華道家 新保逍滄

2018年5月17日

21世紀的いけ花考 第70回(最終回)


江戸後期、明治大正期にそれぞれいけばなブームが起こったという話でした。前者では生花(せいか)という単純化されたいけばなが目玉商品であり、後者では盛花という一層手軽に生け花を活けられる様式が目玉商品でした。

さて、3回目のいけばなブームが起こるのは戦後。そのブームの中心にいたのが草月流創始者、勅使川原蒼風。蒼風は従来の生け花を様々に批判していきますが、特に、模倣という一つの指導方法を否定していきます。初心者は模倣して覚えていくしかないように思えます。しかし、上級になっても模倣ということではいけない。作者の創意が尊重されねばならないということだったのでしょう。

西洋モダニズムの影響を受けて(というかそのいいとこどりをしつつ)自由花が1920年代に提唱され、その動きを引き継ぐように前衛花という目玉商品が注目を集めたのでした。キャッチコピーは、「生け花は芸術だ!」。「注目を集めた」と書いたのは、賞賛ばかりでなく、批判も多かったからです。本当に芸術か?芸術とは何だろう?そうした議論を避けることはできません。しかし、ブームの渦中にあっては、勢いのある議論がまかりとおります。蒼風らの運動には、旧来の生け花にまつわる種々のしがらみなども払拭できるかもしれない、という期待と後押しもあったのではないでしょうか。おそらく歴史的な評価を受けるのはこれからでしょう。

実は、草月流がもっと面白くなるのは、1980年代以降、3代家元の宏からだろうと思いますが、宏の仕事についてはここでは語ることはできません。というのは、発行者様の事情により私の連載は今回限りとなったからです。発行、編集担当の皆様には実に長らくお世話にな りました。読者の評判などまったく意に介せず続けてこられたのは幸運でした。読む人はあまりいないのだろうと思っていましたが、最近、初めて「伝言ネットの記事を読んで、習うことにしました」という生徒さんがやってきました。読んで下さる方もいらっしゃるのですね。ありがとうございました。文章を書くのは、日本語でなら全く苦ではないので続けろと言われればいつまでも続けられます。しかも、10年間、一度も締め切りを破ったことがないように思います。しかし、一区切りつけるのも新しい方向を探るためには必要なことでしょう。伝言ネットスタッフ、読者の皆様、そして私の英文をチェックしてくれた私のパートナー、ジュリーそして義母、パットにあらてめてお礼申し上げます。

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