日本文化史上の生け花の位置付けについて分かりやすい講義を見つけました。
筑波大学名誉教授今井雅治先生の日本語学習者向けの講義ですが、外国の方に日本文化、生け花を紹介したいという方にもとても役立つことでしょう。
https://jfcairo.wordpress.com/2013/01/06/ikebana/
この講義の中で私が関心を持った点はたくさんあります。
私の話(「生け花・環境芸術・神道」)の出発点として都合がいいので、おいおい説明していきます。
まず、注目したいのは、生け花と西洋アレンジメントの大きな違いについての説明。
「最終的には悟りを目指していること」これが生け花、
「美しさの追求」これが西洋花、とされています。
生け花は修行であり、西洋花は芸術である、と言い換えてもいいかしれません。
私の21世紀的生け花考(「花を留める」ー伝言ネット版)シリーズなどを読んで下さった方はすぐに、「あれ?」と思われることでしょう。
私が何度か指摘していることですが、1930年代の新興いけばな宣言以降に人気を得た生け花流派(つまり現在日本で主流をなしている生け花)、草月流などは生け花は芸術だと宣言したわけです。
つまり、修行としての生け花という本質を捨てているのです。
生け花は西洋花と同じところを目指す「芸術」になったということ。
ここにはとても深い問題があります。私が先のエセー・シリーズで何度か触れた問題です。また、別の機会に続けます。