東京現代美術館のチーフ・キューレター、多摩美術大学特任教授、長谷川祐子「『なぜ』から始める現代アート」(NHK出版)に以下のような一節があります。
「西洋の動物保護団体の人たちは日本人に対して、『なぜ、最大の哺乳類で、人間に近い鯨を殺して食べるのか』と怒っている。『そんなことを言うなら、牛も哺乳類ではないか、なぜ鯨だけ特権化するんだ』、と日本人である私たちは思うわけですが、彼らにとっては違う。」
長谷川は日本人の一般論として、なぜ鯨だけ特権化するんだ、と書いているわけです。彼女自身が鯨についてどう考えているかは明確ではありません。一般の日本人よりなのだろう、とは推察できますが。
ただ、明確なのは、彼女が捕鯨についてきちんと考えていないということです。
西洋の人たちの怒りを理解しようとしていないということです。
長谷川は現代芸術に関わる方です。現代芸術とは現代の文化、社会に関わる芸術のこと。後に述べるように、日本の捕鯨は現代社会、国際関係を考える上で、とても象徴的な事項です。その重要な事項に対して、深く考察していない。浅薄な認識で、西洋人の捕鯨にまつわる芸術作品を解釈しても、おそらく意味のある洞察は得られないでしょう。彼女の影響ある立場を考えれば、それは怠慢かもしれません。
長谷川のいう一般的な(おそらく長谷川も同調している)日本人の見解が、なぜ間違っているかは、先に書いた私のエッセーで明確になると思いますので、説明は省略します。現代の国際社会の文脈で、鯨と牛が同じだとは言えない、と了解してもらえるといいのですが。
鯨の巨大便(3):http://ikebana-shoso.blogspot.com.au/2017/06/blog-post_10.html
ここでは西洋の人たちの怒りについて考えてみます。
You Tube で、Japanese Whalingを検索し、いくつか見て下さい。
その下に様々なコメントがあります。
https://www.youtube.com/watch?v=VqFoHhV2ARI
https://www.youtube.com/watch?v=n0UURL8AUdY
とても引用する気になりませんが、「死ね!」「アホ!」といったレベルの罵詈雑言の投げ合いです。
おそらく、日本が捕鯨を続けるためには、捕獲数がエコシステムに影響しない程度の少数のものであるということ(存続可能なレベルであること)を科学的に証明すること、さらに、殺し方を、家畜を殺す時のような痛みを伴わないやり方に変えることなどが、最低限必要でしょう。
しかし、仮にそれができたとして、納得してもらえるでしょうか?
私はおそらく無理だと思います。
捕鯨論争において、日本には勝ち目がないと思います。
なぜか。
捕鯨というのものが、自然破壊のイメージそのものだからです。
環境破壊の象徴だからです。
捕鯨には、何頭鯨を殺したとか、科学的に数値化できる部分があります。
しかし、同時に、人間が、最新技術を使って、無力な美しい野生動物を虐殺しているという情緒的なイメージがどうしても払拭できません。
これは、いくら説得に努めても、納得してもらえるものではありません。
ちょうど、宗教のようなものです。
篤信の方を棄教させようとするようなもの。力づくでも無理でしょう。
1960年代、環境問題が注目を浴びるようになり、
1980年代以降、地球温暖化、絶滅種の急増、環境破壊の規模の大きさに世界中が目覚めてしまっています。パラダイム・シフトが起こったのです。
科学技術で、自然を開拓し(環境を破壊し)、資源を採取し、人類の富を増やす、
という近代の人間中心主義モデルは、もう古いものになっています。
古いだけでなく、憎むべき過去の行為という見方が広まっています。
おそらく、その憎しみの中には、自分たちの過去に対する後悔、羞恥、反省も含まれています。後悔があるがゆえに、他者の自然破壊に対する憎しみは、一層増します(植民地政策に対しても、同様の態度が見られるように思います)。
現在の主流はエコ中心主義と言っていいと思いますが、
そこには、人間中心主義の自然破壊への憎悪が存分に含まれています。
そして、人間中心主義の自然破壊の最も分かりやすい、典型的なイメージが日本の捕鯨なのです。象徴なのです。*1
ですから、捕鯨論争で西洋の人たちに対峙するのは、宗教戦争を戦うようなものなのです。出口はなく、ただ、憎しみの連鎖という悲惨な結果しか残しません。そこに気づいているから日本以外のどの国も捕鯨になど手を出さないのです。韓国が始めようとしたが、国際的な非難を浴び、即、取りやめたと前回書きましたね。
捕鯨にこだわって、わずかな利益(一握りの売国奴、資本家が儲かるだけ)のために、国際的な信用を失うのはあまりに馬鹿げたことです。
鯨など食べたことがないという人も多いと思いますが、捕鯨などどうでもいい、と無関心ではいないで下さい。日本国内では偏向報道のため、気づかないでしょうが、捕鯨は重要な国際問題です。皆が「捕鯨は国辱だ」「時代遅れだ」「クールじゃない」と断言したらいいのです。そんな声は、国際関係に優れた実績を作っている現政権にならば届くのではないか、と期待しているのですが。
日本の本当の力は、人間中心主義ではなく、エコ中心主義の新しい世の中でこそ開花するものだと思います。エコ中心主義で世界をリードできるだけの力、伝統、技術、人間力を持った国です。そう信じているのは私だけではないと思います。
鯨の巨大便(1):http://ikebana-shoso.blogspot.com.au/2017/06/blog-post_8.html
鯨の巨大便(2):http://ikebana-shoso.blogspot.com.au/2017/06/blog-post_9.html
鯨の巨大便(3):http://ikebana-shoso.blogspot.com.au/2017/06/blog-post_10.html
*1、もう一つの典型的イメージは象の密漁でしょう。象は絶滅に瀕していますが、密漁が止まりません。この事態の主な原因のひとつが、日本人の象牙の印鑑等への執着だと厳しい批判がなされています。
http://news.nationalgeographic.com/2015/12/151210-Japan-ivory-trade-african-elephants/
http://www.japantimes.co.jp/news/2017/02/28/national/crime-legal/japan-tighten-control-domestic-ivory-trade/#.WUCFnxOGO_o
鯨の巨大便(5)
鯨の巨大便(4)
鯨の巨大便(3)
鯨の巨大便(2)
鯨の巨大便(1)