華道家 新保逍滄

2019年10月23日

和:メルボルン生け花フェスティバル成功の秘訣(3)


メルボルン生け花フェスティバルについての雑感3回目です。
前回分は以下です。

メルボルン生け花フェスティバルの目標は、一言で言って「生け花人口の拡大」。
もっと多くの人に生け花の魅力を伝えたい、ということ。

もちろんメルボルンでも従来からそのような努力は続けられてきました。しかし、生け花展を開催しても、見に来てくれる方は限られているようです。日本に興味のある方々、つまりすでに生け花にある程度関心のある方々が主なのです。この状況は戦後メルボルンに生け花が伝えられて以来、あまり変わっていないのではないでしょうか。

メルボルンの人口は約500万(東京の半分)。それに対して生け花人口はせいぜい300人くらいかと思います。統計がないので、全くの勘でしかないですが、実際に指導している生け花の先生はおそらく10人から20人くらいでしょう。都市の人口からして生け花人口が少なすぎるのです(それは同時に潜在的に巨大なマーケットがあるということでもあります)。

こうした状況を変えたい!
これがこのフェスティバルのミッションです。
なぜか?

1)環境保護の立場から:自然破壊、温暖化が進むなか、生け花が危機的状況にある人類にある示唆を与えるかもしれない。生け花が即、地球を救うと主張するつもりはありません。詳述はできませんが、生け花が本来的に(ことに近代化以前)もっている自然観は西洋文化に典型的な自然を客体視する態度とは異なります。ここを明らかにし、生け花を深く理解してもらうことで、自然に対する態度の見直しへの示唆が可能かもしれません。

ただ、この点を主張する際には注意が必要です。日本の伝統的な「自然と共生する態度」から新しい時代の方向への示唆を得ようというのは、有効だとは思います。例えば、梅原猛さんの以下の主張。実に興味深いものがあります。
しかし、このような主張は日本国内でならともかく、国際的な学術会議などでは、本当に注意が必要です。それほど明瞭に割り切れるものではないからです。簡単に揚げ足を取られかねません。ですから私の説明も歯切れの悪いものになっています。
 
しかし、私の生徒に対しては、ズバリと言わないといけません。「生け花の発展は地球を救うんだ!」「手遅れになる前に、生け花をひろめよう!」と。

生け花の歴史をみると、社会が変化するとそれに呼応するように生け花が変化してきた、と言えると思います。社会変化が先行し、生け花に変化をもたらすということ。江戸時代の生花(せいか)の展開、戦前の自由花の提唱などいずれもそうです。

しかし、環境問題が危機的状況にある今日、生け花が社会文化の価値観を先導するような役割を果たすべきではないでしょうか?生け花が社会を変えられないか?

これは巨大な提言ですね。

日本の生け花は一般的に家元制度に基づいているせいでしょうか、何名かのお家元のお言葉を拝読することはありますが、主な関心は流派という家内企業のためにということになりやすいような印象を受けます。地球規模で生け花の課題を考えよう、生け花の大きな夢を語ろうなどという方がもっと出てくると面白いと思うのですが。

生け花でお友達の輪を広め、世界平和に貢献しましょうなどという方もあるようです。それも悪くないでしょうが、私にはあまり響いてきません。それはおそらく私が現代芸術家の間で学んできたからかもしれません。現代社会の課題、文化状況を哲学的に語る彼らの中にあって、生け花が伝統文化としてのあり方の中に留まる必要はないのではないかと思うようになってきました。

私は自由な分、勝手なことが言える。その分、風当たりは強くなるということはあるかもしれません。ただ、生け花にもっと大きいものを期待していいのではないかとは思っています。そうでないと燃えないでしょう。わずかばかりの金、名声などというスケールの小さいもののために情熱が持てますか?命をかけられますか?

とはいえ、このような価値観、生け花を現代芸術の文脈の中におこうというようなアプローチは、これまた注意が必要です。こんなことを考えているのは、このフェスティバルに関わっている人たちの中でも、私一人くらいのものでしょうし、多くの方から共感が得られるとも思っていません。ですから、こうした思いを内に秘め(と言いつつ、読者の少ないこのブログで発散している!)、やれることを探っていくしかないのです。周囲の方に受け入れられる範囲内で、言葉を選びつつ、メンバーを鼓舞していくしかないのです。

2)生け花の癒し効果への注目:鬱を抱えたご婦人がちょっとしたことがきっかけで生け花に触れた。そこから生きる力を得た、という例が私たちの身近で起こっています。

生け花をもっと多くの方に伝えたい、花の力でもっと多くの方々の人生を明るいものに!

以上のような目標を掲げると、「では、メルボルン生け花フェスティバルはどうあればいいのか?」ということが少しはっきりしてきます。従来の生け花展では行われなかったことも積極的にあれこれやってみよう、ということがひとつです。

より広範囲の方々にアピールしよう!

生け花に関心がないばかりか、日本と違い「生け花とは何か」知らない方も多いのが現状。こうした方々にどのようにアプローチしたらいいのか?取り組んでみたのは以下のようなこと。

子供向け生け花ワークショップ、安価なワークショップ(未体験者にも生ける楽しさを感じてもらえないか)、国際的な音楽家とのコラボ・パフォーマンス(生け花に関心はない、しかし、豪州最高のコンサート会場へは出かけるという層へのアピール)、さらに次回からは生け花ディナーショーも計画しています。新規の顧客開発を狙っています。まるでビジネスのような語り口ですが、そういう側面もある!と割り切っていいと思っています。

生け花をより深く理解してもらおう!

デモ、トーク、コンクールなど、いずれも単に生け花展を見てもらうだけでは十分に伝わらない生け花の魅力をアピールすることを目指しています。

さらに国際いけ花学会とコンフェレンスを共催しています。今回は私が自由花の誕生には西洋モダニズムの影響があったけれども、要は自由花とは生け花本来のあり方を再確認したものだったのではないかというような話をしました。現在、生け花の癒し効果についてあれこれやっている方がありますので、近いうちに研究発表ということになるかもしれません。

さて、メルボルン生け花フェスティバルの大きな課題がもうひとつあります。最大の課題だったでしょう。
どうしたら州外、海外(特に日本!)の方から出展していただけるか?
これは先例も少なく、大きな難問でした。
これについてはまた次の機会とします。


お知らせ:和メルボルン生け花フェスティバル参加要項は以下のリンクよりhttps://waikebana.blogspot.com/p/blog-page.html


2019年10月17日

和:メルボルン生け花フェスティバル成功の秘訣(2)


メルボルン生け花フェスティバルについての雑感を続けます。
前回は以下です。

運営委員たちと反省会をしたのですが、その内容がとても面白く、これは記事にして学術誌に投稿してみようということになりました。「大成功おめでとう」などと多数の方から言われて気分が舞い上がった時期を終えて、少し落ち着いた時点で話し合えたことも良かったのでしょう。
もしかすると、他の地域で生け花フェスティバルや類似のイベントを開催する際の参考になるかもしれません。また、海外での生け花事情を知る上でも面白いかもしれません。

しかし、前回も書きましたが、これは「主催者側」の反省点です。他の立場からは別の見方がありうるでしょう。

実は、主催者側の反省点の最大のものは、人手不足!

これは予想できたことです。前回までは展覧会中心でした。今回からはそれに加え、ワークショップ、トーク、デモ、子供向け生け花教室、賞、パフォーマンス、講義、キューレーターの導入、マーケットまで加わったのですから。さらに、市議会議員、州政府教育文化大臣代理、他州、海外からの出展者まで迎えることになりましたし。



展覧会からフェスティバルに。

この発展に伴い、準備と運営業務が膨大なものになりました。様々な障害に見舞われることにもなりました。どうしても行き届かないところが出てくるのです。
私たちの運営委員はとても優秀なチームで、「このチームで起業したら多分うまくいくだろうなあ」と、ささやかな実業家だった私が思ったりしたほど。
それでもさすがに3、4人だけでは細部まで対応できなかったようです。
「失敗も不手際も出てくるよ。それから学んでくれたらいいんだ。君たちが成長する機会にして欲しいんだ。失敗したって守ってあげるから」とは、初めから言っていたのです。

ともかく、来年は運営委員を約3倍の数の熱血集団にしないといけないでしょう。

今後の課題のひとつはそれだけの人が動いてくれるか、です。

運営母体は企業組織ではなく、複数流派が集まっただけのゆるい共同体。私たちの出展者、関係者全てが一丸となっている、とまではまだ言えないでしょう。
「展覧会だけで十分」「オタクがやりたくてやっているんでしょう?なんで忙しい思いをして利益にもならないことを手伝わなければいけないの?」と言う傍観者的な方もありえます。
小さな不満があればすぐ離れていくようなところもあります。
また、あそこがまずい、ここが不十分と批判ばかりの人もありえます(そんな難点の数々は承知しているので、どうしたら良くなるかを一緒に考えて欲しいもの)。
しかし、それは杞憂でした。来年の新体制ではもっと多くの方を執行グループに取り込んでいけるでしょう。

本気で取り組んだ人たちだけが味わえる充実感、成長の実感をより多くの方と共有できるはずです。今年、展覧会場の後片付けが済んで、会場のドアを閉めた時、私たち運営委員が薄暗い中で笑顔を見合わせ、感じた高揚感、です。
「やったね」と私。
「少しの間、面倒なこと考えないことにしませんか?」
「そうだね」
大きな大会で勝利したスポーツチームのようでした。

「今回、運営委員の仕事ぶりにはすごいものがあったように思うが、なぜこんなにやってくれたんだろう?それは大事な成功要因だと思うんだが」と反省会で私が尋ねると、すぐに「先生が私たちには使命があるって言ってくれたから」とか、「花の力でしょう」とか。

メルボルン生け花フェスティバルの使命。
それをきちんと共有していかないことには人は動いてくれないのでしょう。

さらにその使命が、例えば新保個人が儲かるようにとか、有名になるためにとか、ある流派(あるいは企業)の利益、発展のためとか、要するに小欲だけでは、ここまでの成功は達成できなかったはず。「これは天の助けか」(大げさですが)と思うほどの奇跡的な幸運な出来事が次々と起こらなかったはず。さらに、私たちのチームはここまで燃えなかったと思います。

ただ、小欲を否定はしませんでした。
それも目指そうよ。例えば、このフェスティバルの結果、君たちの仕事も生徒も増えるかもしれないよ!と。

でも、本当に目指すのは、もっと大きいものなんだ。
大欲を持とう、と私は説得に努めたのです。

私たちの大欲、目指したいもの。
それは生け花の今日的な課題でもあります。
(もちろん、それをユメだよと嗤う人も批判する人もあるのですが)

次回に続きます。

第3回:https://ikebana-shoso.blogspot.com/2019/10/blog-post_23.html

お知らせ:和メルボルン生け花フェスティバル参加要項は以下のリンクよりhttps://waikebana.blogspot.com/p/blog-page.html

2019年10月15日

和:メルボルン生け花フェスティバル成功の秘訣(1)


今年の8月31日、9月1日に開催した生け花フェスティバルについての雑感を書いていきます。

最近、ようやく2、3の生徒たちと小さな反省会をやる機会がありましたが、面白い意見が出るものです。近いうちにもう少し多くの方々と話し合いたいと思っています。

話の中心は、次回どうしたらもっと改善できるか?ということ。皆、自分が「主催者側の人間である」という見地から、意味のある反省点をたくさん出してくれました。
「お客様」「傍観者」という見地からは、また別な反省点、批判も出てくるのでしょうが。

ともかく、次回は、2020年9月19日、20日に開催が決定
次回はもっといいものになるでしょう。
参加申し込みもできるだけ早く開始したいと思います。

反省点も重要ですが、まずは、成功要因から話を始めます。

私見では、今回の最大の成功要因は運営委員チームの機動力。これに尽きます。
彼女たちへの感謝は私のスピーチでも述べた通り。

生け花フェスティバルはもちろん、いろいろな企画を実行していくために
このような有能なチームを作れるか否か、それが成功の鍵を握っているように思います。

問題があっても次々解決策を生み出す。
指示を待つことなく、自主的に課題に取り組む。
ともかく迅速!皆色々あって忙しい方々なのですが。
そんな熱血チームと仕事ができたことを誇りに思っています。

私は、今回のみ実行委員長ということで、旗振り役でした。

私がリーダーとして気をつけたことがいくつかあります。その辺りからまずお話ししましょう。

いかにチームのメンバーに主体的に動いてもらえるか、
やる気になってもらえるか、そこには特に気をつけました。
チームは皆ボランティアですから配慮が必要です。

私自身、やる気にしてくれるリーダーの元でも、
やる気を削ぐリーダーの元でも仕事をしたことがあります。

まず、リーダーの一番重要な役目は、自分たちの仕事の使命をきちんと伝えることでしょう。

なぜ、メルボルン生け花フェスティバルが必要なのか、
その使命は何か?
ここを繰り返し強調してきました。

私が何を伝えたのか、
その結果、どのようにチームが燃えたのか、
それはまた次回とします。

第2回:https://ikebana-shoso.blogspot.com/2019/10/2.html
第3回:https://ikebana-shoso.blogspot.com/2019/10/blog-post_23.html

お知らせ:和メルボルン生け花フェスティバル参加要項は以下のリンクよりhttps://waikebana.blogspot.com/p/blog-page.html

2019年10月7日

日本人でよかった


美輪明宏さんが、テレビのインタビューで最近の若い日本人は素晴らしいじゃないですか、日本の未来は明るいですよ、と言っていたのにとても共感しました(私はテレビは見ないので、You Tube で見たのですが)。

美輪さんが、例えば、とあげた若者は、羽生結弦、内村航平、錦織圭等々。
精一杯頑張る、礼儀正しい、謙虚。
日本人の多くが大切にする価値観、品格を体現しているような人たちです。多くの日本人がとても誇りに思っているはずです。特にスポーツにおいては、日本人はフェアな戦いをします。きれいなのです。そこに我々は感動するのです。日本人が海外で尊敬される理由もそこにあります。

勝つ為には何をしてもいい、ばれなければいい、相手を傷つけるような行為、言葉も平気、というような人も時にあるわけですが、国際舞台に出てくるほどの日本人にはまずいないでしょう。

そこは学びたいな、と思っています。日本文化としての生け花を外国でやっている者としても、あの上品さ、あの爽やかな日本人たちの姿をロールモデルにしたいなあと。
爽やかであれ。常にそう念じたい。

今、少し気になっているのは、爽やかさとは、真逆の人のこと。

実は、和・メルボルン生け花フェスティバルのウェブサイトへの嫌がらせが続いています。今年の6月以降、7回ほどサイトを作り変えています。匿名でこのサイトを攻撃してくるのです。匿名でできるので、汚い嫌がらせを繰り返すのでしょう。残念なことに、どうもこの方は生け花に若干かかわって(?)おられるようです。

この人の下品な行為を変えることはできません。しかし、このような卑劣で不法な迷惑行為が永遠に許され、続くことはないはずです。この方の名前、所属流派もやがて明らかにされるでしょう。数年後、数十年後になるかもしれませんが。FACEBOOKもいずれは規定を変えるはずです。実名が明らかになると、愚劣で卑怯な言い訳を並べることになるのでしょう。時に犯罪者(児童虐待、無差別殺人、痴漢など)が逮捕され、犯罪動機が報じられることがありますが、呆れることが多いですね。良心も反省もない。同じような言い訳を聞かされることになるのでしょう。特に、なんら顧慮する必要もないのですが、いつか新保が予言した通りになったね、と思っていただけるはずです。

爽やかに生きよう、
爽やかさを核に持つ日本文化に関わる者として歩んでいこう、
とだけ考えていけばいいのだと思います(難しいことですが)。

先にあげた若きアスリート達が、対戦相手が反則行為をしてきた時、どうするか?
汚い嫌がらせをされた時、どうするか?
自明です。
平静に無視するはず。
それに学べばいいのです。

ただ、外交問題などになると、他国の嫌がらせ、攻撃、虚言に黙っているばかりでいいのか、という点も考えなければなりません。文化が違う相手に対しては、自らの正当性、相手の不当も主張する必要があるのかもしれません。黙っていてはやられるばかり、そういう側面はあります。

ですから、再びインターネット上の嫌がらせの問題に戻ると、それに対して黙っているだけではいけないのかもしれません。相手は和の国の住民ではないのでしょうから。とりあえず被害は記録し、公開していきます。

Shoso Shimbo

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