華道家 新保逍滄

2019年7月12日

「専応口伝」の謎 2


「専応口伝」について、再び。
まず、前回書いたことは、訂正しなければいけません。

「この一流は野山水辺をのずからなる姿を居上にあらはし、花葉を飾り、よろしき面かげを本とし、先祖さし初めしより一道世に広まりて、都鄙のもて遊びとなれる也」

この部分ですが、
「この一流は」
(1)野山水辺をのずからなる姿を居上にあらはし
(2)花葉を飾り、よろしき面かげを本とし
「先祖さし初めし」に続く。

と、通常の解釈に従う方が無難です。
なぜなら、「面かげ」という言葉ですが、その近くに面かげの対象、つまり名詞がないといけません。何の「面かげ」かがはっきりしなくなるからです。
その名詞とは、「花葉」ということになるでしょう。
ですから「花葉を飾り」と「よろしき面かげを本とし」とを離して考えない方がいいのです。

実は、上記(1)と(2)は同じことを繰り返しているのだと気付きました。
もちろん、意味は別です。

野山水辺 / をのずからなる姿
花葉 / よろしき面かげ

この2項対立において、
前者が知覚対象(全体把握は不可能)
後者が対象の全体あるいは本質
という関係になっているのです。

要するに、生け花とは目には見えないものを表現しているのだし、
そのためには、素材の目に見えないものを本にしているのだよ、ということ。

フッサールの知覚の現象学的還元を専応は先取りしていたのでした。

別の機会にもっと詳しく説明します。



2019年7月6日

「専応口伝」の謎 1


生け花について考えていると、「専応口伝」はどうしてもその作業の出発点になってきます。それについて書かれたものはたくさんあります。しかし、ほとんどの解説はあまりに薄っぺらです。特に、みなさんがブログなどで読むことのできる解説のほとんどは読む価値のないものが多いようです。

もしかすると私がこれから書こうとすることも、無意味なブログの解説のひとつ、ということになるかもしれませんが。

ともかく、「専応口伝」の謎について、です。
おそらく私の知る限り誰もまともに考えたことのない謎。
そして、花道の核心にも関わってくる謎。

次の有名な序文を熟読してみましょう。

「瓶に花を挿す事いにしへよりあるとはきき侍れど、それは美しき花をのみ賞して、草木の風興をもわきまへず、只さし生けたる計りなり。この一流は野山水辺をのずからなる姿を居上にあらはし、花葉を飾り、よろしき面かげを本とし、先祖さし初めしより一道世に広まりて、都鄙のもて遊びとなれる也」

注目すべきは、第2の文章。
生け花の核心を述べた文章としてもっとも重要視されているものだと思います。

「この一流は」
1、野山水辺をのずからなる姿を居上にあらはし
2、花葉を飾り
3、よろしき面かげを本とし
この3つの修飾節が、「先祖さし初めし」にかかっていきます。

これはおかしいと思いませんか?
ここには不自然な分かりにくさがあるのです。

実はこの3つの修飾節、順番が逆です。

本来、以下のようにならなければなりません。
1、よろしき面かげを本とし
2、花葉を飾り
3、野山水辺をのずからなる姿を居上にあらはし

「先祖さし初めし」に続く。
これで初めて意味が自然に通るのです。

なぜこんな事になったのか?
なぜ不自然な順にしているのか?
なぜ5世紀もの間、誰も問題にしなかったのか?
そのために花道史上、どんな問題が起こったのか?
あるいは私の言っている事自体がおかしいのか?

いずれ私の考えを発表します。

しかし、私の説は特殊なものかもしれません。

通常は、
「この一流は」
1、野山水辺をのずからなる姿を居上にあらはし
2、花葉を飾り、よろしき面かげを本とし
以上の2つの修飾節が、関連し合うことなく、並列の関係で
「先祖さし初めし」に続く、ということになるのでしょうか。

この場合の問題点は「よろしき面かげを本とし」があまりに軽視されてきたということ。
面かげとは何か。

これもまた別の機会に。

2019年6月27日

一日一華:当たり前


最近のある出来事。
自分では当たり前と思っていたことが、
実は、他の人からすると全く思いもつかない考え方だった、
ということだったのかな、と反省しているところです。

私は数十年生け花をやっています。
生け花の課題、問題点、可能性、そうしたことを考えるのは、
私にとっては当たり前のことです。

特に、生け花は全体としては衰退していると思います。
そこで、何か対応を考えようとするのは、私にとっては当たり前のこと。

どうしたらより多くのいけ花学習者を獲得できるのか?
これから生け花はどういう方向を目指すべきなのか?
ポストモダンの文化的状況に生け花をどう対応させるか?

こういう問題意識を持っている方は多いように思います。
私はいろいろな生け花関係者とお話しする機会に恵まれてきましたが、
それらは共通の問題意識でした。

もちろん、自分のために生け花をやるのだという方もあるのでしょう。
しかし、私は本当に「自分のためだけに生け花がやれる」ということが
よく理解できません。

ある生徒とじっくり話す機会があり、
この生徒からは私のことが全くわかってもらっていない、と気付いたのです。

私の生け花指導のミッション、目的というものを
きちんと説明しておかなければ、と思いました。

別の生徒から自分のミッションをきちんと発表することは
大事ですよ、とアドバイスされました。
それが嫌ならクラスに来ないでください、そう言ったらいいんです、と。
そこまで言う必要はないでしょうが。

ただ、私の意図が共有されていないと、この生徒はなぜこちらへ動かないのだろう?
というような少々困った経験をすることになるのだ、と
今更ながら、気付いた次第。


2019年6月22日

メルボルン生け花フェスティバル Update 4


2019年6月末:出展者申し込み締め切り
7月1日:デモ、アーティスト・トーク予約開始
8月31日&9月1日:和・メルボルン生け花フェスティバル開催
詳細は次まで。http://waikebana.blogspot.com

先日、クラスで生徒に協力をお願いしました。
これだけの国際的な生け花文化祭に一人$40で出展できるんだよ!と。
$40と言ったら、4000円弱でしょうか。
パスタ一皿くらいの値段でしょう。
日本だったら10倍はするよ。
これはすごいことなんだけど、実は私たちの会計は火の車なんだ、と。
保険、会場費用、デモンストレーターへの謝礼、それに海外からの出展者にお礼もしたいのになあ、と。
そこで、お願いがあります。
寄付じゃないよ。ワークショップをPRしてほしい。
友達、知り合いに参加を呼びかけてほしい。
実はワークショップからの収益はとても助かるんだよ、と。
皆、真剣に私の話に耳を傾けてくれます。
帰り際に皆チラシを手にして帰ってくれました。
たぶん大丈夫かなと思ったものです。

すると、次の週には、
外国からの出展者のためのお土産は私の会社が提供しますから、という方、
今度著名な億万長者に会うので、スポンサーをお願いしてみますね、
さらに、匿名でお願いね、と$1000(10万円くらいでしょうか)寄付してくれる生徒が出てきました。
なんとも心強い生徒達です。
この団結力があれば、きっとこのイベントはうまくいくだろうな、と思います。
このイベントをいいものにしたいという生徒達の気持ちが
出展者、来訪者の方々に伝わるならば、きっとすばらしいものになるでしょう。

2019年6月13日

メルボルン生け花フェスティバル Update 3




メルボルン生け花フェスティバルとか、
メルボルン生け花月間、というような企画は必要かなと、長い間、思っていました。

メルボルンでは、生け花はまだマイナーな存在です。
「生け花って何?」という方も多い。
あと10倍くらいは生け花学習者が増えて当然と思います。
もっとピーアールしなければいけない。
その目的のためには、メルボルン生け花フェスティバルというのは
効果があるのではないか、と。

いろいろな方に協力をお願いしたのですが、なかなか成果が上がりません。
私の力不足、さらに、先立つ資本がない。

ともかく、「もうグループ展覧会なんて呼ばせない、生け花フェスティバルだ!」と宣言してみました。
私の生徒には笑われたものです。
「フェスティバルと言ったら、普通は・・・」
確かに。

実は、はじめはスポンサーを探そう、日本から著名な方を呼んでやろう、
などという方向で動いていたのです。力のないものがいきなりホームランを狙うようなものでしょうか。

それを諦めました。挫折が転換点になりました。

お金をあまりかけることなく、あれこれ工夫できないか。
他に頼るのではなく、自力で何ができるか考えてみようと。
すると、そこそこフェスティバルらしくなってきました。

まずは、会場を従来の3倍くらいの規模に拡大(300人収容。会場費用はあまり変わらない)
生け花の様々な側面を見せる (デモ、トーク、ワークショップ、さらにパフォーマンス:いずれも私たちが従来やってきた活動をほんの少し拡大するだけ)
外部からも出展者を迎える(出展者が少なくてはフェスティバルとは言い難いでしょう。私たちは小さなグループかもしれませんが、世界中から出展者を招けばいいのです!
幸い日本他諸外国からも出展者希望者がありました(まだ募集中です)。

これらのプログラムの中でパフォーマンスだけは、少し特異なもの。
私が選んだのは国際的なミュージシャン。
「メルボルン生け花フェスティバル」を一般の方々に知っていただくには
これ以上の方々は滅多にないでしょう。

ただ、催行するにはお金の額が他のプログラムと桁違いです。
しかし、私の生徒やサポーターの集客力を考えると、かなりチケットが売れるのではないか、利益は出ないとしても、最悪の場合でも私の赤字はさほど大きなものにはならないだろうと。将来への広告費用として考えたら悪くはないでしょう。

このパフォーマンスについては書きたいことがあれこれありますので、また別の機会に。
https://ikebana-shoso.blogspot.com/2019/04/blog-post.html
https://ikebana-shoso.blogspot.com/2019/03/blog-post_14.html

ともかく、こうして「メルボルン生け花フェスティバル」第1回目は誕生に向けて動き出しています。成功か否かの鍵は、おそらく私の生徒たち、協賛メンバーがどこまで、熱い思いを持ち続けられるか、私がそこを大切にできるか、かなと思います。

そして、今もっとも気がかりなのは、実は、お客様の数が多すぎたらどうしようか、ということ。これについてはまた別の機会に。

メルボルンの花展に出展しませんか?
日本からのご参加をお待ちしています。
https://waikebana.blogspot.com/p/blog-page.html




2019年6月9日

メルボルン生け花フェスティバル Update 2



メルボルン生け花フェスティバルのおおよそのところが決まりました。
スタッフは皆準備に取り掛かっています。
しかし、まだ、どうなるのかわからないところがあります。
3ヶ月の準備期間に思いがけない、面白いことが起こるのではないか、
そんな予感があります。

美術修士号くらい持っているキューレーターを入れてみたい、
写真家の卵に写真を撮ってもらったら、出展者は喜ぶだろうなあ、
花の名前の付いた製品を作っている著名香水店に出店してもらえないか、
オープニングには当地のそれなりの方をお呼びできないか、
生け花をもっと面白い形で紹介するワークショップ、アートパフォーマンスを
手配できないか、
オープニングに著名な和太鼓奏者が「とび入りしましょうか」などと言ってくれている、
などなど。

今までの生け花展の多くは、トップダウンだったろうと思います。
上の方が様々な決定をし、メンバーがそれに従う、という。
私が私の生徒やスタッフに言っているのは、「メルボルン生け花フェスティバルはフレームワークなんだ。その中に入りそうなものがあったら、それを盛り上げてくれそうなことがあったらなんでも提案し、自分で企画しなさい」ということ。
さらに、「自分は実行委員長でありながら、二日間とも会場に顔を出せないんだよ」と。
随分ひどいものです。

生け花にはいろいろな面があるのです。展覧会だけで終わる必要はない。
もちろん面倒は増えます。

例えば、私のスタッフに小さなスケールで子供向けのワークショップをやったことがある生徒がいます。彼女に今回はIkebana For Kids の企画、運営を任せました。
内容、料金、全て決めなさい、と。
収益が出たら、少しは運営側に払って下さい。
赤字なら無料だよ、と。
これはビジネスの経験の乏しい人にとっては一つのビジネス予行体験。
さらに様々な法的な部分も整えないと子供向け事業は成り立ちません。
これもいい勉強です。

彼女が一人でIkebana For Kids と言う企画を作り、教会のホールを有料で借り、自分で宣伝しても、利益が出るほどのことにはなかなかならないだろうと思います。
それが、メルボルンの実情です。
「華道師範」と言う看板を出してすぐ人が集まるわけではないのです。
ところが、「メルボルン生け花フェスティバル」と言う、いわばブランドの元、やってもらえば小さな成功体験にしてもらえるのではないか、と思うわけです。
それを将来に生かしてもらえないか。
自分の生徒の華道家としてのキャリアの心配などする必要がないという先生も多いでしょうが、メルボルンという土地柄、多少の配慮が必要かなと感じています。

Ikebana For Kids
私の予想ですが、おそらく前売りチケットは完売するでしょう。
「メルボルン生け花フェスティバル」はかなりの観客動員力を持っています。
その点では少し特異なイベントです。
https://waikebana.blogspot.com/p/program.html

2019年6月3日

メルボルン生け花フェスティバル Update


メルボルン生け花フェスティバルまで3ヶ月を切りました。
6月末まで日本からの出展者のお申し込みを受け付けています。
まだ、日本からの申込者は数名ですが、とても楽しみな方々です。
私たちのサイトでご紹介できればと思っています。
www.waikebana.blogspot.com

今回は私が1年限定で実行委員長を担当させていただきます。
いつも思うことですが、私の周りの方々はいい人が多い。
ですからとてもやりやすいのです。ありがたいことです。

きっといいフェスティバルになることでしょう。

考えてみると私は人との出会いに恵まれてきたなあとよく思います。

もちろん難しい人と出会ったことはあります。
尊敬していたのに、実は虚偽の人だったというようなこともありました。
必要以上に失望し、気持ちは落ち着きませんでした。
礼儀知らずなものですから相手がどれほど偉い方であってもためらうことなく声をかけていましたが、以来、慎重になりました。

また、Eric Berne の交流分析に出てくる、"See What You Made Me Do" (あなたのせいだよ)というパターンにもちこむ人や、スコッツペックの「平気で嘘をつく人たち」のような、少し壊れている人にも関わったことはありますが、あまり長くは続きません。
先方から私が嫌われてしまいます。
私が逃げてしまう、というのがより正確な表現なのかもしれませんが。

しかし、あのような人たちと関わらずに生活し、活動できるのだからやはりありがたい!
と、結局、自分の幸運に感謝するわけです。

2019年6月2日

メルボルン生け花フェスティバル参加者募集中


メルボルンの花展に出展しませんか?
日本からの申込締切は6月末日です。

詳細は次からどうぞ。waikebana.blogspot.com

上記サイトでは出展者の紹介も行っています。
サイトへ行き、Label のExhibitor をクリックして下さい。

2019年4月30日

読書の愉しみ:生け花ーその可能性の中心


基本的に読書は好きです。
しかし、残念なことに愉しみのための読書はしばらくしていません。

今のところ、学術論文を書くための読書がほとんどですが、
その核になる書物から、少し離れた書物、
参考文献に加えられるかどうか、怪しいあたりの書物に、実は、とても面白いものが多いのです。

今、気になっているのは西洋モダニズムのいけばなへの影響。

「日本美術を見る眼」(高階秀爾)は、江戸末期以降、日本美術が西洋モダニズムを競って取り入れたあり様を教えてくれますが、おそらく同様の、新しいものへの激しい憧れが生け花の世界にもあったのだろうと思われます。

もっとも顕著なのは昭和8年成立とされる「新興いけばな宣言」。
生け花を大きく変えていくことになり、草月流、小原流などの比較的新しい華道流派にも影響を与えています。

こうした流派は、人気からして現在、日本の華道界の中心的存在でしょうが、西洋モダニズムの影響をたっぷり受けた流派と言っていいと思います。

しかし、西洋モダニズムの行き詰まりがはっきりしてくるにつれ、生け花のあり方にも再度、新しいものが求められているのではないか。ポスト・モダニズムの時代に、いつまでも花は自己表現だとか、人間中心だとかモダニズムの哲学を振り回しているわけにいかないでしょう。

新たな生け花革命が求められているのではないか。

私が注目しているのは、西洋モダニズムの影響を受ける以前の生け花のあり方。

そこには、モダニズムを乗り越え、ディープ・エコロジーを取り入れるヒントがあるのではないか。

西洋のキリスト教思想からは、人間主義的(人間のための)エコロジーしか生まれてこない、とされます。おそらく自然を客体視する態度が根本にあるからでしょう。それを超えた、つまり、人間中心主義を超えたエコロジー(ディープ・エコロジー)にこそ、新しい可能性があるのではないか。

それは「神と自然と人間が同心円的にひとつの世界を作っている世界観」(「修験道という生き方」宮城泰年、田中利典、内山節)に基づく生け花(あるいは環境芸術)のあり方を考えることに繋がってきます。

同著の田中によると、「神殺しの日本」(梅原猛)で、梅原は明治以前に戻れとおっしゃっているらしいですが、生け花についても同様かもしれない。明治以前、西洋モダニズムの影響を受ける以前の生け花のあり方に光を当て、それを現在の文脈で再度学び直せないか。

そんなことを考えていると、唐突に、しかし、確信的に「修験道やるしかないだろう!」と思えてきます。

さらに、そんなことを考えていると、以下のような、ゾクゾクするような一節にであったりするのです。

「上田氏は、神道的宗教においてまず何よりも先行するのは『神との対面』であると言っています。私たちは普通、私たちの世界像の枠組みの中で神に出会うと考えています。(中略)それは本当の宗教体験ではないというのです。真の宗教体験では、一切に先行して『神との対面』があるのです。つまり自然があるかないかより先に『神に対面』するのです」(「日本の宗教とキリストの道」門脇佳吉)

20年以上前でしょうか、オウム事件のあった後でしたが、友人に誘われて、上智大学での門脇氏の講演を聴講したことがあります。以来、門脇氏には心服しています。「道の形而上学」「身の形而上学」は名著。その他のすべての著書をじっくり読んでみたい方です。

ともかく、こうした様々なことをあれこれ考えているわけです。
論文の締め切りまでに、少しでも何かまとまった考えが生まれてくるのか。
とんでもない問題に首を突っ込んでいるような気もしています。

2019年4月23日

募集&募集


Would you like to get your ikebana essay published?
国際いけ花学会では日本語あるいは英語のエッセーを募集中です。
Deadline: 30 September 2019
International Journal of Ikebana Studies

Post your work to be selected for the Ikebana Gallery Award 2019
生け花学習者ならどなたでも無料で簡単に参加できる生け花コンクール。
Deadline: 30 June 2019
Ikebana Gallery Award: The international ikebana award for all ikebana students

Join Ikebana Gallery Award (IGA) Committee
生け花ギャラリー賞ではボランティアの運営委員を募集中です。
Deadline: 30 June 2019
Join IGA committee to support thousands of ikebana students around the world.

Join Melbourne Ikebana Festival as an exhibitor
メルボルンの花展に出展しませんか?
Deadline: 29 May 2019 (tour participant) / 28 June 2019

Join Shoso's course, Japanese Aesthetics: From Ikebana to Contemporary Art
日本美学・生け花から現代芸術へ。実践的な短期講習です。
Starting on 8 May 2019

Enjoy Wa: Ikebana Performance with the Grigoryan Brothers
世界的な音楽家と生け花のコラボ。是非ご覧ください。
31 August 2019
Melbourne Recital Centre

2019年4月9日

生け花パフォーマンスの提案



生け花パフォーマンスについてはあれこれ書いてみましたが(https://ikebana-shoso.blogspot.com/2019/03/blog-post_11.html、私の提案する一つのあり方がようやくまとまりました。

国際的な音楽家とのコラボ。
1時間に抑揚をつけて制作していく。

チケット販売開始です。
チケットがかなり高価であるのが心配ですが、
どのように受け入れられるでしょう?

あまり頻繁にやれることではないので、できればたくさんの方、
特に生け花に関わる方々にご覧頂けたら、と希望しています。

というのは、私自身、30年くらい前になりますが、
勅使河原宏のメルボルンでの生け花パフォーマンスを見ていて、
それが自分に影響を与えていると感じるからです。
https://ikebana-shoso.blogspot.com/2019/03/blog-post_24.html

記憶はかなり曖昧です。
時期は90年代初め頃、私が彼の家元クラスを受講していた後、だったはずです。
ただ作品の印象は残っています。

当時は、まさか自分が同じような挑戦をやることになろうとは思ってもみませんでした。
ただ、ああ、生け花にはこんなこともできるのだな、と思ったことを覚えています。

実は、今回、この企画にたどり着くまでには、紆余曲折がありました。
幾つかの案が潰れ、また、潰しました。
自分の求めるものは何か、と何度か自問しました。
その時、一つのモデルになってくれたのが、勅使河原宏のパフォーマンスでした。

同じように、私のパフォーマンスを見てくれる方に
何か、残せないか、伝えられないか、と希望しています。
こういうところは改めるべきだとか、批判があってもいいと思いますが、
何かの形で影響を残せるようなものにしたいものです。

お知らせ:生け花パフォーマンス予約受付中

Wa: Ikebana Performance with the Grigoryan Brothers
31 August 2019
Melbourne Recital Centre
Booking: http://bit.ly/IkebanaGrigoryan

2019年3月28日

メルボルン・フラワー・ショー2019雑感


2019年のメルボルン・フラワー・ショーに出展しました。
Melbourne International Flower and Garden Show
3、4年ぶりの出展です。

南半球最大のフラワーショーとなりますから、メルボルン在住の業界人としては無視できないイベントなのです。

しかし、思うところはいろいろあります。

まず、私が過去数年出展しなかった理由は、

1、PR効果が案外少ない。入場者10万人とありますが、出展、あるいは受賞したとしてもその効果は少ないのです。会場で私の作品を見て、教室に入ってくれたなどという方は過去10年、皆無です。これは花部門についてのことであり、庭部門では事情が違うのかもしれません。

2、他のイベントと重なる。秋のメルボルンは多くの行事が開催される時期です。過去数年、同時期に開催される重要な彫刻展や学会に招待され続けたのです。

3、 賞、審査に対する疑問。フラワーショーに参加すること、すなわち賞レースに参加することになります。避けられないのです。大企業が大きな予算で制作する作品の隣では、なかなか自作は映えません。賞など気にすることなく、自分が満足できる作品を作ればいい、というスタンスで続けてきました。

しかし、花を大量にゴテゴテ使用しただけの受賞作を見ては、ここは自分が出展する場ではないのではないか、という思いを強くしてきました。自分のアプローチは、一般に評価される装飾としての花ではないのでは?と。

不思議なもので、芸術性のない稚拙な作品(失礼。私にそう見えるというだけのことです)であっても受賞作となると、よく見えてくるものなのです。逆もしかり。

彫刻の方で評価をいただける機会が続き、自分が表現したいものが理解していただけるのは彫刻だ、と思うようになっていました。

4、すでにこのショーで最高の金賞を受賞済み。2回3回とってもあまり意味はないでしょう。

5、制作の費用、時間はなかなか負担が大きい。

大体こんなところです。

それにもかかわらず、今回出展したのは、作品集出版のための作品写真が必要という事情が最大のものでした。

さらに、8月末に予定しているメルボルン・生け花・フェスティバルのPRに効果があるかもしれないということも大きいものでした。

おそらく分かってはもらえないだろうから、賞は期待しない、自分に挑戦するための作品、自分にとって意味のある作品を作る。妥協しないこと、という心がけで臨みました。審査員や多くの観客の気に入るように不必要に飾り立てたりするのは馬鹿げたことに思えます。

結果、予想通り、自作は他の多くの作品とは別の領域に属しているなあ、と感じました。
もちろん、他の作品を批判するつもりなどありません。実際、すばらしい作品が多数あったのです。例年以上ではないでしょうか。ただ、私とはアプローチが違います。

そもそも、自作ときたら、花を一輪も使っていない!
「作品の7割以上に花を使わなければいけないんでしょう?ガイドライン無視しているんでしょう?」と私の生徒が笑っていましたが。

それでも、私の生徒の何人かがとても感心してくれましたから、それで良しとし、まあ、生徒のため、そして自分のために出展したんだよと納得。

さらに、実は、私自身、今回は不思議な満足感を経験しました。

ここまで手をかけると、作品が生命を獲得するのだ、という感じ、でしょうか。
その「ここまで」という、到達点がはっきり実感できたのです。
ただの自己満足かもしれませんが。
ともかく、とても充実した経験でした。
こうした、自分に挑戦する機会は必要でしょう。

2019年3月20日

Wa パフォーマンス概要決定


Wa: Melbourne Ikebana Festival presents Ikebana artist Shoso Shimbo in concert with the Grigoryan Brothers. Shoso will create a large scale floral installation to the music of the world renowned guitar duo in an intimate setting that brings the audience right up close to this captivating performance.

Tickets: https://www.melbournerecital.com.au/

概要が決定しました。詳細は2、3週間後に発表できる予定です。よろしくお願いします。

お知らせ:生け花パフォーマンス予約受付中
Wa: Ikebana Performance with the Grigoryan Brothers
31 August 2019
Melbourne Recital Centre
Booking: http://bit.ly/IkebanaGrigoryan

http://www.shoso.com.au
https://www.facebook.com/ikebanaaustralia

2019年3月14日

生け花パフォーマンスとは何か?(5)  






生け花パフォーマンスについての覚書、5回目。ひとまず最後の覚書です。1回から4回までは以下です。
https://ikebana-shoso.blogspot.com/2019/03/blog-post_11.html
https://ikebana-shoso.blogspot.com/2019/03/blog-post_12.html
https://ikebana-shoso.blogspot.com/2019/03/blog-post_13.html
https://ikebana-shoso.blogspot.com/2019/03/blog-post_24.html

私の次のパフォーマンスは、和:メルボルン生け花フェスティバルのイベントの一つとして行う予定です。

タイトル:Wa - Fluid Harmony
日時:2019年8月31日土曜日7〜8時
場所:メルボルン・リサイタル・センター
チケット: https://www.melbournerecital.com.au/

このプロジェクトの特徴を幾つか挙げてみましょう。

1:共演者が国際レベルの方々。Grigoryan Brothers先のポストでも簡単に紹介しました。世界最高峰のバッハの演奏を背景に、花とたわむれることができるなんて、至高の体験となりそうです。

まず、最初の1曲は、Grigoryan Brothersだけで演奏してもらいます。私のリクエストはバッハ、曲はお任せ。2曲めから私が登場し、生け始めます。曲はかなりテンポの速いものが続きます。私の制作時間もたっぷりあります。

私の動きそのものは、ダンスではないですから、機能的なものです。動きで楽しませようなどとはしないつもりです。無駄なく、キビキビと生けていけばいいのです。私の動きなど二義的なもの。重要なのは目の前でできていく花です。

Grigoryan Brothersのギターを弾く動きが二義的なものであるのと同じことです。聞こえてくる音楽が重要なのです。

コラボの最後もバッハをリクエストしました。最後のバッハが演奏される頃には、私の制作もほとんど終了しているはずです。1箇所、2箇所手入れをして曲とともに終了。しっかり花を楽しんでいただこうと思います。

2:場所がインティメート。会場はコンサート会場としてはオーストラリアでも最高レベル。そこの小さなサロンを借ります。140人しか入りません。客席とステージがすぐ近くなのです。目のすぐ前で花を見、ギターを聴いていただこうというわけです。花と音楽の贅沢なライブ・パフォーマンスとの一体感を楽しんでいただけたらと思います。

この会場、私は1回使ったことがあるだけですが、すぐに気に入りました。雰囲気が素晴らしい。音響が世界最高レベル、搬入もしやすく、スタッフが気持ちよく働いています。

3:チケットの値段は微妙:彼らだけでも十分チケットは売れるのです。彼らがメルボルン交響楽団に招待されて演奏する際にはチケットが$100以上です。新保に招待されたら、少しは安くしないといけないでしょうが、かなり高価でも完売が目指せるのではないかと、ビジネスマンの私は思うわけです。素人判断は危険で、油断はできませんが。間も無く宣伝開始します。ご都合がつきましたら是非いらっしゃってください。

さらにビジネス面での話になりますが、このパフォーマンス販売のターゲットが、極めて限られた層になります。実は、彼らこそ、生け花に関心を持っていただきたい層、しかし、なかなか訴求手段のない層なのです。エイジ紙への広告、リサイタルセンターの常連客への広告などが会場費用(安くはない)に含まれていますので、質のいいコンサート、パフォーマンスでさえあれば、成果は得られることでしょう。和:メルボルン生け花フェスティバルの認知度を上げるためにも最適なプロジェクトになりそうです。「生け花はこんなことができるのか」などという感想を持つ方が出てきてくれたらありがたいですね。

つまり、演奏者、会場の力を借りて生け花を引き上げてもらうのです。これが、無名の奏者、さえない会場だったらどうでしょう?生け花が奏者を引き上げることになります。生け花の力(人を集める力など)が認められている日本のような状況ならば、それは可能でしょう。しかし、ここメルボルンではそれはかなり苦しい選択です。こうした現実的な配慮も踏まえての戦略的な企画です。とにかく楽しんでいただけるよう、自分も楽しんでいこうと思います。

そうそう、次回からはこの企画にスポンサーがついてくれたらありがたいですね。もっと安価にこの文化体験を提供できるでしょうし、スポンサーにとっても広告効果はあると思うのですが。次回は、国際的なジャズピアニストとのコラボが実現するかもしれません。

http://www.shoso.com.au
https://www.facebook.com/ikebanaaustralia

お知らせ:生け花パフォーマンス予約受付中
Wa: Ikebana Performance with the Grigoryan Brothers
31 August 2019
Melbourne Recital Centre
Booking: http://bit.ly/IkebanaGrigoryan

2019年3月13日

生け花パフォーマンスとは何か?(4)


生け花パフォーマンスについての覚書、第4回目。1から3回目は以下です。

生け花パフォーマンスで見せる焦点は、プロダクト(作品)ではなく、プロセス(制作過程)。その方法については、生け手の所作の洗練具合に応じて、3種類くらいに分けていいのではないかと思います。もちろん、私の見知っているパフォーマンスには限りがあり、もしかするともっと別のやり方があるのかもしれませんが。

まず第1のタイプは、生け花儀礼のパフォーマンス。おそらく見たことがないという方も多いと思います。私はたまたま池坊専永家元が、両脇にアシスタント役を一人づつ配し、実演してくださったものをメルボルンで拝見しました。花を準備する、切りそろえる、最初のひと枝をいける、等々という手順を一つ一つ様式化していくものであるようです。このプロセス、所作をさらに洗練し、様式化していったなら、茶道に通じるものがあるように思います。生け手の所作を洗練させる一つの極限として位置付けておかなければいけないでしょう。

第2のタイプは、生け手の所作を変化していく作品とともに見せるもの。大部分の生け花パフォーマンスはこのタイプに入ります。面白いのは、生け手が一心不乱に生けるその姿。無駄のない所作、隙のない動き。前回も書いた通り、私が目指すパフォーマンスも基本的にはこの路線です。

具体例は幾つかあります。

まずは、人気の「花いけバトル」。制限時間5分という厳しさ。さらに競争原理を持ち込むのですからエンタメとして成功するのは当然です。私もメルボルンで花いけバトルを開催していただけないかと日向先生にご相談しています。いつか実現するのではないかと思います。ただ、ひとつの問題は、当地の観客がどう受け入れてくれるか、です。日本のように生け花が普及しているわけではないのです。下準備が必要かもしれません。

また、昨年(2018年)、假屋崎省吾さんがメルボルンで生け花ショーをなさいました。15分で5作を生けるというものでした。1作3分です。全て直留め、当然、同じようなデザインになってしまいます。假屋崎さん本来の、緻密でありながら、軽妙な作風など望めないでしょう。それでも彼の所作には人を惹きつけるものがありました。

さらに、1990年頃でしょうか、勅使河原宏氏がメルボルンで大作を公開制作されたことがあります。小舟を花器に見立て、ステージ上に花の森が出現したものです。私にとっては生け花パフォーマンスのひとつの典型となっています。多くのアシスタント(片山健先生もその一人だったとのこと)が、機敏に、無駄なく動いていく、見事なものでした。音楽が流れ、完成後、ライティング効果で作品が一層映えました。

さて、第3のタイプですが、これは最近、幾つかソーシャルメディアなどで拝見したものが主です。かなり勢いのある音楽、ダンサー、照明などを使い、花を素早く生けていきます。グループ制作の場合も個人制作の場合もありますが、共通しているのは、残念ながら生け手の動きが美しくないということです。枝を大げさに振り回してみたり、わざとらしい、無駄な動きが目立ちます。これは、前回、私の失敗として書いたことに通じる点です。
ダンスと生ける行為を組み合わせたいという気持ちはよくわかります。ダンスをきちんと勉強した人ならば、それは可能かもしれません。しかし、素人には無理でしょう。
しかし、もしかすると、このようなパフォーマンスのあり方は進化の途上にあるのかもしれません。これからもっと洗練され、面白いものになっていくのかもしれません。私ごときの批判は無視して頑張ってほしいと思います。

以上のようなことをあれこれ考えて、では、私はどんなことがしたいのか?次回はひとまずの結論です。


生け花パフォーマンスとは何か?(3)


生け花パフォーマンスについての覚書の3回目です。
1、2回目は以下です。
https://ikebana-shoso.blogspot.com/2019/03/blog-post_11.html
https://ikebana-shoso.blogspot.com/2019/03/blog-post_12.html

私にとって重要な生け花パフォーマンスの経験は、2013年ごろMelbourne Now の一環としてNGV(ビクトリア国立美術館)で行った、ユミ・ウミウマレさんとのコラボです。

私見では、あまりうまくいかなかったパフォーマンスでした。
それは私のせいです。しかし、勉強にはなりました。

ユミさんは、舞踏家で、3.11の津波被害後のパフォーマンスで、自分の子供が津波に飲み込まれるのをただ見つめるだけの母親、を演じ切ってしまうとんでもないアーティストです。観客は皆、切なさに息を飲んで見入ったものです。

NGVでのパフォーマンスでの反省点ですが、まず、自分のコンセプトが観客に伝わる形で表現できなかったこと。

私たちの共通のコンセプトは、再生というパッセージ(過程)でした。生け花は、切り花の段階で命を失っている花を、もう一度蘇らせるもの。花を生かす、生き返らせるから生け花なのだという、生け花の本質を表現したいという大それたものでした。

ユミさんは観客に話しかけたりしつつ、このコンセプトを伝えようとしてくれました。よくやっていましたが、私は基本的に演じるなどということは不可能なのです。

これは、第2の反省点、発見でもありますが、私にできるのは生けるという所作だけなのです。いけるという所作が、観客に面白いものでしょうか?面白くすることはできるでしょうか?

その数年後、ユミさんと再びコラボの機会がありました。ユミさんにお願いしたのは、自分は一心不乱に生ける、それしかできないから。あとはその周りで貴方で思い通りに踊り、ストーリーを作ってくれ、ということ。

無責任ですが、私が下手に動くと全く美しくないのです。プロの動きと素人の余剰な動きでは比べようもありません。プロの舞踏家に対抗しうるものが自分にあるとすれば、ひたすら生ける姿だけだろうということです。そして、変化し、出来上がっていく花。花という主人公に対する脇役としての生け手、これをセットにすれば、なんとか見ていただく価値があるのではないかと思っています。

この生け手の所作についての私の認識が、他の生け花パフォーマンスを区分する際の基本になっています。どういうことか?次回に続きます。

補足ですが、近年作った彫刻「鯨の胃袋」が、当地における現代彫刻家の登竜門的なABL賞を受賞しました。プラスチック公害にコメントしたものですが、ユミさんはこの作品と踊りたいなどと言ってくれています。いろいろな条件が出揃えば、次のコラボにつながるかもしれません。


お知らせ:生け花パフォーマンス予約受付中
Wa: Ikebana Performance with the Grigoryan Brothers
31 August 2019
Melbourne Recital Centre
Booking: http://bit.ly/IkebanaGrigoryan

Shoso Shimbo

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