすいなどと書いたばかりです。https://ikebana-shoso.blogspot.com/2022/06/blog-post_21.html

たいていの英書は大丈夫。オーストラリアの大学院から学位がいただける程度の読解力はあるはずなのです。

ところが、これは手強い!と感じた本に最近出くわしました。

Pierre Bourdieu, The Rule of Art, Stanford University Press.

フランスの社会学者の著作を英訳したものです。一文が果てしなく長く、息切れするほどで、さらに文構造が複雑なのです。社会学の英書で、ここまで難解なものはあまり読んだことがありません(もちろん、相当に限られた読書経験内での話でありますが)。これはこの著者の特徴なのか、フランス人はみんなこんな文で考えているのか(フランス語教師の家内によれば、そういうことはないようです)、翻訳のせいなのか、それはよく分かりませんが、とても苦労しました。

翻訳ということでは、例えば、西洋の哲学書など日本語訳だとちんぷんかんぷんなのに、英語だと簡単に理解できるということがよくあります。そうすると、翻訳のせいで実際以上に難しくなっている可能性もあるように思います。

この本は、私が準備していた論文にとって重要な参考書で、なんとか読み込む必要がありました。そして、ともかく仕上げた論文が以下の通り出版されました。

井上治・森田都紀 編集「伝統文化 研究編 (はじめて学ぶ芸術の教科書)」京都芸術大学
第一章 第二次大戦前後の生け花場における自由花運動の相対的位相  新保逍滄

戦前の「自由花運動」が開花したのが、戦後の「前衛いけ花」だということが通説のようです。しかし、両者には異質なものがあるように思えました。小さな、しかし本質的な差異。そこを掘り下げてみたいということだったのです。

おそらく、学士レベルの学術論文というのは、こうした小さなところに拘って、きちんと論理的に掘り下げる、ということができたら十分なのではないかと思います。さらに、通説に対し少しでも違った観点を提出できたら上出来でしょう。大論文、世紀の大著などを目指す必要はないのです。そのような点から参考にしていただけたらありがたいです。

また、この「芸術の教科書」所収の論文が山根翠堂という魅力的な華道家の再評価につながれば、とも願っています。よろしければ以下のリンクからご購読下さい。

なお、この出版に至るまでにご協力いただいた多くの方々にお礼申し上げます。私の論文を評価してくださった京都芸術大学の井上治先生、資料提供にご協力いただいた真生流家元山根由美様、4回、5回と校正に付き合ってくださった京都芸術大学出版局藝術学舎担当者の方々、ありがとうございました。

<電子書籍>
リフロー型の電子テキストとして販売。

■Kindleストア 価格¥1200
www.amazon.co.jp/dp/B0B4C36WPM ※予約ページ
■honto  価格¥1200
https://honto.jp/ebook/pd_31775546.html ※予約ページ
等、電子書籍書店にて

<オンデマンド書籍>
デジタル印刷の技術を使い、1部から少部数(300部程度)までの製造に対応するものです。読者の注文を工場で情報受け取りしてから製造します。

以下2店舗で扱います。
■amazonPOD  価格¥1300
www.amazon.co.jp/dp/4909439617
■honto (https://honto.jp/)  価格¥1300
予約ページ準備中


2022年5月18日

生け花とは何か?(1)


山根翠堂『花に生きる人たちへ』の抄訳が出版されました。以下から無料でダウンロードできます。生け花のあり方を考えたい方々は多くの示唆をいただけることでしょう。
海外における生け花の問題点を考えてきた私にとって、是非とも紹介したい文献でした。










2022, International Journal of Ikebana Studies, Vol.9, 76 - 78
This is a translation of selected passages of “Hana ni ikiru hitotati he (Message for those who live for flowers)”(1967) by Suido Yamane (1893 - 1966). His insight in ikebana is inspirational for those who wish to look deeply into what ikebana is, and for those who are not satisfied with prevailing discussions about ikebana.

https://www.shoso.com.au 



Ikebana News 

31 May 2022: Deadline - Hanadayori, Ikebana by Request 


4 June 2022Ikebana Introduction


10 June 2022: Ikebana Workshop at Richmond Library 


18 June 2022Ikebana Introduction 


18 & 19 June 2022: Ikebana Display for Villa Alba Open Day  


1 July 20221000 Ikebana Challenge 


31 August 2022Ikebana Workshop at the Pub


10 September 2022: Ikebana Performance with Paul Grabowsky

 https://www.ikebanafestival.com


10 & 11 September 2022: Wa Melbourne Ikebana Festival. https://www.ikebanafestival.com

 



2022年4月29日

新論文が掲載されました

 


生花道場に関する研究報告が出版されました。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/ikebana/9/0/9_19/_article

外国人に生け花を教えるのはなぜこうも難しいのだろうと、数年間考え続けてきたことが、ようやく形になったように感じます。

A Proposal for Online Ikebana Training: Developing and Evaluating 
a New Curriculum to Teach Ikebana as Meditation 

 Shoso Shimbo

Abstract

The first section of this study is a proposal for a new online ikebana curriculum. Since there is little educational research in ikebana, the proposal is largely a hypothesis based on the author’s experience. New attempts were made to develop a curriculum that values meditation rather than self-expression in the process of creating freestyle ikebana. The second section is a pilot study to evaluate the newly developed curriculum based on a short eight-item survey. Quantitative analysis shows that this curriculum helps advanced students (more than 6 years’ experience in ikebana) to improve their meditation, and qualitative data further confirms that their meditative experiences may not always be a positive experience for the individual, but it’s meaningful nevertheless. Results suggest that resources including video tutorials at the orientation stage contributed to encouraging the advanced level students in particular to meditate more effectively during the creative process of ikebana. 


2021年2月7日

「専応口伝」再びー山根翠堂自由花論との類比

 


「専応口伝」についてあれこれ考えてきたことがようやくまとまりました。と言っても一つの仮説です。想像に任せて書いてみました。学術的に認められるのか、定かではありません。独断と偏見!ということになるかもしれません。

UC Davis の教授等、何人かに読んでいただいたところ、そこそこ面白いじゃないかということであるようで、「いけ花文化研究」に掲載されるようです。

私が指摘していることは、

「専応口伝」には生花の定義として二点、存在論的な定義と認識論的な定義が明言されているのに、なぜか認識論的側面が無視されてきた。

「専応口伝」の定義する自然の象徴としての生花と、天地人を骨格とする生花(せいか)は、似ているけれど、微妙に異なっている。自然の形而上学的把握の有無という点からすれば、両者は異質なものだ。

自由花運動は生花への西洋モダニズムの導入ということだけでなく、本人たちは気づいていないが、無視されてきた生花の本質の再興という側面があったのではないか。

こんな奇論が出てくると、「花道史も面白いじゃないか」という方、さらには、「もっと研究してやろう」「反論してやろう」という方が出てこないだろうか、と密かに期待しています。

実はこのエッセーは、構想している山根翠堂3部作の2つ目です。

一つ目は昨年、Intenernational Academic Forum で発表した論文。趣旨は、戦前の自由花運動と戦後の前衛生花との関係について、前者が後者に引き継がれたという継続性に注目する論者が多いようですが、私の論は、両者は全く異なる、社会学的な見地からは対立関係にあるとするものです。

白状すると、山根翠堂3部作の2つまで、これまで書いたものは、山根の実際の著作を読まずに書いています。一次資料にあたらず論文を書く!なんともひどい話ですが、資料が手に入らないのです。

最後の論文はきちんと一次資料を読んで山根翠堂の思想の根幹に迫ろうかと考えています。

しかし、京都芸大の井上先生とお話した際、井上先生が私が考えていたよりはるかに大きな枠組みで山根を捉えておられることに気付き、果たして、私が取り組む必要があるのかな?と思っているところです。

さらに、生花の学術的研究ということでは、また別の関心が芽生えてきているのです。

ここまで読んで下さった方のために、「いけ花文化研究」に投稿した最新論文の要旨を掲載しておきます。このブログでも専応口伝についてあれこれ書いてきましたが、最もまとまった内容になっているはずです。英文論文なので読みにくいかもしれませんが、機会があればいつか日本語版も発表したいと思います。


An Interpretation of Ikenobo Senno Kuden (16c) and Its Hidden Link to the Rise of Freestyle Ikebana in the Modern Japan


Shoso Shimbo, PhD
RMIT University Short Courses, Australia

Abstract

The introduction of Western modernism to ikebana brought about the Freestyle Ikebana Movement (the FIM) in 1920’s and 1930’s. Suido Yamane, one of the major advocates of the FIM developed a unique theory on Jiyuu bana (freestyle ikebana). This paper points out the similarity between his theory and the metaphysical statement in Senno Kuden, although the latter has not been adequately studied. Seeing ikebana as a representation of life energy did not begin with the reformers in 1920’s & 1930’s. Rather it has been around since the early stages of development in ikebana and deserves more attention. The historical significance of the FIM may lie in its effort to revive a neglected aspect of ikebana tradition.  

要旨

本稿は1920年代から30年代にかけての自由花運動の歴史的意義について考察するものである。明治以降、西洋文明の影響を触媒とする、いけ花における変容は文化変容の一例としてとらえられるが、ここでは自由花運動、殊にその中心人物の一人、山根翠堂の取り組みに焦点を当てる。翠堂の自由花論は形而上的未発である「真実の自己」が形而下的已発「自由花」として発動し、この一点に純形而上学的理としての「生命」が成立していると解釈できよう。これを「専応口伝」の「よろしき面かげを本とし、先祖さし初めし」に認められる本質論と対比してみたい。本質である「面かげ」が未発であり、「よろしき面かげ」における、形而上的本質である面かげの「よろし」さがより純度の高い形而上学的理として措定されていると考えられる。つまり形而上的「面かげ」という未発が「よろし」の働きにより、形而下的已発として挿花が成り立つのである。翠堂が純形而上学的理として把握した「生命」は専応の面かげの「よろし」さと近似した働きを持つのではないか。とすると、自由花運動という文化変容は、看過されてきたいけ花の始原の一側面に回帰しようという衝動を秘めた変容だったのではないだろうか。自由花運動の歴史的評価については前近代から近代への脱却、西洋由来の芸術性の主張という二点が注目されてきたが、いけ花における形而上学の最も重要な一面の再興という側面も検討されるべきだろう。

2020年8月20日

作品集 「新保逍滄2020」


 作品集 「新保逍滄2020」

ようやく完成しました。eBook - Aus$4.99

以下、右側の拡大アイコンをクリックするとサンプルをご覧いただけます。



はじめに

この作品集「Shoso 2020」は「Shoso 2016」以降の作品、2016年から2020年までの新保逍滄の作品を紹介するものです。この間の活動の焦点のひとつは環境芸術における生花の可能性の追求であったと言えそうです。環境破壊の元凶が資本主義でありながら、資本主義のシステム内でしか環境芸術は存在できないのでしょうか。純粋な環境芸術のひとつの形は「贈与」にも似た概念芸術ということになるのかもしれません。相手を決めず、報酬を求めず、できれば匿名で贈る行為。それは自然界の隅々にまで浸透する資本主義に対峙しうる最後の砦。あるいはそれを本物の精神文化と呼んでもいいのではないでしょうか。すると「贈与」は日々の生花の修練が深いところで意味するものとも似通ってくるようにも思えます。孤軍奮闘の折にふと浮かんだ想念です。

Introduction

This is the second collection of Shoso Shimbo’s work , following the first collection, Shoso 2016. It focuses on his works from 2016 to 2020. This is a significant period for Shoso’s career as an artist, expanding the possibilities of Ikebana into the areas of contemporary art, and environmental art in particular.

Shoso has been exploring environmental art from an Ikebana perspective. It is in a sense investigating Western art in the light of Eastern traditions of art.

Some traditional aspects of Eastern art can offer a different perspective on our attitudes to the environment. Art may not be able to instantly solve the difficult problems we currently face, but it can raise questions about the role of capitalism in environmental degradation.

Shoso 2020 reveals his direction toward new type of minimalism, where Japanese aesthetics are re-examined in the age of environmental crisis. Shoso is exploring the possibilities of a union between environmental aesthetics and environmental ethics.

2020年7月27日

孤軍奮闘 ー 作品集出版に向けて


まもなく作品集を自費出版します。
と言っても安価なeBOOK 主体なので、どれほど広く行き渡るのか、怪しいところです(ハードカバーの実物版も注文できるのですが)。
「Shoso 2020」
として、前回2016年版の続きということになります。
過去4年間の活動をまとめたものですが、私にしては忙しい日々を過ごしたものです。
時に自作を振り返ってもみるのもいいかもしれません。都市封鎖継続中のメルボルンですから、いい機会です。

反省点は多々ありますが、いくつか気付いた点があります。

まず、一つは自分の作品のスタイルができてきたかな、ということ。
それがいいことなのかどうかはわかりませんが、ともかく、全体的にクリーンな傾向が強まっているように思います。以前と比べて、より単純で、清浄な方向へ向かっているように思います。

なぜこうなったのか、と考えているのですが、私のアート系の関心の出発点には車のデザインがあったせいかもしれません。子供の頃、車のデザインを無数に描いていたものです。車を見る目というのは、かなり発達していたように思います。説明が難しいのですが、例えば、ある車の新型車が発表されたとします。それを横から見て、テールライトの位置が以前のデザインより数センチ下がっただけで、すぐに全体からして「低すぎる」と気付いたりします。そういう目というか、感覚は生け花でも生きていると最近気付きました。おそらく似たような経験は多くの方がお持ちでしょう。車でないにしろ。子供の頃の経験には不思議なものがありますね。

もう一つ、4年間の活動をリストにしてみて、ふと、思い至ったことがあります。生け花の世界から現代芸術の、殊にその環境芸術に殴り込みをかけるという無謀な取り組みをやっているのは、おそらく世界で私一人ではないか?と。自分ではそこにやむにやまれぬものを感じ、非力ながら取り組んできたのですが、「こんなこと、他の華道家の誰もやっていないではないか」と今更ながら気付き、少し愉快な気持ちになりました。だから誰にも分かってもらえないし、相手にもされないのか、と妙に納得。好きなことをやっているのだから、共感者が得られないのは当たり前、と覚悟するしかないのでしょう。

作品集には以下の活動歴を掲載予定です。孤軍奮闘のひとつの成果として、ユネスコの学術誌に環境芸術についての論文が掲載されました。次の段階への小さなステップができたようにも感じています。

「Shoso 2020」まもなく、仕上がります。ご覧いただければ幸いです。

Shoso's Activities  2016 - 2020


Group Exhibitions (Curated)  展覧会

2019 Wa ∙ Ikebana Exhibition, Abbotsford Convent (Since 2015)

2019 Sogetsu Victoria Group Exhibition, Hawthorn Town Hall

2018 Yering Station Sculpture Exhibition

2017 Yering Station Sculpture Exhibition


Commissioned Works / Special Displays (selected) 主な制作依頼等

2020 New Year’s display, Koko restaurant, Crown Hotel (Since 2009) 

2020 Sculpture commission, Le Pine, Kew East, Melbourne

2019 Ikebana performance, Suntory Roku Launch, Crown Hotel 

2019 Ikebana display, RMIT Open Day

2019 Ikebana performance with the Gregorian Brothers, Melbourne Recital Centre

2019 Ikebana performance: The way of flower, Melbourne Recital Centre

2018 Biennale of Australian Art (BOAA), Ballarat

2018 Ikebana performance, International Academic Forum, Kobe, Japan

2018 Lorne Sculpture

2016 Ikebana Display, the Snow Travel Expo, Japan Foundation  

2016 Wye River Project, Lorne Sculpture 


Awards 受賞

2019 Shop Window Competition, Melbourne International Flower and Garden Show  (2nd Place)

2017 The Arnold Bloch Leiber Prize 17th Annual Yarra Valley Arts / Yering Station Contemporary Sculpture Exhibition & Awards


Publication 出版

2020 Environmental art as public art, UNESCO Observatory, Multi-Disciplinary Research in the Arts, 6, 1.9. 

2018 Nature in ikebana: Beyond sustainability (いけ花における自然:存続可能性を超えて). International Journal of Ikebana Studies (IJIS), 6, pp. 55- 60.  

2017 Ikebana in environmental art (環境芸術におけるいけ花の可能性), International Journal of Ikebana Studies (IJIS), 5, pp. 109-113.

2016 Environmental art and ikebana, International Journal of Ikebana Studies (IJIS), 4, pp. 27-38. 


Conference Papers  国際学術会議                                                                                              

2020  Nature in Ikebana: The freestyle ikebana movement in the 1920’s and 1930’s, and its effect on Avant-garde Ikebana after the war. The 11th Asian Conference on Arts & Humanities, The International  Academic Forum (virtual presentation). 

2018 Creativity & Education: Environmental art as a vehicle of message. Central de Studii European, Facultatea de Drept, Universitatea Alexandru Ioan Cuza, Co-funded by the Erasmus + Programme of the European Union, 17 April, Iasi, Romania.     

2018 Environmental art as public art. Creating Utopia Conference, Sponsored by Deakin University, Lorne Sculpture Biennale, March 22 - 25, Qdos Arts, Lorne.  

2018 Japanese aesthetics and environmental art. The Asian Conference on Arts and Humanities, The International  Academic Forum. March 30 - April 1, Kobe, Japan.    

2017 Transition of environmental art: In search of the strategies for sustainability. The Asian Conference on Arts and Humanities, The International Academic Forum. March 30 - April 2, Kobe, Japan.


2020年7月11日

生花入門



色々な機会があるごとに生花入門レベルの雑文を書いてきました。商業誌からユネスコの学術誌まで。それらを以下のページにまとめてみました。
生け花の歴史や文化背景については、日本語でも出版物が少ないですね。井上治さん(京都芸術大学)の『花道の思想』(思文閣出版)は稀有で重要な著作です。英語となると、さらに生け花の資料が少ないですから、多少ともお役に立てるかなと思っています。生け花はただのクラフトではなく、思想的にも深いものを持っているかも?などと多少でも感じてもらえたらありがたいものです。


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