華道家 新保逍滄

2015年10月6日

21世紀的いけ花考(40)


現代芸術の基本をおさらいしておきましょう。現代芸術の知識ゼロだった私が少し勉強して驚いたことを紹介しましょう。かつての私と同じような立場の方にとってお役に立てれば幸いです。まず、現代芸術とは特殊な芸術です。芸術一般ではありません。それは「現代に関わる」芸術だということ。現代社会、文化に関連のある芸術。音楽にもクラシックと現代音楽があるようなもの。ですから例えば、いけ花で古典的な花を再現した場合、古典として貴重ですが、通常、現代芸術とは言いがたいのです。これは当たり前のようですが、私にとっては重要なポイントでした。
 
次に、現代芸術の命とは何か?「これが無ければ芸術じゃない」というものは何でしょう?ここで多くの方が誤解しているのではないでしょうか。「美」でしょうか?私はそう思っていました。違います。美は重要ですが、必須ではありません。

実はここがポイントで、村上隆も「芸術起業論」「芸術闘争論」で力説しています。日本語で書かれた現代芸術論はろくなものがないと思っていましたが、村上の著作は例外。村上は日本の芸術の世界(学術を含む)に向かって「君たち、現代芸術分かってないよ」と怒っているのです。豪州で勉強した私からすれば村上の芸術論こそ正論。世界で評価されながら、国内では散々批判され、村上は「僕のことを嘲っていたいやつは嘲っていろ」とまで書いています。それくらい現代芸術の実体というのは日本の常識的な芸術観からすると不可解なもの。確かに、一般の方が村上のアニメのフィギュアを見て「芸術だ」とはすぐには思えないでしょうが。
 
丁寧な説明は村上に譲るとして、私は初心者向け超簡単なガイドを目指します。現代芸術の命、それは「意味」です。意味が無ければ芸術としての価値は認められません。たとえどんなに美しくても。いけ花との関連からも面白い点です。もっと説明が必要ですが、また次回に。
 
さて、今回も我が家の春の庭に咲いた花を寄せ集めて。ぼけも馬酔木も毎年楽しませてもらっています。花を育てる喜びもいけ花をやっていると2倍になると思います。
 
10月は月の半分くらいバララットで過ごします。是非美術館へお越し下さい。また、12月5、6日にはアバッツフォード・コンベントで華道展を予定しています。詳細は私のサイトでどうぞ。

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