Practice-led Research (PLR) について考えています。
約4ヶ月後、環境芸術と生け花について2回の発表を行います。
どちらも聴衆は大学関係者がメインの会議。
半端な発表はできません。
PLRは、芸術学部の大学院レベルで主流の研究方法になるでしょう。
芸術学部での博士課程は、まだ導入に踏み切れていない国が多いようです。
芸術における学問的な方法論が脆弱だからでしょう。
ところが、PLRには少しばかり可能性があります。
私自身は教育心理学で博士号を取っています。
ガチガチのQuantitative Research です。
仮説を立て、統計で検証し、有効か否か、数値で示します。
それに対し、Qualitative Research も、科学かなあということで
ゆっくり認められてきました。
今では、それも過去の話。
人類学、民俗学、社会学、教育学など多方面で優れた業績が上がっています。
芸術にもQualitative Researchなら、使えるのではないか、と多くの方は考えました。
というか、それがほとんど唯一、芸術を科学する方法論だろうと私は思います。
そこで、PLRです。
私の関心は、その方法論。そして今までの成果。
それを調べた上で、発表に繋げたいのです。
まだ、論文を漁り始めたばかりですが、方法論が曖昧なものが多い。
こんなに自分勝手にやって、認めてもらえるのか?
博士号が取れるのか?
これでは日本の文芸評論ではないか。
こんなに主観を入れていいなら、自由で楽しいだろうな、とか。
しかし、私にはまだ方法論がはっきりしてきません。
それをはっきりさせるのが第1の問題。
私は方法論にはうるさい、つもりです。
人文でも方法論がいい加減ではまともな研究にはなりません。
そうそう、博士課程の研究方法の授業では、私は高い評価をもらったものです。
外国人の私には珍しい経験でしたので、よく覚えています。
詳述はしませんが、毎週、ひとつの論文を選んでは、バリディテイ、リライアビリティなどにつき徹底的に分析するというような面白い授業でした。
担当教官が、私ごときを自分が教えた学生の中で最高の学生だ、とまでおっしゃって下さいました。先生はあまりいい学生に恵まれてこなかったのでしょう。
また、科学であるためには知が蓄積されていくことになります。
環境芸術における現在までの研究はどこまで来ているのだろうか?
これが第2の問題。
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