生け花に関してはいろいろなことをやっています。
実は、そのほとんどは方便だと思っています。
生け花ギャラリー賞を運営しているのは
賞を取ることを奨励してるのではありません。
その他にもいろいろな見方があるでしょうが、
根本のところでは、生け花学習者の動機付け、サポートを目指しています。
生徒には、商業的な機会は積極的に掴みなさい、
教えられる状況になったら教え始めなさい、と言っています。
それも、お金を得ることが目的ではありません。
生け花を長く、継続的に続けるために役立つと思うからです。
長く続けないと生け花の本当の目的を感得できないでしょうから。
お金が入ってくると、やはり続くのです。
生け花はお金や名声を得るためにあるのではないでしょう。
根本的には、生をいくばくか豊かにするためのもの。
それだけです。
そこに気付いて貰えば十分です。
できればより多くの方に。
生け花展やら生け花フェスティバルやら
またまたパフォーマンスまで、いろいろやりますが、
それら一つ一つがそれ自体で目的だということはなく、
結局、皆、方便なのです。
Related Posts:
メルボルン生花フェスティバルの分かりにくさ 先のポストで触れたように、生花に関する様々な活動に関わっていますが、自分にとって最もわかりにくいのが、メルボルン生花フェスティバルです。まだ1回しか開催していないのですから仕方ない部分もあります。自分の納得できる形になっていないという事もあります。商業的な事業であれば、経験からやり方がわかります。学問のような個人的なプロジェクトも同様です。どちらも達成目標が明確で、それに向かって手順よく努力していけばいいのです。慣れたものです。また、… Read More
日本文化の発信(2) 次から次へと生花関連の企画を思いついては、取り組んでいます。生花道場、生花ギャラリー賞、メルボルン生花フェスティバル、さらに学術的な取り組みなどなど。お金になるわけでもなく、名声につながるわけでもない。それでもやらざるを得ない。と言うか、基本的には好きなことをやっているだけなのですが。さらに、来年から「いけばなとは何か」と題し、山根翠堂の名言を英訳していこうと思います。真生流のお家元からお許しをいただきましたので、国際いけ花学会の「い… Read More
外国人に生け花を教える難しさ(5) 何度もお断りしていますが、外国人の中にはとても生花が上手な方がいらっしゃいます。それはまずきちんと確認しておきたいと思います。それでも、時々、「これは外国人の作品だな、日本人はこういう作品は作らないな」と思うことがあるのです。それが、私の生徒の場合、どのように指導したらいいのだろう、と悩むことになります。ひとつ特徴的なのは、線の硬さ。まあ、例えば、直立不動(気をつけ!)のままダンスを踊っている感じです。不自然で、硬いなあと感じます。詩… Read More
日本文化の発信(1) 先週、当地(オーストラリア)のラジオで東日本大震災の特集をやっていました。そこに二人の日本専門家が登場し、あれこれ日本社会にコメントしていました。そこで「ああ、そうか」と、「自分がぼんやり思っていたことはこういうことか」と納得したことがあるので書いてみます。まず、日本文化の紹介者、研究者には大雑把に言って、二つのタイプがあるということ。一つは、日本文化にある程度の敬意を持った方。というか、日本文化の奥深さを認識し、自分の知らないことも… Read More
生け花の本質、そして活け手の危険性
2019年度のメルボルン生け花フェスティバルが終了しました。
私のスタッフをはじめ本当に多くの方々が頑張って下さいました。
心よりお礼申し上げます。
フェスティバルについてはまた別の機会にまとめてみます。
今回は、個人的に気付いたことから。
パフォーマンスをはじめあれこれやったせいでしょうが、私の評判がとてもいいのです。
勘違いされそうな言い方ですね。つまり、私の実力以上にちやほやしてもらっているなあ、という感じがするのです。
確か… Read More