華道家 新保逍滄

2020年12月21日

専応口伝と異文化における生花

 


「瓶に花をさす事、いにしえよりあるとはききはべれど、それはうつくしき花をのみ賞して、草木の風興をもわきまえずたださしいけたるばかりなり」

専応はこの口伝の序文で、生花の誕生を宣言しています。上記の引用は、生花誕生以前の状況を語っているわけです。花の美しさだけをありがたがっている、草木の面白さに気づいてもいない、と。そういう人々とは決別して、生花を誕生させたんだよ、と。

ふと、思ったのは、海外で華道家としている活動している私の現状と生花誕生以前の状況が似ているではないか!ということ。

ありがたいことに私は商業花の依頼もよくいただいています。この写真のような花も作ります。クライアントの満足を第一に考えなければいけません。

日本とは違います。草木の風興をわきまえていない方も多いのです。

もっと花を入れてくれ、もっとカラフルに、長持ちさせてくれ、いろいろなリクエストがありますが、生花が根本からわかっていない方がクライアントの場合、困ることが多いのです。ひどい時には、不愉快な経験をすることもあります。

生花の修養を積めば積むほど、クライアントのニーズから離れていく、時にそんな思いを持つことさえあります。これはなかなか辛い。

私の言うクライアントとは生花の生徒も含まれます。

生花の本質的なところを教えようとすれば、生徒から煙たがられる、そういうこともあります。生花の本質的なところは基本型にある、というのが私の考えです。枝物2、3本、花2、3本で生花の原理を体現していく、その辺りに生花の本質があるのではないかと。

Zoom Ikebana Dojo では、そのような試みをしています。

しかし、このブログで何度も書いてきたことですが、外国人の生徒の多くは、基本型の勉強を厭う傾向にあります。

逆説的ですが、そこにはメリットもあるかもしれません。かなり意地悪な見方ですが、外国人の多くは基本型を厭う、故に、生花がなかなか上達しない、故に、生花学習者に止まり続ける。それは日本の先生には都合が良いのかもしれません。あまりにたくさん上手な方が出てくるということになっては、先生の商売が成り立たないではないですか!生花文化の振興と、家元制度という経済機構の発展には、微妙な関係があるのかもしれません。

以前、日本の著名な華道家のデモンストレーションを当地で拝見したことがあります。色々考え込んでしまいました。当初は、ご自分の本当の最高のところは見せてくださらないのだな、厳しく言えば、手を抜いているな、と思いました。しかし、観客を草木の風興をわきまえていない方々と想定し、そうした方々にどのように楽しんでいただけるか、と考えてのデモンストレーションであったということかもしれません。

草木の風興をわきまえていない方々の中にあって、専応や専応の先人たちは道を開いて行ったわけでしょう。その苦労は、もしかすると、私たち海外で生花に関わる者にはより共感できるものであるかもしれません。


2020年11月18日

Zoom 生花道場カリキュラム:人気のない基本型

 


Zoom 生花道場のカリキュラムには基本型を含めたい、と思っていました。

このブログでも何度か生花の基本型について書いてきました。生花を外国人に教える難しさについて、ということで。

基本型を厭う生徒が多いことと、我流生花が多いこととは関係があるように思えてなりません。調和のとれた詩的な基本型が作れない方には、調和のとれた詩的な自由花は作れないはずです。実は、基本型を嫌がる方こそ、基本型をもっと練習しなければいけない!そういう場合が多いのです。

しかし、嫌がりますね。「もっと基本型をやらないといけないよ」とアドバイスしようものなら、まるで「侮辱された!」とでもいうような反応が返ってくることもあります。しつこくやらせたら、教室をやめていった生徒がいたという話もこのブログで書いたことがあります。

それにしても強調したいのは基本型の重要性。

基本型には生花の詩性の根本が含まれています。そこを体得しないことには、おかしな方向へ行ってしまうのではないか?その習得不足が、諸問題の元凶のひとつかもしれない、とまで思ってしまいます。

Zoom 生花道場のカリキュラムではレベル2で基本型を導入し、8回作ってもらいます。ここで、生花道場のカリキュラムについて、少し説明しておきましょう。レベル1、2、3と、とりあえず3段階用意しています。それぞれ8回のクラスから成り立っています。

レベル1では、生花デザイン原理、生花デザイン要素を優先した基本的な自由花。生花を学ぶということは、「花を花として見ることをやめる」ということです。初めから花の本質を見ることを学んで欲しいのです。専応のいう、花や葉の「よろしき面影」を見出し、瞑想する訓練の始まりです。

レベル2で、基本型の習得(上級者にとっては復習と発展)。レベル2になると、受講者の数が増えない、という予想通りの状況です。面白いですね。しかし、ここが一番やりたかった部分なのですが。

レベル2で使う花型に各流派の既存の基本型を使うのは問題でしょうから、自分で新たに考案しました。生花の基本型とは、多くの流派で似通っていながら、若干違うという現状であるようなので、その方針でいくつか作っておきました。説明の仕方もかなり独自の方法でやっています。それは将来的な発展を踏まえてのこと。基本型で習ったことを将来どのように使えばいいのか、ということを射程に入れて組み立てています。

レベル2は、生徒にとっても私にとっても忍耐を要する段階です。ここを通過することで、幾らかでも生花のレベル向上に貢献できないか、我流生花の蔓延を抑制できないか(大袈裟ですが!)と願っています。我流生花が流行っても、それでお金が儲かればよいという方には問題ないのでしょうが、華道文化のことを思えば、なんとかしたくなります。山根翠堂のいう「死花」ばかりが生花として溢れているというような事態は、できれば避けたいもの。せっかく取り組む以上、そのくらいの抱負はもちたいですね。

レベル2で気づくのはやはり基本型への嫌悪。特に上級者には多少自分流にアレンジしていいよ、としてるのですが、多くの方が自由型にしてしまいます。しかも、行き過ぎている場合が多い。その結果、基本型に備わっている詩性は失われています。これではなんのための基本型の復習なのか、と残念な思いをすることがあります。本当の上級者以外、きちんと復習に徹した方が生花道場の趣旨を活かすことになるでしょう。

レベル3では少し高度な自由花へのヒントを含めることになるでしょう。生徒が喜ぶクラス、というのは見当がつきます。そういうクラスもレベル3辺りには含められたら、と思います。おそらくその辺りになるとまた人気が出てくるかもしれません。

オンライン講座で成功しよう、儲けようと思ったら、人気のトピックを調べて、そういうものだけをやる方が賢明でしょう。基本型をやったり、「生花のデザイン原理とは〜」などと深入りするのは、労多く、利がすくない。そう分かっていても、妥協できないものがあります。

ともかく、Zoom 生花道場は、私にとって何かと勉強になるプロジェクトです。なかなか大変ですが。

2020年10月27日

危うい言葉


 病弱の方とか、酔っ払いとか、フラフラ怪しい足元の様子というのは、一眼でわかります。ほんの数センチでしょうが、本来の位置からはみ出しただけで、少し動きが不自然だな、危ういな、頼りないな、と感じるものです。

特定の人の言葉遣いに、同じような危うさを感じることが時にあります。何度か私の感じている違和感を説明しようと試みてきましたが、上手く納得してもらったことがないのです。すると、こんな感じを持つ人は、あまり多くはないのでしょうか?

例をあげましょうか。ある方は、ご自分の祈りとして、息を吸う時に「讃美」、吐く時に「感謝」と唱えるのだそうです。宗教的な、霊性に関わるような著作も多い方の言葉です。こんな言葉に出会うと、私は「危うい」とすぐに感じます。とくにそれが宗教的な文脈で語られる時、ほとんど拒否反応が起こります。

「讃美」「感謝」!ヒエ〜!

本当に魂から湧き出る言葉というのは、そんな教科書のような、あるいはおしゃれな、それでいて安っぽくて軽薄な流行歌の歌詞のような言葉ではありません。

危うさ。耐えがたい言葉の軽さ。さらに場合によっては欺瞞さえも感じてしまいます。

ことあるごとに名著として紹介するのは、スコッツペックの「平気で嘘をつく人たち」(People of Lie)。もう心理学では古典になっているのではないでしょうか。彼のベストセラー、「愛の精神分析」(Road Less Travelled) が、善の起源を掘り下げた著作であるのに対し、「平気で〜」は、悪の起源の探究でしょう。そこで語られる悪は、なんとも掴みどころがない。日常的に私たちの周囲のどこにでも潜んでいて、とくに犯罪になることもない。

しかし、そこにある魂の欺瞞や腐敗は、人間存在の根本のところに関わってくるように思います。見えない冒涜、沈黙の暴力ではないか。後味の悪い読後感は何十年経っても残っています。

当然、文学でもそのような問題を扱った作品があります。レイモンド・カーヴァーの短編の幾つかとか。村上春樹も多くの作品で同様の問題を意識しつつも、カーヴァーほど巧みには描き切ってはいないように思います(もちろん村上は稀有な文学者ではありますが)。両者の違いは、人間の関係性に対する態度の違いと関連があるのかもしれません。

また、哲学書を読んでみても、言葉の軽さにはすぐに気がつきます。頭で哲学をやっている人と哲学を生きている人の文章は違います。例えば、森有正の言葉の誠実さ、実直な盤石さ。内奥から紡ぎ出す言葉の重さ。内部で熟成された経験を彫り込み、他になんとも名付けようがないことを確認して、言葉を選び、定義していく。そこに立ち現れる詩性には惹かれます。

それに対し、大仰な言葉、「真実」「愛」などという言葉を軽々しく使って人を導こうというような方は、危ういな、近づいてはいけないな、と思います。

例えば、「愛」という言葉は、人がその一生を生き切って、この生が即ち自分の考える愛というものだよ、と示すような時に初めて使いうる言葉でしょう。一生をかけて定義しなければいけない言葉です。そうした言葉の重みが感得できない、精神性のかけらも分かっていない浅薄な者が安易に口にできる言葉ではないのです。

しかし、私の審美眼というか、言語感覚も確固たるものではないかもしれません。というのは、以前、ある宗教家の著作にいたく感心したのに、間も無くこの方がイカサマ師だったと分かったということがあります。実情はよく分かりません。もしかすると清廉な初心で宗教活動を始めたのに、堕ちていったということかもしれません。初めからあったペテン性を私が見抜けなかったということかもしれません。

ともかく、危うい言葉には気をつけないと。

2020年10月18日

Zoom 生花道場11〜12月の予定

 


11、12月は、基本型をもう一度見直してみようというシリーズです。

初心者にも入りやすいことでしょう。

上級者は基本型の中に含まれているデザイン原理にもう一度意識的になっていただきたいと思います。できればテキストブック・レベル!(と教室でコメントしたりしますが)の基本型を目指してください。

Zoom Ikebana Dojo

2020年9月17日

2020年9月10日

Zoom 生花道場への序論

 

Zoom 生花道場についてはいつかきちんと成果を報告したいと思っています。失敗もありますし、成長し続けるものでしょうから、途中報告と言うことになるでしょうが。

始めてから2、3ヶ月でしかないですが、いろいろな試行錯誤を重ねてきています。ですから、いけ花で、あるいは他の科目でオンライン指導を導入したいという方に、私たちの経験は幾らかは参考にしてもらえるのではないかと思います。私たちの回り道や苦労を避けてもらうということになるかもしれません。

以前も書いたことですが、気楽に始めたのです。メルボルンのロックダウンはなかなか解除されないので、ちょっと始めてみようかといった具合。

それがとんでもないことになっている、様な気がします。

ともかくよく考えさせられます。自分の能力が試されている感じがします。

特に必要なのは、2種類の思考力ではないかと思います。

一つは、コースデザイン力。指導内容をどの様に伝えていくか、と考えていく力。これには実は私が大学院でやった応用言語学のトレーニングが役立っています。ひとつの成果は新しいいけばなカリキュラムを作ってしまったことでしょうか。国際社会に適応できるいけばなの指導モデルとは?などと考えた人はおそらく今までなかったのではないでしょうか?伝統的な指導を英語に「翻訳」する試みはあっても、そこに「創造」はあまり求められなかったのではないかと思います。

もう一つは、問題解決力。と言ってもうまく言いえていませんが。問題が起こります。その原因を分析します。そこで従来の方法を改め、根本まで掘り返し、全く新しい方法を考え出す創造力、です。実は、これは私が20代の頃に起業して、ずっとやり続けるしかなかったことです。ビジネスの世界でサバイブする根本の力だと思います。と言っても私など、スケールの小さい世界でチマチマやってきたに過ぎませんが。

こうして新しいアイディアが生まれた時というのは、実に嬉しいものです。病みつきになるほどです。もちろん、それが即、問題解決につながったり、利益につながったりということにはならないかもしれませんが。この興奮は学問でもよく味わってきました。テキストの新しい解釈に気づいた時など、これは大発見だ!などと、一人で悦に入るということになります。他の方に認めていただけるかどうか、これはまた別の問題になりますが。そんなところが私にはあります。

オンライン指導を始めてみると、次々に新しい問題が生じ、対策を練っていかないといけません。それが実感です。ですから、与えられたレールの上を安穏と生きていけばいいという生き方をしてきた人には、オンライン指導で成果を出すということは難しいかもしれません。とはいえ、不器用な私たちがあれこれ考え込んだり、つまづいているところをスイスイ乗り越えてうまくやっているという方もきっとあることでしょう。そこがこの時代の面白いところ。

ひとつの大きな課題は、ZOOMをどう指導に使うか、ということ。

オンライン指導は対面指導にかないません。マイナスの点ばかりです。でも、プラスの点もあります。そこを徹底的に洗い出していきました。

私がよく考えていたのは、織田信長の鉄砲についてのエピソードです。確かに威力はあるが、火をつけてから弾丸を発射するまで数分かかる。しかも命中率は低い。これでは戦場で使い物にならない、と多くの大名が相手にしなかったものを、信長は使い方を工夫して大きな戦力にしたという有名な話です。史実かどうかはわかりませんが、ZOOMには使い方次第で、きっと鉄砲の様な力が見つかるはずなのです。

ZOOMを従来のワークショップ型の指導の枠組みの中で使っても、それを生かし切ることにはなりません。オンライン指導をいかに対面指導に近づけるか、という発想では新しいものは生まれないでしょう。オンライン指導を対面指導の「代わりに」使うという発想ではなく、対面指導とは「別のもの」と考えて、オンライン指導の特徴、強みを活かす方法を探る方が生産的である様に思います。

結局、「学ぶ」ということを突き詰めて考え、従来の学びのモデルを壊し、新しいモデルを考えるということになりました。

もちろん、ここで「そんな新しい学習方法にはついていけない」という消費者が出てくることは当然です。その問題への対処もまた難しい。

そこで、マーケティングです。新しい学習モデルができてもそれを上手にパッケージにし、様々な方法でPRしていかないことには商品として成立しません。

私たちには大きな資本があるわけではありません。主導役の私の実力、知名度もたかが知れている。出発点がかなり厳しいのです。

ナイナイづくしの中で、あるのは優れたスタッフのみ。と言っても皆、ほとんどボランティアです。「将来、お金が入るからね、多分」と説得し、あれこれと協力してもらっているのです。

驚くのは、スタッフの熱意。「こんないけばな指導プログラム、世界で一つだけだ、誰にも真似ができない、いけばなを世界に広げることになる」などと皆、大変なプライドと情熱を持って取り組んでくれています。この熱血集団のためにも、多少でもお金になってくれるといいのですが。どうなりますか。

スタッフに協力してもらったのは、まず、親しみやすい、品のあるロゴ作成。これは欠かせません。ロゴのフォントを選ぶのにも数日議論しています。そしてYouTubeの活用。ビデオ編集、SNSの活用など、私には手の回らないことが多いのです。

日本からもZOOM 生花道場への参加者があると面白いだろうなと思っています。日本語案内はこちら。


2020年8月20日

作品集 「新保逍滄2020」


 作品集 「新保逍滄2020」

ようやく完成しました。eBook - Aus$4.99

以下、右側の拡大アイコンをクリックするとサンプルをご覧いただけます。



はじめに

この作品集「Shoso 2020」は「Shoso 2016」以降の作品、2016年から2020年までの新保逍滄の作品を紹介するものです。この間の活動の焦点のひとつは環境芸術における生花の可能性の追求であったと言えそうです。環境破壊の元凶が資本主義でありながら、資本主義のシステム内でしか環境芸術は存在できないのでしょうか。純粋な環境芸術のひとつの形は「贈与」にも似た概念芸術ということになるのかもしれません。相手を決めず、報酬を求めず、できれば匿名で贈る行為。それは自然界の隅々にまで浸透する資本主義に対峙しうる最後の砦。あるいはそれを本物の精神文化と呼んでもいいのではないでしょうか。すると「贈与」は日々の生花の修練が深いところで意味するものとも似通ってくるようにも思えます。孤軍奮闘の折にふと浮かんだ想念です。

Introduction

This is the second collection of Shoso Shimbo’s work , following the first collection, Shoso 2016. It focuses on his works from 2016 to 2020. This is a significant period for Shoso’s career as an artist, expanding the possibilities of Ikebana into the areas of contemporary art, and environmental art in particular.

Shoso has been exploring environmental art from an Ikebana perspective. It is in a sense investigating Western art in the light of Eastern traditions of art.

Some traditional aspects of Eastern art can offer a different perspective on our attitudes to the environment. Art may not be able to instantly solve the difficult problems we currently face, but it can raise questions about the role of capitalism in environmental degradation.

Shoso 2020 reveals his direction toward new type of minimalism, where Japanese aesthetics are re-examined in the age of environmental crisis. Shoso is exploring the possibilities of a union between environmental aesthetics and environmental ethics.

2020年8月18日

思い出すこと:留学生として


出版予定のeBook作品集のために自分の略歴を用意していて、学歴は少し普通じゃなかったな、と思いました。自分で選んだ歩みなので私には不思議でも何でもないのです。自分の中では一つに繋がっています。しかし、日本学修士、教育学博士、美術修士と進みましたから多くの方からすると、何だこいつ?と思われても仕方ないでしょう。本物の学者は普通、一処で頑張るものですが、あちらへ行ったりこちらへ行ったりしているように見えるでしょう。自慢話になるでしょうが、少し説明してみましょうか。歳をとると自慢話が多くなるようで。

日本の大学を卒業するまでは、まあ、そこそこ普通だったでしょう。
それから留学生になりました。
東洋哲学を学士で取っていて、修士号は宗教学が第一希望でした。
しかし、どういった具合か、日本研究科に入ってしまいました。おそらく私の英語力が不足だったのかもしれません。豪州で少しの間、日本語教師をしたいという希望があったせいかもしれません。でも、日本学研究の中で宗教学をやってもいいなと思っていました。

修士に入ってみると、単位数を稼ぐ必要から自分が思いもしていなかった科目を勉強させられます。応用言語学です。日本語教師になるためには必要な科目でしたが。しかし、修士論文は宗教関係がやりたかったので、指導教官とあれこれ相談して、日本の新興宗教を社会学的に研究するということになりました。あまり乗り気ではなかったです。興味のある対象でも、方法でもなかったのですが、教官が社会学者だったのです。結果的には面白い研究体験でしたが。いろいろ状況に流されています。

社会学も応用言語学も何だかやり切った感じがしなかったのですが、修士号が終わった時、強く感じたことがあります。これが学問か!自分が学士でやったことなど、学問なんて言えるレベルじゃなかったな、ということ。

そして、修士の学生の頃、クラスメートの日本人と話しあったことも思い出します。メルボルンで最初の友達でした。日本人留学生を見てみろ。3分の1は脱落する。次の3分1はギリギリで卒業させてもらっている。でも最後の3分の1はトップクラスで卒業している。俺たちはトップで卒業しよう、と。彼は優秀な男だったので余裕でトップクラスでした。おまけに上品でハンサムでユーモアのセンスがあって、こんな日本人もいるのかと呆れたものです。「日本人にしては」英語がうまい、「日本人にしては」背が高い、「日本人にしては」ハンサムだ、俺は「日本人にしては」って言われるのが大嫌いなんだと言っていました。私にはその畏友の気持ちがよくわかりませんでした。そんなこと言われたことがなかったので。二人のアパートが近かったので、いつも通学は彼の古いカローラで送ってもらっていました。不便な立地の大学でしたので、ありがたかったです。私は英語で散々苦労しましたが、Honours(底辺レベルの)という成績はいただきました。

それから思いがけず博士号に進みます。実は変わった先生に出会い、ヘッドハンティングされたのです。「君の修士の成績は良いじゃないか、授業料免除の手続きをしてやろう」という言葉にそそのかされ彼の元へ。教育心理学者です。そこで私の博士号は教育学になります。生活のため日本語教師をしていたので、やれないこともなかろうと、やるからにはベストを尽くそうということでした。ここで役立ったのが応用言語学です。この段階では永住権を取っていたのでもう留学生ではありませんでした。どうも確信は持てないのですが、永住権があれば豪州の大学院は無料ではないかと思います。

指導教官は大学の先生らしからぬ方でしたが、親切でした。
私のために奨学金の案内を取り寄せてくれ、申請しろ、と。
日本の奨学金と違い、返済不要の奨学金です。それでも私は気がすすみませんでした。
「このお金は何に使えばいいんですか?」
不思議なことを言う奴だという顔で私をみて、「生きるためさ」
「生活はできているんで、結構です」
私は事情があって生活ができる以上のお金は必要なかったのです。授業料免除だけで十分ありがたかったのです。お金が必要な学生に回してあげたほうが世のためでしょう。

私の指導教官については破天荒な話もありますが、それはまた別の機会に。私の卒業後、少しして彼は大学を離れ、民間で仕事を始めました。そのほうがふさわしい方かと思います。

博士課程でもいくつか大切なことを学んだように思います。
まず、新しく未知の学問領域に入っていく方法です。これは後に趣味で美術修士に入りますが(これも学費免除)、その際にも役立ちました。

新しい学問に入っていくには、その全体像をできるだけ早く掴むことだと思います。その学問領域の中心はここらで、全体はここからここまで、というおおよその範囲を掴むのです。私が最初に受講させられた教育学概論はその目的のためにうってつけでした。1冊の概論書をもとに、毎回1章ずつ異なる研究分野を紹介してもらいます。大学院生向けのとてもいい入門書でした。歴史的研究、社会学的研究、文化人類学的研究、心理学的研究等々。12章で大まかな全体が掴めます。

この授業で面白かったのは、毎週、論文分析の宿題が出たこと。翌週までに出版された学術論文を分析して、リライアビリティ、バリディティ(日本語訳がよくわかりません)、統計など20ほどの項目につき批判的に分析するのです。これは面白かった。学術誌に出版された論文であっても、完全無欠とは言えないのです。実際、酷いものが多いのです。私は学生としてあまり先生に褒められた記憶はないのですが、この講座の定年間際の先生には、新保は自分の教授生活で最優秀の学生だと言ってもらえました。おそらく手強い学生ばかり相手にされてきた気の毒な先生だったのでしょう。ともかくありがたい講座でした。リサーチ・メソドロジー(研究方法)は、きちんとやっておかないと道を踏み外します。

そして、博士が終わった時、ああこれが学問か、と思ったものです。自分が修士でやった事などとても学問と言える代物ではなかったな、と。自分が登ったと思っていた山を、さらに高いところから見下ろしている感じです。

こんな具合にトレーニングを積んできたので、最後の美術修士は本当に楽しくやれました。それについてはまたいつか気が向いた時に。

ただ、教育学学士、修士をやっていない人間がなぜ教育学博士号に入れるのか、芸大に行っていない人間がなぜいきなり美術修士に入れるのか、この辺は私にもよくわかりません。逆になぜ行けないのかと尋ねてもいいのではないでしょうか。重要なのは研究の方法論です。そこさえ身についていれば、どの学問でもきちんと考えていけるように思います。

2020年8月16日

2020年8月12日

彫刻:木蓮、完成しました。

 



Magnolia Flower

Designed by Shoso Shimbo & Shoan Lo
Stainless Steel, 450 x 1200 x 450

The form of this sculpture was inspired by the magnolia flower. Flowers have held spiritual significance since ancient times. In some cultures, the magnolia flower signifies an enduring true love that lasts throughout time and space. 

Based on Ikebana aesthetics, this sculpture shows the different stages of an opening flower. As the viewers walk around, the flower may slowly open before their eyes. 

Floating Petals

Designed by Shoso Shimbo & Shoan Lo 

The work represents flower petals floating on running water. This combination is one of the most highly admired poetic images in Japanese culture. It signifies both the transience of our existence and the eternal cycle of nature, our spirituality. The metal flowers come from Hiromitsu blacksmith in Izumo, Japan.

Web: Le Pine Funerals

葬儀会館への制作依頼には木蓮の花からイメージを膨らませた。古代より花は精神的な意味を持つものとされてきた。類人猿もまた死者に花を手向けたという。木蓮の花は時空を超えた永遠の愛を象徴するとする文化圏もある。非対称性を用いたことで、周りを歩くと彫刻の花が徐々に開いていく様子が感じられる。

流れの花びらは、花の刹那性と流れの永遠性(大自然あるいは精神性)の対比として日本文化史上、最も親しまれてきたイメージのひとつであろう。壁作品はこのモチーフを元にしている。桜の花弁は出雲の鍛冶職人に特別に制作していただいた。

身近な人をなくした人へ幾らかでも寄り添える作品が作れるだろうか。芸術家としてのキャリア中、最も厳しい、妥協が許されない状況での制作となった。クライアントから喜んで頂け、ひとまず安心したものです。

ポスト・モダンの方法論としては、Hybridizationにあたるかもしれません。幾つかの文化的な影響をひとつの作品に取り込んで、新しい創造を試みているという意味で。現代芸術に散見される奇抜な表現とか見すぼらしい自己表現などは、特定の状況下でそれなりの価値はあるのでしょうが、死を見つめる人の前にあってどれほどの意味があるでしょう。そのような流行を追いかけるだけの薄っぺらなお遊びは不快な障害物でしかないでしょう。

むしろ自我など滅却した職人の伝統的な仕事の流儀に倣うしかないように思えました。花が開く一瞬の生命の緊張感が捉えられないか、そこだけに専念し、それが形になっていればありがたいと思います。

2020年8月8日

生花道場 2020年8月の予定

 

日本の皆様のご参加歓迎いたします。日本語案内

15 August 2020
Special Program - Using more than 5 materials
Apply by 11 August


25 August 2020
Special Program with Mr Katayama
Apply by 11 August - New Deadline!
Mr Katayama agreed to facilitate 2 sessions on 25 August. A few more extra seats are available now.
Please apply soon. We changed application deadline because the participants need some time to prepare for this very special Dojo session.

5 September 2020
Ikebana Aesthetics Program - Line 1
Please check our post about the sessions in September & October. 

生花道場というのはかなり変わった企画だろうと思います。

海外における通常の生け花教室とは、違います。
基本的には民間の私的なビジネスです。
公的な機関でも、非営利を謳う組織でもありません。

実はたくさんの方々に御協力いただけませんかと
お願いしていますが、あまりいいお返事はいただけません。
それは仕方ないと思います。あまり儲かる話でもないですし。
素性もよくわからないということもあるでしょう。

それでも、
勝手なお願いであるにもかかわらず、ありがたいことに御協力くださる方はいらっしゃいます。時に、日本の花道界を代表するような方々から。

おそらく、いくつか面白い、独特なところを認めていただいているせいではないかと思います。

まず、ひとつは海外で生花振興を目的にしているというところ。関心を持って下さる方々は、海外での活動歴があるなど、海外での生花学習者のことを考えて下さる方であるように思います。
しかし、海外の生花学習者になんらかの関心を持つ方が日本にどれだけいらっしゃるでしょう?おそらく多くの方々にとってあまり関係ないですね。

海外の生花学習者を新しい市場として関心を持つ方もあるでしょうが、おそらく大きな花道流派の一部の方々などに限られるでしょう。また、海外進出したいということであっても、問題はたくさんあります。特定流派という家内企業の海外進出ということにとどまらず、日本の文化、生花を海外でどのように伝えていくかということになると、難しい、大きい問題がたくさん出てきます。お金だけ集めて、あとは勝手にやってくれというわけにはいきません。かなり覚悟のいることです。

生花道場にご協力いただける理由が、もうひとつあるかもしれません。それは生花道場が生花ギャラリー賞メルボルン生花フェスティバルとともに、海外における生花振興運動の一環だということだけでなく、それが、小規模ながら長く続いてきた活動の一環だとご理解いただいているせいだろうと思います。生花道場自体は新しいのですが、10年ほどの
ボランティアを含む活動実績が信用の裏付けになっているのかもしれません。そう考えると、信用というのは小さなものであっても簡単には手にできない、しかし、獲得できたなら強力な資産になると言えそうです。

とはいえ、非力の少人数が試行錯誤を続けている現状です。
様々な不理解や問題にも立ち向かっていかなければいけません。
最大の幸運は、とても優秀な方々が味方になってくれているということ。
スタッフには、いつか儲かる話も出てくるから、とか、次の世代のために捨て石になる覚悟を持ったらいいじゃないかと鼓舞しています。鼓舞になっているかはわかりませんが。

さらに、ありがたいのは、この事業を本業としてやる必要がないということ。
これはきちんと事業展開した経験のある方
はご理解いただけるでしょう。キャッシュフローの現状をみれば、ビジネスとして存続できるレベルではありません。
幸運にもそこまでの厳しさを求められません。

まあ、どこまで行けるのか。
自分の仕事も大事にしつつ、とりあえずもう少し続けていけたらと思っています。
いろいろ学ぶことも多いので、それらについてもいつか紹介していきます。

あらためて日本の皆様のご協力をお願いいたします。

2020年7月27日

孤軍奮闘 ー 作品集出版に向けて


まもなく作品集を自費出版します。
と言っても安価なeBOOK 主体なので、どれほど広く行き渡るのか、怪しいところです(ハードカバーの実物版も注文できるのですが)。
「Shoso 2020」
として、前回2016年版の続きということになります。
過去4年間の活動をまとめたものですが、私にしては忙しい日々を過ごしたものです。
時に自作を振り返ってもみるのもいいかもしれません。都市封鎖継続中のメルボルンですから、いい機会です。

反省点は多々ありますが、いくつか気付いた点があります。

まず、一つは自分の作品のスタイルができてきたかな、ということ。
それがいいことなのかどうかはわかりませんが、ともかく、全体的にクリーンな傾向が強まっているように思います。以前と比べて、より単純で、清浄な方向へ向かっているように思います。

なぜこうなったのか、と考えているのですが、私のアート系の関心の出発点には車のデザインがあったせいかもしれません。子供の頃、車のデザインを無数に描いていたものです。車を見る目というのは、かなり発達していたように思います。説明が難しいのですが、例えば、ある車の新型車が発表されたとします。それを横から見て、テールライトの位置が以前のデザインより数センチ下がっただけで、すぐに全体からして「低すぎる」と気付いたりします。そういう目というか、感覚は生け花でも生きていると最近気付きました。おそらく似たような経験は多くの方がお持ちでしょう。車でないにしろ。子供の頃の経験には不思議なものがありますね。

もう一つ、4年間の活動をリストにしてみて、ふと、思い至ったことがあります。生け花の世界から現代芸術の、殊にその環境芸術に殴り込みをかけるという無謀な取り組みをやっているのは、おそらく世界で私一人ではないか?と。自分ではそこにやむにやまれぬものを感じ、非力ながら取り組んできたのですが、「こんなこと、他の華道家の誰もやっていないではないか」と今更ながら気付き、少し愉快な気持ちになりました。だから誰にも分かってもらえないし、相手にもされないのか、と妙に納得。好きなことをやっているのだから、共感者が得られないのは当たり前、と覚悟するしかないのでしょう。

作品集には以下の活動歴を掲載予定です。孤軍奮闘のひとつの成果として、ユネスコの学術誌に環境芸術についての論文が掲載されました。次の段階への小さなステップができたようにも感じています。

「Shoso 2020」まもなく、仕上がります。ご覧いただければ幸いです。

Shoso's Activities  2016 - 2020


Group Exhibitions (Curated)  展覧会

2019 Wa ∙ Ikebana Exhibition, Abbotsford Convent (Since 2015)

2019 Sogetsu Victoria Group Exhibition, Hawthorn Town Hall

2018 Yering Station Sculpture Exhibition

2017 Yering Station Sculpture Exhibition


Commissioned Works / Special Displays (selected) 主な制作依頼等

2020 New Year’s display, Koko restaurant, Crown Hotel (Since 2009) 

2020 Sculpture commission, Le Pine, Kew East, Melbourne

2019 Ikebana performance, Suntory Roku Launch, Crown Hotel 

2019 Ikebana display, RMIT Open Day

2019 Ikebana performance with the Gregorian Brothers, Melbourne Recital Centre

2019 Ikebana performance: The way of flower, Melbourne Recital Centre

2018 Biennale of Australian Art (BOAA), Ballarat

2018 Ikebana performance, International Academic Forum, Kobe, Japan

2018 Lorne Sculpture

2016 Ikebana Display, the Snow Travel Expo, Japan Foundation  

2016 Wye River Project, Lorne Sculpture 


Awards 受賞

2019 Shop Window Competition, Melbourne International Flower and Garden Show  (2nd Place)

2017 The Arnold Bloch Leiber Prize 17th Annual Yarra Valley Arts / Yering Station Contemporary Sculpture Exhibition & Awards


Publication 出版

2020 Environmental art as public art, UNESCO Observatory, Multi-Disciplinary Research in the Arts, 6, 1.9. 

2018 Nature in ikebana: Beyond sustainability (いけ花における自然:存続可能性を超えて). International Journal of Ikebana Studies (IJIS), 6, pp. 55- 60.  

2017 Ikebana in environmental art (環境芸術におけるいけ花の可能性), International Journal of Ikebana Studies (IJIS), 5, pp. 109-113.

2016 Environmental art and ikebana, International Journal of Ikebana Studies (IJIS), 4, pp. 27-38. 


Conference Papers  国際学術会議                                                                                              

2020  Nature in Ikebana: The freestyle ikebana movement in the 1920’s and 1930’s, and its effect on Avant-garde Ikebana after the war. The 11th Asian Conference on Arts & Humanities, The International  Academic Forum (virtual presentation). 

2018 Creativity & Education: Environmental art as a vehicle of message. Central de Studii European, Facultatea de Drept, Universitatea Alexandru Ioan Cuza, Co-funded by the Erasmus + Programme of the European Union, 17 April, Iasi, Romania.     

2018 Environmental art as public art. Creating Utopia Conference, Sponsored by Deakin University, Lorne Sculpture Biennale, March 22 - 25, Qdos Arts, Lorne.  

2018 Japanese aesthetics and environmental art. The Asian Conference on Arts and Humanities, The International  Academic Forum. March 30 - April 1, Kobe, Japan.    

2017 Transition of environmental art: In search of the strategies for sustainability. The Asian Conference on Arts and Humanities, The International Academic Forum. March 30 - April 2, Kobe, Japan.


Shoso Shimbo

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