華道家 新保逍滄

2018年12月29日

生け花と捕鯨(1)

日本が国際捕鯨委員会を脱退するということです。 https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181228-00059221-gendaibiz-pol 残念ながら国際社会において日本側の論理、言い分は全く説得力がありません。 国際社会、ことに先進国の間で嫌われ者になり、 国益を損ねることになるでしょう。 捕鯨については以前にもこのブログで書いたことがあります。 https://ikebana-shoso.blogspot.com/2017/06/blog-post_8.html https://ikebana-shoso.blogspot.com/2017/06/blog-post_9.html https://ikebana-shoso.blogspot.com/2017/06/blog-post_10.html http://ikebana-shoso.blogspot.com/2017/06/nhk.html https://ikebana-shoso.blogspot.com/2017/06/blog-post_16.html なぜ捕鯨論争で日本に勝ち目がないのか、上のポストに私の意見も書いています。 要は、国際社会では環境に対する態度においてパラダイム・シフトが起こってしまっています。「日本の捕鯨文化を認めろ、認めないお前が悪い」という主張は、相手に改宗を迫るようなもの。そう、これは宗教問題のようなもの、と思ったほうがいいでしょう。何世紀にもわたる宗教戦争でおびただしい数の犠牲者を出してきた歴史を持つ国々を相手に、「改宗しろ」と迫ることの無謀を悟ることも必要かもしれません。 捕鯨問題が生け花と何の関係があるの?と思われるかもしれませんが、 私の中では両者は大いに関係があります。 少し長い話になるかもしれません。 できるだけはしおってまとめておきます。 いつかきちんと書き直すことになるかもしれません。 覚書きとして書いておきます。 まず、先に「遊びとしての生け花(1)(2)」として、 考えたことをもう少し掘り下げておきます。 https://ikebana-shoso.blogspot.com/2018/12/blog-post_4.html https://ikebana-shoso.blogspot.com/2018/12/blog-post_78.html 日本の花道史の中で、集約と拡散という対立する方向性のある動きが繰り返し起こってきたということを指摘しました。 集約/拡散というのは少々曖昧な表現です。 おそらくもっと適当な言葉で言い換えられるでしょう。 集約は、制度化、構築化、格式化、規格化とか。吉本隆明なら、共同幻想と言うかもしれません(違っていたらすみません)。 拡散は、脱制度化とか。坂口安吾なら、堕落と言うかもしれません(違っていたらすみません)。 昭和初期、生け花における自由花の派生、重森三玲による「新興いけばな宣言」(1930)は、日本花道史における格花に対する拡散への志向と考えられる、と説明しました。 しかし、実は、そのように捉えるだけでは、不十分です。 世界史的な視点からも考えなければいけません。 現代の生け花のあり方にも多大な影響を与えている重森三玲や勅使河原蒼風(草月流創始者)の生け花改革は、西洋モダニズムの導入でもありました。 それは資本主義と一体となり、世界に広がった世界観。 重森三玲は生け花において「植物はもっとも重要なる素材であるのみである」と言いました。生け花は「芸術」になり、自己を表現するものとなったのです(道であったものが、「芸術」に成り下がったと言えるかもしれない)。そして、花は自己表現の材料でしかない、道義的観念、宗教的訓話などとは無関係だとしたのです。草月流、小原流など、重森の影響を受け、戦後日本で急速に拡大した花道流派の根本にはこうしたモダニズムの考え方があります。 高度経済成長の価値観とぴったりの考え方なのです。 その世界観の特長は、ピカソの言葉に端的に現れています。 ピカソといえば、モダン芸術のチャンピオンの一人。 彼が自然について語った言葉をアンドレ・モーローが伝えています。 Obviously,...

2018年12月24日

生け花における芸術とポルノ(1)

先頃、ある花道家のデモンストレーションを拝見しました。 そのデモの主催者側の方に感想を尋ねられたので、次のように答えました。 「初心者を対象にしたデモだから、あのような内容になったのでしょう。 もちろん、見事でしたし、勉強になりました。 でも、あの方の実力をギリギリのところで発揮したものではなかったですね。 本当はもっとすごいことができる方なんですがね」 もちろん、批判などするつもりは一切ありません。 楽しませんていただいたのですから。 私などとても及ばないレベルの方です。 でも、私の本音の一部がポロ...

2018年12月23日

作品集出版に向けて(1)

2019年のクリマスの頃、作品集を自費出版しようかな、と考えています。 問題はいろいろありますが最大のものは費用。 ある出版社に問い合わせたところ、500部で280万円くらい。 安くはないだろうと覚悟していましたが、ここまでとは。 さらに、たとえ本が売れたとしても、1冊につき定価の55%は 出版社の取り分となります。 それだけ出費をする意義があるのだろうか。 ここを考えているところです。 私のお金を使うつもりですが、家内にも相談しないといけない額です。 「意義?そんなものあるわけないじゃない。お金が...

2018年12月16日

2018年12月10日

背伸びしすぎる生け花(1)

生け花は日本の伝統芸術のひとつ。 この点では多くの方が賛同してくださるでしょう。 しかし、他の芸術、芸能と比べて背伸びしすぎではないでしょうか? もしそうだとすると、そこには生け花の特殊性があるように思います。 例えば、音楽、和太鼓とか三味線とか、海外でも人気です。 例えば、陶芸、木工、板画、日本画、能、盆栽などと比べてみてください。 こうした分野で修行をして、先生になったとします。 そうすると師匠とか先生とか言われるようになるでしょうが、 「教授」などという大それたタイトルを使うところはあまりないで...

2018年12月4日

遊びとしての生け花(2)

前回の話の続きです。 https://ikebana-shoso.blogspot.com/2018/12/blog-post_4.html 道としての生け花 遊びとしての生け花 とても大雑把に言ってしまうと、上記、2つの態度が生け花にはあるように思います。 もちろん、前回考えたように、どちらも大切なアプローチ。 この対立は、よく考えてみると、華道史の中で繰り返し現れる対立や論争の根本にも関係してくるように思います。つまり、これら歴史上の対立する立場をどんどん還元していくと、根本に花は修行なのか、遊び...

遊びとしての生け花 (1)

生け花への態度について。 生け花は修行だ、道だ。日々鍛錬、精進して、高い境地を目指すもの、という考え方もあると思います。 また、一方、楽しいからやるんだ。花をいけること自体、単純に面白い。余暇にやっているから続く、そういう態度もあるでしょう。 私は前者の考え方に惹かれてきました。 生徒にももっと頑張りなさい、昇級しなさい、教える機会があれば教えなさい、機会を作ってあげるから展覧会に出品しなさい、コンクールがあるから参加しなさい、という具合で生徒を鼓舞してきました。それはそれ。 生徒は増えてきています...

2018年12月2日

2018年12月1日

生け花ライブ

生け花に関してはいろいろなことをやっています。 実は、そのほとんどは方便だと思っています。 生け花ギャラリー賞を運営しているのは 賞を取ることを奨励してるのではありません。 その他にもいろいろな見方があるでしょうが、 根本のところでは、生け花学習者の動機付け、サポートを目指しています。 生徒には、商業的な機会は積極的に掴みなさい、 教えられる状況になったら教え始めなさい、と言っています。 それも、お金を得ることが目的ではありません。 生け花を長く、継続的に続けるために役立つと思うか...

2018年11月26日

生徒への感謝と生け花への妄想

外国人の生徒に生け花を教えるのがいかに難しいか、 などということとをあれこれ書いてきたのですが、 実は、それは本当に小さなこと。 http://ikebana-shoso.blogspot.com/2018/11/blog-post.html https://ikebana-shoso.blogspot.com/2018/09/blog-post_3.html 私の生徒はすごいなあと感心することが、ずっと多いのです。 もちろん、日本とは違いますから、例えば、制作協力を依頼しても、駆けつけてくれる人の数に...

2018年11月23日

生け花ギャラリー賞:生け花とコンクール

生け花とコンクールについては、いつか歴史的な見地からもきちんと書いてみたいなあと思っています。 今までも以下のようなことを考えてきました。 https://ikebana-shoso.blogspot.com/2018/09/blog-post.html https://ikebana-shoso.blogspot.com/2018/06/blog-post_21.html http://ikebanaaustralia.blogspot.com/p/faq.html 生け花とコンクール(競争)はどうも...

2018年11月19日

フェースブックをより安全に、より賢明に

署名ご協力のお願い フェースブックをより安全に、より賢明に!https://www.change.org/p/facebook-make-facebook-safer-wiser  フェースブックは、オンライン上のいじめ、嫌がらせなどへの対策として、使用者が不愉快だ、嫌がらせだなどと感じた場合、フェースブックへ報告できるシステムを導入しました。報告されるとそのポストは直ちにフェースブックから削除されます。  効果的である反面、悪用される可能性も否定できません。そのような迷惑を被ったものとして、事態の改善を求めたいと思います。  私どもは2012年からオンライン上での国際生け花コンクール、生け花ギャラリー賞を主催しています。運営スタッフ、国際的な審査員共々、ボランティアにて生け花学習者のサポートになればということで続けています。  2018年8月に本年度の受賞者をフェースブック上で発表しました。その報告は2万人ほどの方々に届いたのですが、間もなくファースブック上から削除されてしまいました。  再度、ブログ上の結果 http://bit.ly/IkebanaAward18 を、フェースブックに送信しようとすると、次のようなエラーメッセージが出ます。  警告:このメッセージは禁止された内容を含んでいます。フェースブックの他の方がアビューシブ(悪態、誹謗)だと報告しているからです。  私たちのポストは、励ましと感謝の言葉ばかりが並んでいるのですが。 http://bit.ly/IkebanaAward18  フェースブックに3度にわたって報告しましたが、事態は改善されていません。  なお、同時期に生徒作品の写真も突然削除されました。こちらはフェースブックに報告後、回復しました。  フェースブックに期待したいのは、以下の2点です。 1、2018年度の受賞者報告を回復してほしい、 2、フェースブックへの報告機能が悪用されないよう改善してほしい  この署名活動は、生け花の世界で私たちが経験した出来事を、日本、世界各地で生け花に関わる多くの方々と共有したいために始めたものです。以下のリンクからぜひ署名にご協力下さい。 https://www.change.org/p/facebook-make-facebook-safer-wiser We...

2018年11月1日

外国人に生け花を教える難しさ(2)

外国人に生け花を教えるのは難しいという話の続きです。 前回の話は以下です。 https://ikebana-shoso.blogspot.com/2018/09/blog-post_3.html 今回は特に難しいと感じている生徒についてです。 つまり特殊なケーススタディ。外国人全般に当てはまるわけではないでしょう。 この生徒の作品は ともかく強いだけ。 ともかく花がどっさりあるだけ。 そこにはポエトリイがないのです。 そこで、私の対策は、基本形の徹底復習。 基本形を選んだのは、この生徒の問題の核心が...

2018年9月17日

役者脱落宣言

前回のポストで私が好きなLove Actually について書いたところ、 思いついたことがあります。 私が役者への夢を完全に諦めた出来事。 役者になろうなどと本気で思ったことはないのですが、 オーディションに来ないかと声をかけられ、出かけて行ったことは3、4回あります。 なかなかギャラがよろしかったのです。 しかし、その最後のオーディションでのこと。 最後というのは、もう2度とオーディションへなど行くことはないでしょうから。 日本の航空会社のコマーシャルのための制作でした。 セリフはなし、経験不要...

Love Actually 礼賛

私は映画はあまり見ません。 DVDコレクションも20本も持っていないでしょう。 (もっとも最近、これらに加え、「男はつらいよ」全巻取り揃えましたが) それでも幾つかの作品は、年に1回くらい繰り返し見ています。 その一つは、Love Actually。 日本でどのような評価がされているのかと思って、 幾つか映画評を読んでみました。 共感できる映画評がありませんでした。 この作品はとてもおしゃれです。 成熟した、大人のコメディ。 これを日本人が作れるか、と思うとまず不可能でしょう。 日本で名優とされる方々は、多くは眉間にしわ寄せて人生を語ったり、 怒鳴ったりというような役が多い。 コメディと言っても、ボケとツッコミのやり取りが多く、 どうもいじめの文化かなあと思ったりします。 例えば、Love...

2018年9月3日

外国人に生け花を教える難しさ

以前、「生け花上達のコツ」ということで書き出したところ、外国人に生け花を教える難しさ、という話に変わっていったのでした。今回はその話の続きです。 https://ikebana-shoso.blogspot.com.au/2017/02/blog-post_8.html https://ikebana-shoso.blogspot.com/2017/08/blog-post_9.html https://ikebana-shoso.blogspot.com/2017/08/blog-post_13.html 草月流の場合、5冊教科書があり、1、2冊目は基本型、以後、自由花ということになります。おそらく、日本人にはそれでいいのでしょう。私のクラスでも日本人の場合、あまり問題はありません。 しかし、外国人の場合、このカリキュラムでは5人に1人くらいしか目的のレベルに到達できません。もちろん、これは私のクラスでのことであり、私の指導力不足という限界があるのは承知していますが。 自由花に入っていくと、多くの生徒がおかしな作品を作り出します。しかも、その生徒独特のクセのようなものが毎回表れます。貧弱だったり、色使いが混乱していたり。単に力強いだけだったり。結局、基本が身についていないのでしょう。私が生徒に与えるコメントは、以下のようなものが多くなります。 「綺麗な作品だね。でも、綺麗さを作品の目標にしてはいけない。生け花の原則に則って制作しましょう(これは綺麗な作品だけど、生け花と言えないよ)」 「生け花は数学だ。日本の美学は数学だ。君の作品のどこに数学があるんだ」 「弱い!君は瞑想していない。花と君の間に大きな距離があるんだ。もっと花と話しなさい (だんだんイライラしてきます)」 「花でお遊びして何になる。なんのために生け花やっているんだ!」とまでは、直接は言いません。だんだんコメントが厳しくなっていくのです。 私の生徒作品はフェースブックに紹介していますので、よければご覧ください。 https://www.facebook.com/IkebanaGallery/ そこで対策です。2つほど考えて実践しています。 効果はまだわかりませんので、詳しくは紹介できません。 ただ、ひとつは基本型の徹底復習。 これは不評です。やりたがりません。 しかし、完璧な基本型を作れれば、かなり効果があるのではないかと思っています。 そのような基本型を持てることが流派の最小限の存立条件でしょう。 ともかく、だまし、だまし上級者(実力での上級ではなく、カリキュラム上の上級)にも基本型の練習をさせています。 結果がどうなるか、いずれ報告できるでしょう。 補記:もしかすると、外国人(ことに西洋人)への生け花指導の難しさには、自然観の違いが根本にあるのかもしれません。日本人の神道的な自然観...

2018年 生け花ギャラリー賞

2018年度の生け花ギャラリー賞が発表になりました。 https://ikebanaaustralia.blogspot.com/2018/08/ikebana-gallery-award-2018.html ご察しいただけるように、このプロジェクト運営はなかなか時間がかかります。 生徒作品ということで、まだまだ不十分な作品が多いのですが、 それでも生徒にとっては数万人の方々に自作を見てもらえる機会となる、 さらに 国際レベルの審査員(日本で最も著名な美術館長、兵庫県立美術館長蓑豊先...

2018年7月27日

生け花ギャラリー賞決勝進出の条件

私たちの主催する2018年度生け花ギャラリー賞の準決勝15作品が7月に発表になりました。 この15作品は過去1年間に生け花ギャラリー・facebook に投稿された作品から選ばれます。 選ぶのは生け花ギャラリー賞委員会メンバー。全員師範を有する生け花教師。世界各地の先生がボランティアで協力して下さっています。そしてこの中から5作品が決勝進出です。私たちの審査員の先生方に送り、審査していただくのです。 この5作品の選出には、私たちの審査員の一人にご協力いただいています。日本の生け花研究家としてはおそらく最高レベルの方です。この選出はかなり難しい作業だと思います。選ばれた作品をみると、先生がとても慎重に選んで下さっていることがよくわかります。なるほどなあ、といつも感心します。結果は、まもなく発表になりますので、facebook...

2018年7月18日

2018年7月16日

2018年度生け花ギャラリー賞準決勝

恒例の生け花ギャラリー賞、準決勝進出作品が発表となりました。ぜひご覧ください。 https://ikebanaaustralia.blogspot.com/2018/07/semi-finalists-for-ikebana-gallery.html Facebookは以下になります。人気投票も受け付けていますので、よければご参加ください。 https://www.facebook.com/IkebanaGallery/ この賞創設の意図についてはあちこちで書いています。 https://ikebana-...

2018年6月27日

一日一華:締め切りが破れない

私は締め切りを破ったことがほとんどないように思います。 確かに、人生後半ともなれば、締め切りをうっかり忘れていたとか、体調不調でお手上げ、ということは何回かあったと思います。ただ、自分がきちんと意識した場合、不思議とやり遂げているのです。 原稿依頼の締め切り、 彫刻制作の締め切り、などなど。 実は、今日も無理だと思っていた6000語の英文論文を仕上げ、 学会誌の担当者に送付したところです。 時々、よく間に合ったなあと自分でも感心することがあります。 周りの人たちにもよく感心されています。 「だめだあ...

2018年6月25日

一日一華:再び新書について

先に、「最近、新書は劣化したのではないか」などと書きました。 https://ikebana-shoso.blogspot.com/2018/05/blog-post_21.html ところが早速前言撤回。 神道について知りたくて、買った2冊が面白かったのです。 「神道とは何か」伊藤聡、中公新書 「神道・儒教・仏教」森和也、ちくま新書 もちろん、神道はとても奥深いもので、ほんの数冊読んで何かがわかってくるというものではないのです。 ただ、禅宗の思想があまりに神道に似ているという思いがずっとありました。...

2018年6月21日

生け花とコンクール(2):グーグル翻訳を訂正

先に投稿した記事にグーグルで翻訳した「生け花とコンクール」についての文章を載せていました。あのままではやはり意味不明のところがあります。以下で最低限の訂正をしておきます。 https://ikebana-shoso.blogspot.com/2018/06/blog-post_38.html 「私たちはIkebana Gallery Award(IGA)を宣伝しようとしていますが、 "私たちの主人 マスター(あるいは)先生はIkebanaを裁かれる は審査されるべきではないと言った" "なぜ競争しなければならないのですか?"というステートメントを聞くことがあります。 結局のところ、誰もが自分の信念や哲学を持つことが許されています。彼らが私たちを嫌がらせたり、オンラインで非倫理的に行動したりしない限り、私たちはそれらを無視して、私たちだけを離れるように求めることができます。 構わないでいただきたいとお願いするだけです。もし彼らが永続的なもしつこいのであれば、私たちができることは、私たちのウェブサイト上のミッションステートメントを読むように求めることだけです。 しかし、いけばなの審査や競争については、そのような狭い視点(視点の狭さ)についていくつかの注意すべき点があります。 1....

2018年6月19日

花道史の基礎知識:神道の方へ(2)

日本文化史上の生け花の位置付けについて分かりやすい講義を見つけました。 筑波大学名誉教授今井雅治先生の日本語学習者向けの講義ですが、外国の方に日本文化、生け花を紹介したいという方にもとても役立つことでしょう。 https://jfcairo.wordpress.com/2013/01/06/ikebana/ この講義の中で私が関心を持った点はたくさんあります。 私の話(「生け花・環境芸術・神道」)の出発点として都合がいいので、おいおい説明していきます。 まず、注目したいのは、生け花と西洋アレンジメント...

2018年6月17日

パニック・アタック攻略法

もう1年ほど前になりますが、自分にはパニック・アタックの症状があるのではないかと書いたことがあります。 https://ikebana-shoso.blogspot.com/2017/11/blog-post_6.html 今年の四月に日本、ヨーロッパを5週間ほど旅行しました。 仕事とホリデーを兼ねたもので楽しみにしていましたが、最も心配したのは飛行機内でのパニック・アタック。長い旅ですから。 あの症状が出ると、気持ち悪さ、苦しさは耐えがたい。 呼吸困難に加え、機内で叫んで、外へ抜け出したいという狂ったよ...

2018年6月15日

生け花コンクール(1):ここまで来たか、グーグル翻訳

グーグルの翻訳がすごいということを最近、よく聞きます。 私は英語でもよく記事やら雑文やらを書きます。 しかし、それをグーグルを使って訳すということをしたことがありません。 ちょっと、実験してみたくなりました。 最近、生け花コンクールについて書いた英文の雑文は以下です。 http://www.shoso.com.au/2018/06/ikebana-competition.html これをグーグルで訳すと以下になります。 「私たちはIkebana Gallery Award(IGA)を宣伝しようとしていますが、...

神道の方へ(1)

自然破壊、環境汚染にはなかなか有効な手立てが出てこないまま、 地球は危機的な状況へと向かっています。 この現代の危機は、現代人の精神の危機と対応しているのではないか。 特に、主要な宗教が死生観、ことに死に対して有効な回答を提示しえていないということと関係があるように思えます。 私がそう考えるのには理由があります。 が、この話は長くなりそうなので、またの機会に続き...

2018年6月8日

フェイク・マスターズ

海外の生け花の世界には独特のものがあります。 そのうちの一つは、私が勝手にフェイク・マスターズと呼んでいる方々の存在。 フェイクですから、偽物。 ちょっと失礼ですから明言、公言はしません。 (ブログに書いたら、公言ですかね。読者は少ないでしょうが) マスターというからには、生け花で言えば家元とか、師範とか いろいろな言い方がありますが、要するに大家、達人ですね。 その真似をしている人が多いのです。 その方々の言動には、なかなか面白いものがあります。 私はそのモデルはどこにあるのだろうとずっと考えていま...

2018年5月28日

生け花ギャラリー賞について(3)

お知らせ:この度、Ikebana Gallery Awardでは蓑豊先生(兵庫県立美術館館長、金沢21世紀美術特任館長、大阪市立美術館名誉館長)に審査員としてご協力いただくことになりました。蓑先生は日本を代表する美術館長として国際的にご活躍中です。「超美術館革命」(角川新書)他著書多数。https://www.artm.pref.hyogo.jp/   先生の芸術に対するご見識の高さを審査結果に反映させていただけることでしょう。    私どもは今後ともより多くの生け花学習者へ、履歴書の受賞歴に記載できる...

2018年5月21日

一日一華:新書について

最近1年くらいについてですが、私の読書は多分80%くらいが英文。ほとんど学術関連です。 20%くらいが日本語。その約半分(つまり10%くらい)が小説などの娯楽としての読書、そして、他の半分が日本語での学術書。 日本語の学術書は、私の論文に使えるものが限られているため、結果的に新書が多くなっています。 新書というのは、私にとっては学生時代から特別なものです。 学生時代の友人と読んだ新書の冊数を競争したこともありました。 当時は1日1冊という勢いで読んでいたものです。 講談社現代新書、岩波新書, 中公新書な...

2018年5月17日

21世紀的いけ花考 第70回(最終回)

江戸後期、明治大正期にそれぞれいけばなブームが起こったという話でした。前者では生花(せいか)という単純化されたいけばなが目玉商品であり、後者では盛花という一層手軽に生け花を活けられる様式が目玉商品でした。 さて、3回目のいけばなブームが起こるのは戦後。そのブームの中心にいたのが草月流創始者、勅使川原蒼風。蒼風は従来の生け花を様々に批判していきますが、特に、模倣という一つの指導方法を否定していきます。初心者は模倣して覚えていくしかないように思えます。しかし、上級になっても模倣ということではいけない。作者の創意が尊重されねばならないということだったのでしょう。 西洋モダニズムの影響を受けて(というかそのいいとこどりをしつつ)自由花が1920年代に提唱され、その動きを引き継ぐように前衛花という目玉商品が注目を集めたのでした。キャッチコピーは、「生け花は芸術だ!」。「注目を集めた」と書いたのは、賞賛ばかりでなく、批判も多かったからです。本当に芸術か?芸術とは何だろう?そうした議論を避けることはできません。しかし、ブームの渦中にあっては、勢いのある議論がまかりとおります。蒼風らの運動には、旧来の生け花にまつわる種々のしがらみなども払拭できるかもしれない、という期待と後押しもあったのではないでしょうか。おそらく歴史的な評価を受けるのはこれからでしょう。...

21世紀的いけ花考 第69回

p.p1 {margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px; font: 11.0px Helvetica; -webkit-text-stroke: #000000} span.s1 {font-kerning: none}  日本史上の生け花ブームは社会・文化現象。その歴史を調べることで、日本社会もよりよく理解できます。より深く研究しようという方が出てきたら嬉しいですね。また、ブームの研究は即ちヒット商品の研究。成功のコツは世間のニーズをつかんで、革新的で魅力ある商品を提供する...

2018年3月10日

21世紀的生け花考 第68回

 今回は明治・大正期の生け花ブームについて考えてみましょう。ブームとは複数の要因が重なって起こるもの。単純には説明ができません。まず、分かっていることはこのブームを支えたのは若い女性であったということ。明治女性は生け花に何を求めたのか。女性と社会の関係から考えていくといいでしょう。しかし、未開の研究領域という感じがします。明快な説明には出会っていませんので、以下は私の仮説です。  不明なのは生け花ブームを支えた若い女性の社会的な立場。専業主婦人口が増えるのは大正期以降ですから、彼女らはこのブームの主な担い手ではなかったでしょう。注目すべきは婚前の女性。つまり、花嫁修行のひとつとして生け花を習うということが主流だったようです。  明治の国策は富国強兵。女性はそれを支える「家」にあって良妻賢母を目指しました。明治民法(明治31年公布)によってそれ以外の生き方は容易ではないという事情もありました。結婚は最大の関心事だったはず。できるだけ有利な条件を求めるのは必然。  重要なのは女学校・高等女学校ができ、非正規科目ながら生け花やお茶が教えられることが多かったということ(正規の場合もあり)。女学校出→インテリ→生け花ができる→婚活に有利、というイメージの連係ができたのでしょう。お嬢様なら生け花ができる→生け花ができるならお嬢様(たとえ学がなくとも)ということで生け花のニーズが増大したのではないか。要は生け花がブランディング効果を獲得。手頃な投資だったのです。  この時期、生け花の側にもブームを加速する工夫がありました。顕著なのは小原流による盛花のPR(明治末期)。剣山(明治期に初出)や七宝を使い、浅い水盤に花を生けます。最大の特徴は従来の生け花をさらに容易にしたものだったということ。デザインも単純でほとんど誰でも花が生けられるようになったのです。さらに、洋風住宅が増えてきましたが、そこにもぴったり。しかも真新しい西洋花も生けられる。生け花の楽しい面がドンと前に出たわけです。これは流行るでしょう。現在でも多くの生け花教室で、最初に習うのは盛花。次回に続きます。 ...

2018年2月22日

一日一華:生け花と存続可能性

今年初めて我が家の庭に植えたフウセンカズラがよく育ってくれました。 庭のブーゲンビリアと取り合わせ。 ガラス花器は生徒さんから頂いたもの。 さて、環境芸術についての発表が迫っています。 テーマは存続可能性と美学。 生け花との関連、などなど。 さんざん言われ続けていることですが、 現代西洋文明は特に環境問題において、存続不可能な状況。 その発展モデル、知の方法とも危機的です。 その根源は何か。 産業革命、植民地主義、君主制、資本主義の成立、ルネッサンス、 デカルト的二元論、ベーコン哲学、キリスト教だとか...

2018年2月12日

2018年2月5日

21世紀的いけ花考:第67回

 生け花の現状、将来の課題を探ろうと大上段に構えています。まず、生け花の歴史を簡単におさらいしておきましょう。簡略な華道史は何度かここで話していますが、今回はまた別の角度から。今回は生け花ブームに焦点を当てて、その成功の要諦を探ってみます。  華道史上、重要なブームは江戸時代後期、明治期、戦後と3回起こっています。室町時代、立て花が生まれ、立華に発展。江戸時代初期に立華が大成。この辺りまでは生け花は社会の上層部で細々と行われていたのでしょう。庶民は絶えず紛争に巻き込まれ、余裕がなかったはずです。  ところが江戸時代、260年間も大規模な紛争のなかった、世界史的にも稀な安定した時代でした。よく人類史上最も幸福な時代とされるパクス・ロマーナ、ローマの平和とされた時代もせいぜい200年間。しかも、必ずしも常時平和ではなかったのです。学校で習う歴史を鵜呑みにしていると、明治期に文明開化が起こり、それ以前は暗黒の封建社会などと考えがちですが、江戸時代についてきちんと考えないと日本文化の本質を見失うことになります。この特別な時代、文化、経済が大発展します。  社会が安定し、経済が発展すると、生活に余裕ができ、余暇を楽しもうということになります。特に多くの女性が余暇を求めたのは江戸時代が初めてでしょう。時間とお金ができると日本女性の関心は花に向かうようで、生け花を習いたいという需要が生まれます。ところが、当時、生け花と言ったら代表的なのは立華。制作するのに数日かかります。一般女性には、そこまでの余裕はない。せいぜい2時間位で楽しみたい。  そこで考案されたのが、生花(せいか/しょうか)。立華を大胆に簡略化。天地人という3点をおさえて、不等辺三角形を作るとそこそこの生け花ができるのです。結果、生け花人口が爆発的に増え、新流派も多数成立。これが第1回目の生け花ブームの核心。新しいニーズの特定+それに見合った商品開発=成功。3回の生け花ブームにはそれぞれの目玉商品があります。そこをおさえておけばいいのです。  さて、今年、ローン・スカルプチャー、インターナショナル・アカデミック・フォーラムで環境芸術と生け花について講演を行うことになりました。特に後者では、日本一の美術館長と尊敬する蓑豊先生とともにフューチャード・プレゼンターに。大変なことになっています。  ...

2018年1月19日

一日一華:写真花の難しさ

生け花の写真は難しいなあと、よく思いますが、 この作品など、その典型的な例。 奥行きがなくなるのです。 前後にかなり広がっている作品ですが、 写真では前後の広がりがほとんど感じられません。 元の生け花作品の味が半減した感じがします。 そうしたことも考慮して写真花に臨むといいのでしょ...

2018年1月9日

21世紀的いけ花考:第66回

 西洋芸術のモダニズムの影響を受け、日本の生け花は大きく変わっていきました。その影響は現在まで続いています。昭和初めの生け花改革運動は、従来の生け花の何を改革しようとしていたのでしょう? 15世紀、立て花の成立から始まった生け花、そのすべてを否定し、まったく新しい生け花を提唱しようとしたのではありません。では、何を否定したのか?この運動に関わっていた人々の間でもこの点で合意があったのか、よく分かりません。抜本的な改革を意図していた方もあったかもしれませんが、この改革運動の中心人物の一人、草月流初代家元勅使河原蒼風などは、どうもそうではないようです。「かつていけばなの世界では『まねぶ』ことの方に重きを置きすぎて、悪いことがはやった。決められた形をそっくりまねるのでなければいけてはいけない、この流儀にはこの形しかない、この形を皆でいけるのだというような。非常に非芸術的な時代があった。これが江戸末期のいけばなの悪弊だった。(略)これは明治になっても大正になってもその停滞から抜け出ることができなかった」(「蒼風講義録から 4 平凡を非凡にする」) つまり、蒼風が批判しているのは江戸末期から大正までの生け花のある側面。生け花の全てを批判しているわけではないのです。批判の対象は、模倣させるという指導のあり方、制作態度。小さな点です。重要ですが。別の観点から見れば、これはモダニズムの「いいとこ取り」なのです。ここは後に詳述します。 さて、江戸末から大正までの期間とは、生け花史上重要な時期。そのあたりに大きな生け花ブームが2回起こっているのです。江戸後期、明治期の2回。ともに流派の数が爆発的に増加した時期。3回目はもちろん戦後の最大のブーム。草月流、小原流などがリードしました。大手の池坊も様々な改変を経てブームを担い、今日に至っています。  さて、次回は、過去3回の生け花ブームについて、特徴を簡単に述べておきましょうか。それで日本華道史の要点も蒼風の立場もよりよく理解できるでしょう。 今回は1年前の正月花を紹介します。クラウンの此処に活けたもの。今年もクリスマスから新年にかけて展示しますのでご覧下さい。 今年は3月にローン彫刻展、9月にビエナーレ・オブ・オーストラリアン・アートに参加予定です。昨年度、イェーリング・ステーション彫刻展で入賞した作品を最初の作品とし、「公共芸術としての環境芸術」シリーズの続編をこれらの芸術祭で発表予定です。お楽しみに。 p.p1...

2018年1月7日

一日一華:天命

随分、歳若い頃から自分の天職はなんだろうか?と考えてきたように思います。 今の生き方が自分の天命なのか、と現在でも考えていますし、あまり自信もない。 ただ、次々にやってくる挑戦に懸命に立ち向かっているだけというのが実感。 しかし、次々挑戦をいただけるということは、自分が恵まれた場所にいるということではないか、もしかすると天命を歩んでいるということではないか、と思ったりしています。 次の興味深い、天命についてのエッセーを読んだ時、そんな思いを強くしました。http://blog.jog-net.jp/201801/article_1.html...

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