最近1年くらいについてですが、私の読書は多分80%くらいが英文。ほとんど学術関連です。
20%くらいが日本語。その約半分(つまり10%くらい)が小説などの娯楽としての読書、そして、他の半分が日本語での学術書。
日本語の学術書は、私の論文に使えるものが限られているため、結果的に新書が多くなっています。
新書というのは、私にとっては学生時代から特別なものです。
学生時代の友人と読んだ新書の冊数を競争したこともありました。
当時は1日1冊という勢いで読んでいたものです。
講談社現代新書、岩波新書, 中公新書など内容が充実していて、何といっても信頼できます。
平川彰先生から仏教学を学んだことがありますが、大学の講義1年間で学ぶことが先生の1冊の新書(「現代人のための仏教」)に書かれている!と感じたこともあります。それほどの充実ぶり。他にも名著がたくさんありますね。
特に自分の知らない分野、専門でない分野について、その入門的な役割を期待してしまいます。そこから興味深い点はもっと深めていけばいい。
そういう期待は、あまり裏切られたことはなかったのです。
つい最近まで。
今は、日本の新書はどうなってしまったのだろう、と感じています。
現在、私は日本語での読書量がとても少ない上に、日本の本屋を覗くのは数年に1回という有様ですから、見当違いかもしれませんが。
最近は神道に関心があって、先月、日本で関連の新書を数冊購入しました。
驚いたのは、ベスト新書の一冊。
まず、日本語があちこちおかしい。2ページに1箇所くらいの割合で、文法が乱れていて、文章の意味が不明瞭。主語と述語が一致しないため、意味がいくつかに取れてしまいます。話し言葉ではそういうことが起こるかもしれませんが、書き言葉にしたならば、訂正すべきでしょう。これはもちろん著者のせいでしょうけれど、国語力のなさは編集の方がきちんと補うべきです。呆れています。
さらに、論理が飛躍し、ちょっとついていけない。これは学問的に考えるということをしたことがない人の語りです。こんな雑文を新書として出版してはいけないでしょう。
昨今は読み手も気をつけて新書を選ばなければいけない、ということなのでしょうか。タイトルだけでなく、著者略歴、前書き、後書きなどもチェックしないと後悔しそうです。