華道家 新保逍滄

2020年5月31日

災いを転じて福となす(2)



Zoom を使った生け花レッスンの構想はあったのですが、なかなか動けずにいました。何のためにやるのか、というところがはっきりしなかったのです。労は多く、益は少なかろうと。

私が生け花に積極的に関わった例では、生け花ギャラリー賞和メルボルン生け花フェスティバルがあります。どちらも小規模ながら、苦労の多いプロジェクトですが、出発点は、生徒のためということでした。現在は、おかげさまで多くの方々のご支援をいただいています。

前者については、生け花学習者が参加できるコンクールが少ない上に、競争が激しい状況でしたので、生徒が履歴書に書ける受賞経験が持てるように、生け花の生徒だけが参加できる国際的なコンクールを作ってしまえばいいという発想でした。多くのボランティアの方々に支えられて継続中です。

また、和メルボルン生け花フェスティバルも、出展の機会が少ない生徒に機会を与えるためというところから出発したのです。それがのちに成長し、世界中から出展者をお呼びしよう、メルボルンの人たちに生け花をもっとPRする機会にしようというところまで発展していったわけです。

生徒に出展の機会を作ってあげたい、受賞可能なコンクールを作ってあげたい、さて次は、指導力強化のプロジェクトを作ってあげたいと思い立ちました。

私の生徒に関しては、皆さん性格が素晴らしい。生け花の作品力もかなり付いている。受賞歴、出版歴まで一つ二つ書けるようになった。当地でプロとして通用する段階まであと一歩というところです。もう一つ必要なのが、指導力です。上手に教えられないと、生徒がついてこない、教室が成り立たない、華道教師としてやっていくのは難しくなります。

そこで思いついたのはティーム・ティーチングです。経験ある教師と新米教師が共同で授業をする。新米教師は先輩の技を盗んだらいいでしょう。とても有意義な経験になると思います。あるいは自分ならもっと上手にやれるということもあるかもしれません。

このティーム・ティーチングとZoom を使った生け花レッスンを組み合わせようという発想が出てきました。とりあえずは私と組んでもらって、二人で生徒を教える。その新人教師が一人で教えられるということになったら、バトンを渡して主導的な立場で教えてもらう、そんな訓練の機会にしたいと思ったのです。

該当する新人教師に招待のメールを送りました。ところが返事があったのは一人だけ。あとの数人はからは返事もありません。

私と一緒に教えている期間は無料だよとしたのが問題なのかもしれません。しかし、憶測はやめましょう。日本とは文化が違いますから、いろいろがっかりすることは多いのです。一人相撲ということはよくあります。とりあえず希望者一人のみと組んで始めてみようと思います。

さて、本題はここからです。
落胆はしましたが、待てよ、と。

何も私の生徒にこだわる必要はないのです。世界中から、できれば日本の著名な華道家にも指導的な立場でご参加いただければ、なお面白いではないか、と発想を変えました。

おそらくそうすることで、世界のより多くの生け花学習者のお役に立てるはずですし、指導に当たられる先生にも意義深い仕事にしていただけるはずです。謝礼の問題を含め色々な問題は出てきますが、何とかやれそうな気がしています。もちろん、うまくいかないかもしれません。それはそれでいいでしょう。

ともかく、災いを転じて福となす、です。

上機嫌で新しいウェブサイトを1日で作ってしまいました。ぜひご覧下さい。さらに、生徒として、あるいは教師として、Zooom生け花道場にご参加下さいますようお願い申し上げます。楽しい出会いもあり、気楽な雰囲気の中、英会話の練習までしていただけます。さらに、参加費用も格安となっています。お気軽にどうぞ。

2020年5月30日

災いを転じて福となす(1)


災いを転じて福となす

最近立て続けに、このことわざを思い起こすような経験をしました。どちらも難と思えたものが、とても良い結果になりました。さらに、この福は予想もしなかった成果をもたらし、私の状況まで変わってしまったと感じるほどです。

まず、一つ目は、コロナの影響で、国際郵便が停止、手配してもらっていた私の論文の資料が日本から届かないという事態に。国際学会の論文の締め切りは5月末。

もちろん、諦めてもいいのです。国際学会への参加は自主的なものです。私は大学の専任教師とは違います。気楽な公開講座「日本美学」を担当しているだけなので、大学から論文発表へのプレッシャーはゼロ。しかし、せっかく培った学術的な技術を使わないことには、自分が納得しないのです。大学の図書館使い放題という特権を活かさないといけないでしょう。世界中の論文、本の主要なものほとんどが無料でダウンロードできます。

さて、一次資料を見ずに1920年代、30年代の自由花運動について何が書けるだろうか?何も書けませんよ、実際。

しかし、疑問点はたくさんありました。なぜ、30年代、第2次大戦の直前に自由花運動が起こるのだろう?国家が戦時体制に向かっている時期です。日本華道史の中でも私には最も面白いところ。

自由花運動とは、要するに一つの文化変容です。山根翠堂、重森三玲の論争がそのピークだろうと思います。そうすると、文化変容理論で有名なPierre Bourdieuの理論を当てはめてみることはできないだろうか?

あれあれ。ぴったりではないか!

山根、重森らの思想内容はかっこに入れて、中身を全く検討することなく(資料がなく検討できないので)、彼らの立場と社会の外的要因との関係だけに注目し、さらに、戦後の前衛生け花との比較を試みると、両者の違いがはっきりしてきました。「戦前の自由花運動の開花が、戦後の前衛生け花だ」という見方が普通でしょうが、Pierre Bourdieuによれば、両者は対立関係ということになります。全く性格が違います。

あまりに興奮したので、執筆中、日本でもっとも著名な華道研究家のお一人に何度もメールしてしまいました。お忙しい方なのですが、一つ一つに丁寧なお返事をいただき、恐縮しています。

学術論文というのは、その程度の発見でいいのです。歴史的な事柄について、事実を羅列するだけの論文がありますが、実はそれは退屈な中学生の自由研究レベル。また、やたらと難しい言葉、断定表現ばかりで何を言っているのか分からない論文もありますが、それは威張りたいだけの方が書いているのでしょうか。

幾つかの歴史的な出来事がどう関係しているのか、そこにどんな意味があるのか、通説を覆すことはできないか、そこまで考えてはじめて大卒レベルの論文になります。理論がなければそこまで考えられません。

今回は、久しぶりに納得のいく論文になりました。出版されたら、またリンク先をこのサイトの出版リストに掲載します。とはいえ、正味1週間で書いた英語論文なので、いずれ猛反省することになるかもしれませんが。次の方が乗り越えていく踏み台になれば十分でしょう。

二つ目の「災い転じて」は、最近慌てて始めたZoom 生け花道場に関する出来事。長くなってきたので、それはまた、次の機会とします。


2020年5月25日

Zoom 生け花道場、次回のご案内



English Site: Zoom Ikebana Dojo (Click)

Zoom生け花道場に参加しませんか?英語で生け花を学びたい方、教えたい方、歓迎します。

2020年6月の予定(日本時間)
:
6月6日(土曜日)3:00pm - 3:40pm, 申込締切:5月30日
6月20日(土曜日)3:00pm - 3:40pm, 申込締切:6月13日

参加方法:日本語案内

2020年5月17日

Zoom生け花道場日本語案内


Zoom生け花道場の日本語案内ができました。
https://zoomikebanadojo.blogspot.com/p/blog-page.html

生け花を学びつつ、英会話も同時に練習したい、というような方にお勧めします。

何度かこのブログで書いたことがあるのですが、私のクラスはとてもいい生徒さんが多い。
わざわざメルボルンにいらしゃるまでもなく、日本から参加できますよ、ということなのですが、需要があるでしょうか。

2020年5月13日

一日一華:自分が気にいったら


配達用の生け花です。
運びやすく、贈答品らしく、
そんな心がけが必要でしょう。

さて、自分が感動すると、どうしても他人と分かち合いたくなる、というところがあります。

それは、あまり意味がないということは承知しています。
十分承知しています。
なんといっても、私は家内と映画の好みが合ったことがないのです。
自分がいいと思った映画が身近な人にことごとく否定されると、
自分の感動は誰とも分かち合えないのだと、ゆるゆると分かってきます。

それでも、いい映画を見たり、いい本を読んだりすると
他人に薦めたくなる、という欲求は抑えがたい。

多分、若い頃にいい友達に恵まれていたせいでしょう。
多分、彼らは皆、我慢強かったのかもしれないですね。
私の興奮によく付き合ってもらっていました。

で、最近、読んだ本がとても面白かったのです。
内容についてはまたいつか触れるでしょうが。
もし、関心のある分野が、日本学、モダニズム、日本近代文学、川端文学、カルチャル・ナショナリズム、ジャポニズムなどでしたら、次の本、オススメです。久しぶりに興奮しました。機会あるごとに周りの方々に薦めまくっています。用意していた生け花論を大きく書き変えることになりました。

Roy Starrs (2011), Modernism and Japanese Culture. Palgrave Macmillan.

とはいえ、こんな専門書、「そうか、自分も読んでみよう!」なんていう方はあまりいないでしょうね。分かってはいるんですが。

Zoomで生け花


Zoomを生け花指導に使えないか、と多くの方が取り組んでおられるようです。数あるインターネットを使っての指導の試みの中では、とても面白いものだと思っています。
やがては、家元制度の根幹を揺るがすほどのことになるかもしれないと、個人的には思います。

私が同時に考えているのは、指導という「教師から生徒へ」という一方的な使い方だけでなく、共同学習の機会にできないか、ということ。

ファシリテーターを一人に担当してもらう。
参加者で励ましあい、各自の勉強のペースメーカーの機会になるような使い方です。
これは難しいでしょうかね。
私が少々かじった応用言語学の方では、Cooperative Languge Learning という、グループワークの多用などで、かなり影響のあった指導方法があります。上位の力のあるものから、下位の生徒へという一方的な情報の流れ(伝統的な指導方法) を改善していく力がありました。生徒は先生からだけでなく、他の生徒からもたくさん学ぶのだということを示しました。

生け花の現状は、家元制度が強固です。それ以外はなかなか通用していないでしょう。
それが悪いとは思いませんが、それが全てだ、とも思いません。
もっと多様であっていいのでないでしょうか。

生け花の力をつけるために、本当に大切なのは自分でやること。
受け身ではいけないのです。
参加者の間で、自主トレやろう!というような空気ができると、共同学習はうまくいくでしょう。そうしたら受講料も安くていいだろう、と。
ただ修行の場で無料というのは私は好みません。緊張感がなくなります。

実は、私の中にあるモデルは、故勅使河原宏の男子専科クラスです。
私が参加した頃ですから、もうかなり昔の話。
5、6人のクラスメートの一人は假屋崎さんでした。
ちなみに彼はクラスの優等生、初心者の私は最底辺でした。

あの学習環境は特殊なものでした。
特に宏家元から何かを学ぼうということではなかったと思います。
だいたい家元からのアドバイスは、せいぜい一言、「重い」とか。
もちろん、宏家元は頂点に立つ特別な方でしたから、そこにいらっしゃるだけでありがたかったのですが。

何かを教えてもらう、というよりも、各自自分のベストを尽くす機会、と捉えていたのではないでしょうか。参加者はそうした自分の限界へ挑戦する場を求めていたようでした。

免状を取るためとか、評価を得るためとか、あれこれくだらないことはどうでもいい。
もっと、真剣に生け花に向き合っていたように思います。
修行者の集まりといった感じでした。
そんな環境が作れないか。
いつか私にもっと力がついたら、きっとうまくいくのでしょうが。
どうなりますか。
ダメでもともと。しばらくはいろいろ研究してみます。
日本からも以下の生け花道場への参加者募集中です。
一緒に考えてみませんか?



2020年5月5日

生け花エッセー連載70回達成



メルボルンの月刊日本語新聞、伝言ネットに10年近く書き続けた生け花紹介記事の連載が70回で終了しました。100回くらいまで行けそうでしたが。

一度も締切を破らなかったということが少し誇りに思えます。
日本語だけでなく英語にも訳さなければいけないので、そんなに楽ではないのですよ。

私には、多分、そういう粘り強いところがあります。
というか、途中で妥協したり、投げ出したりするのが嫌なのです。
自分でやると決めたら絶対完走する。
中学生の頃、あまり優秀でもない長距離走者でしたが、棄権したことは一度もないです。
おそらく、一度棄権してしまうとクセになるんじゃないかと思うのです。
成人してから特に苦労したのは、博士号。
これも途中で放棄する理由は、日々100以上ありましたが、なんとか乗り切りました。

ただ、エッセーの内容についてはまだまだ至らない点が多いと思います。
自分がわからないことについて書いているのですから。
生け花については知らないことばかりです。
それでも、知っていることを元にして、考えを広げていく、
仮説を作って、それを検証していく、
そうした思考の組み立て方は、訓練してきたので、
その辺りが、もしかしたら面白く読んでもらえる点かもしれません。

間違ったことを書いてもいいんじゃないでしょうか。
今の自分の知っている範囲では、こう考えられます、という態度で書いてきたと思います。それは学術論文でも同じこと。
基本的に学術論文は特定の条件、範囲内での真実に一番近いところを書くわけです。
絶対の真実ではありません。

いけないのは、知的に不誠実な文章。
知的に誠実か否か、この区別ができることはとても重要です。

知的に不誠実な文章というのは、断定表現が多く、真実、真相、絶対などという重い言葉を軽々しく使うのがひとつの特徴でしょう。「〜事件の真相」「愛の真実」「〜芸術の究極的原点」とか。安っぽいジャーナリズムに頻出するタイトルですが、学術書では滅多に使われません。

ともかく、このブログの右欄、トピックの項、「生け花私論」をクリックすると全て読んでいただけます。お暇なときにでもどうぞ。

https://ikebana-shoso.blogspot.com/search/label/%E7%94%9F%E3%81%91%E8%8A%B1%E7%A7%81%E8%AB%96

英語版は以下です。
www.shoso.com.au

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