華道家 新保逍滄

2018年11月26日

生徒への感謝と生け花への妄想


外国人の生徒に生け花を教えるのがいかに難しいか、
などということとをあれこれ書いてきたのですが、
実は、それは本当に小さなこと。
http://ikebana-shoso.blogspot.com/2018/11/blog-post.html
https://ikebana-shoso.blogspot.com/2018/09/blog-post_3.html

私の生徒はすごいなあと感心することが、ずっと多いのです。

もちろん、日本とは違いますから、例えば、制作協力を依頼しても、駆けつけてくれる人の数には限りがあります。その他、日本の華道教師が当然のこととして享受しているようなメリットは享受できないことが多いです。しかし、それも小さなこと。

なんといっても、熱心な生徒さんが多い。
しかも和気藹々とやっています。
これほど教師にとってやりやすいことはない。
とてもいい雰囲気で教室が運営できていますから、生徒が増え続けるばかりです。
ありがたいな、といつも感謝しています。

今月で、2018年度のレッスンも終了。来年2月まで約3ヶ月、休暇です。
昨晩、上級者向けに宿題のリストをメールしました。
3項目ほどあったのですが、その一つは、
生け花ギャラリーに投稿すること。
https://www.facebook.com/IkebanaGallery/

すると、該当者のほぼ全員がその日のうちに投稿。
なんという真面目な方々なのだ!

彼女らをどうサポートしていくか。
そんなことを今考えています。

海外での最大の問題はマーケットが小さすぎるということ!
生け花をいくら修得しても、それが収入源になるということは難しい。
生け花を学ぼう、生け花の装花を依頼しよう、などというニーズが少なすぎるのです。
これは現実的な難問。
私の生徒がいくら上手になっても、個人ではこの壁はなかなか超えられないでしょう。

解決策は、生け花の普及、定着。
これには大規模な戦略が必要です。
既存の組織などは成果をあげていないのですから。

今考えているのは、メルボルン・生け花・フェスティバルの開催。
メルボルンを海外における生け花の首都にしよう!などと豪語しています。

ここで、一つのパターンができたら、これを世界規模で拡大します。
例えば、シンガポール・生け花・フェスティバル
アムステルダム・生け花・フェスティバル
ニューヨーク・生け花・フェスティバルなどというのが世界中にできてくる。
これを一斉にやってみる。
国際生け花・デーなんていうのができるかもしれない。
生け花の認知度は一気に上がります。
生け花教師への需要もぐっと増える。
ここまでくると妄想ですが、そういうことを考える人も必要でしょう。

現在、地球環境が壊滅的なことになっています。
人類最大の危機が迫っています。

自然との関わりを再考しなければいけない時期にきています。
この人類的な課題に、一つの示唆を与える要素が生け花にあるのでは?と感じています。
自然=資源という近代資本主義社会の自然観を超えた自然観が、そこにはあります。

間もなくユネスコの学術誌に書いた私の論文が出版されるようです。
そこでも、そのような生け花の環境芸術としての可能性について書いています。

今こそ生け花をもっと普及させなければいけない、ということです。

2018年11月23日

生け花ギャラリー賞:生け花とコンクール


生け花とコンクールについては、いつか歴史的な見地からもきちんと書いてみたいなあと思っています。

今までも以下のようなことを考えてきました。
https://ikebana-shoso.blogspot.com/2018/09/blog-post.html
https://ikebana-shoso.blogspot.com/2018/06/blog-post_21.html
http://ikebanaaustralia.blogspot.com/p/faq.html

生け花とコンクール(競争)はどうも相性が良くないのでしょうか。

私は現代芸術の方が主な活動領域です。ついでに生け花をやっているようなところがあります。現代芸術の方から生け花を見ると、おかしいなあというところがたくさん目に付きます。そのひとつが、コンクール、賞、競争に対する態度の違い。

もちろん現代芸術には賞もコンクールもたくさんあります。多くの人がそこへの入賞を目指していますが、また、落選したとか、希望がかなわなかったしても、それは芸術家にとっては当たり前のこと。誰でも失意は経験するもの、とサバサバしたものです。でないとやっていけないのです。ある意味で、競争(あるいは批評)に対してとても成熟した態度を持つ方が大半です。

ところが生け花ではどうもそういうことにはなっていません。生け花は芸術だと一方では主張する。そう主張している本人が、芸術にはつきものの競争(そして批評)を毛嫌いするというところがあります。歴史的にもそのような例があります。

もちろん、競争には長所も短所もあります。また、競争を否定することにも、長所、短所があります。それを踏まえて、競争のプラス面を楽しんでいいのではないでしょうか。競争を毛嫌いする人は、競争に対する態度が未熟なのではないか?未熟な競争心が強すぎるのではないか?それが私の仮説です。

私たちも生け花学習者向けのコンクール、生け花ギャラリー賞を運営していますから、毛嫌いされる、批判されるということが時にあります。さらに、卑劣な方法で攻撃してくる人まであります。情けないものです。対抗処置として署名運動を始めました。実のところ、趣旨は、生け花に卑劣さは無縁だと間接的に訴えたいのです。早く大人になって、一緒に楽しんだらいいではないか、それが無理なら、どうかお構いなく、と言いたいところです。ご協力お願いいたします。
https://ikebana-shoso.blogspot.com/2018/11/blog-post_19.html


2018年11月19日

フェースブックをより安全に、より賢明に


署名ご協力のお願い
フェースブックをより安全に、より賢明に!https://www.change.org/p/facebook-make-facebook-safer-wiser
 フェースブックは、オンライン上のいじめ、嫌がらせなどへの対策として、使用者が不愉快だ、嫌がらせだなどと感じた場合、フェースブックへ報告できるシステムを導入しました。報告されるとそのポストは直ちにフェースブックから削除されます。
 効果的である反面、悪用される可能性も否定できません。そのような迷惑を被ったものとして、事態の改善を求めたいと思います。
 私どもは2012年からオンライン上での国際生け花コンクール、生け花ギャラリー賞を主催しています。運営スタッフ、国際的な審査員共々、ボランティアにて生け花学習者のサポートになればということで続けています。
 2018年8月に本年度の受賞者をフェースブック上で発表しました。その報告は2万人ほどの方々に届いたのですが、間もなくファースブック上から削除されてしまいました。
 再度、ブログ上の結果 http://bit.ly/IkebanaAward18 を、フェースブックに送信しようとすると、次のようなエラーメッセージが出ます。
 警告:このメッセージは禁止された内容を含んでいます。フェースブックの他の方がアビューシブ(悪態、誹謗)だと報告しているからです。
 私たちのポストは、励ましと感謝の言葉ばかりが並んでいるのですが。 http://bit.ly/IkebanaAward18
 フェースブックに3度にわたって報告しましたが、事態は改善されていません。
 なお、同時期に生徒作品の写真も突然削除されました。こちらはフェースブックに報告後、回復しました。
 フェースブックに期待したいのは、以下の2点です。
1、2018年度の受賞者報告を回復してほしい、
2、フェースブックへの報告機能が悪用されないよう改善してほしい
 この署名活動は、生け花の世界で私たちが経験した出来事を、日本、世界各地で生け花に関わる多くの方々と共有したいために始めたものです。以下のリンクからぜひ署名にご協力下さい。

We understand that Facebook is working hard against online bulling, abuse or harassment. However, we would like Facebook to work harder in this regard. 
If someone does not like a post, she or he can report it to Facebook as offensive or abusive. Then, Facebook immediately removes such a post. That’s sound like a good system. But what happens if someone abuses the system to harass others anonymously? That’s exactly what happened to us. 
We have been running an international online ikebana flower competition since 2012. All of our administrative staff and internationally renowned judges are working hard as volunteers simply to encourage and support ikebana students around the world. 
We posted the result of the this year’s competition in August 2018. http://bit.ly/IkebanaAward18 The post reached about 20,000 people. But shortly after the announcement the post disappeared from our Facebook page, facebook.com/IkebanaGallery/.
When we try to post again, we get this message - “Warning: This Message Contains Blocked Content. Your message couldn't be sent because it includes content that other people on Facebook have reported as abusive”.
As you can see, our post is full of encouragements, good will and gratitude. http://bit.ly/IkebanaAward18
We have reported Facebook this case three times, but no improvement has been made.    
Around the same time, our photo albums of the students works were also deleted from our Facebook page. We reported it to Facebook and they came back shortly. 
We would like Facebook
1. to bring back our post announcing the results of the competition, and 
2. to put in more checks and balances so that the system will not be abused in this way in the future.   
We started this petition to let ikebana lovers in Japan and all other parts of the world know about this unfortunate case and encourage them to unite for a better ikebana world. 
We have asked the Headmasters of all major ikebana schools in Japan, Ikebana International and other ikebana related organisations to support this petition.    

2018年11月1日

外国人に生け花を教える難しさ(2)


外国人に生け花を教えるのは難しいという話の続きです。
前回の話は以下です。
https://ikebana-shoso.blogspot.com/2018/09/blog-post_3.html

今回は特に難しいと感じている生徒についてです。
つまり特殊なケーススタディ。外国人全般に当てはまるわけではないでしょう。

この生徒の作品は
ともかく強いだけ。
ともかく花がどっさりあるだけ。
そこにはポエトリイがないのです。

そこで、私の対策は、基本形の徹底復習。

基本形を選んだのは、この生徒の問題の核心が、
バランスのおかしさ、
間のおかしさ、
調和のなさ、といったことで、基本が身についていないということだったからです。

おそらくその方針は正しいと思います。
その方針が有効だった生徒も出ていますから。

10回位やってもらおうとしたのですが、とにかく抵抗します。
「今回は基本形の中でも、その応用形をやる」とか、
「今回は特別な花器を使う(基本形には不適)」とか。

とにかく一番単純な基本形!
皆が一番最初に習うシンプルな基本形を完璧に作ってくれと
言っているのですが、聞いてくれません。

これはなんだろう?

どうも、この生徒にとって基本形を今更やらされるというのはプライドに関わることであるようなのです。性格的に少し特別なところがあります。周りの人を圧倒し、すごい!と思われることに喜びを感じているようです。
さらに、この生徒は、基本形を美しいとは思っていないようでもあります。

基本形には生け花の美しさのすべてがあります。
そこを身につけないことには、まともな生け花が作れるわけはないのです。
実は基本形はとても難しいのだよと説明してもなかなか聞いてくれません。
この生徒にとっては自分が美しいと思うものしか作れません。
それはシンプルな美しさを持つ作品ではなく、
ともかくゴテゴテ、やたらうるさく、強いだけの作品なのです。
自分、自分、自分で溢れかえっています。

ふと思いました。これはお手上げだ、と。

生け花は人間修行だと言われます。
謙虚さのない人、傲慢な人には無理です。

生け花に求めるもの、つまり学ぶ動機が違うのです。
他からの賞賛や、自分の劣等感の補償を求めることだけが目的では、
生け花の本質には到達できないでしょう。

日本人が数世紀をかけて作ってきた美の基準、そこへ至る方法。
まずは、それに敬意を払うこと。
自我流の入り込む余地はないのです。
特に、初心者にとっては自己を滅却してお手本を真似しつつ
基本を身につけることが最優先。
無私の境地です。

先生の言葉に素直に従うことも大切です。
我が強すぎないほうがいいのです。
ここは日本人が得意とするところかもしれません。
しかし、そういう態度が身についていない人には難しいでしょう。

そうして基本形とともに、
基本的な生け花の原則を身につける。
そのあとで初めて、自由形を楽しんだらいいのです。

基本形などつまらん、自由形だけで行こうというのなら、生け花など習う必要はないのです。
教えるのが大変です。これが結論。

しかし、さらなる問題は、話がここで終わらないということ。

実は、上記のような自我流の生け花作品を作り続ける人が海外には少なからずいます。
面白いことに、それが評価されたり、
お金を払う人があったり、
時に何かの賞を取ったりします。

日本でなら自我流では評価されず、いずれ淘汰されてしまうでしょう。
しかし、周囲も生け花とは何かよくわかっていない状況ですと、
自我流生け花も淘汰されず、ああ、こんなものかと受け入れられるわけです。

しかし、それが悪いことでしょうか?

おそらく、通常の基準からすれば、生け花とは言えないでしょうが、本人は生け花だと主張します。日本の流派から師範やらなにやらの肩書きを手に入れたりもします。周りの方も評価します。

とすれば、放っておくしかないのではないでしょうか?
(たくさんの人に教える立場になって欲しくないなあとは、こっそり思いますが)

「こんなの生け花じゃない」などと言えば、喧嘩になるでしょうし。
(そういえば私もよくそんなことを言われますが)
他人が評価を得ているのに、ケチをつけるようなことは人間として恥ずかしいことでしょう。

また、時に、そうした方が、とても味のある作品を作ることも稀にあるのです。

海外における生け花の状況はなかなか面白いのです。

2018年9月17日

役者脱落宣言


前回のポストで私が好きなLove Actually について書いたところ、
思いついたことがあります。

私が役者への夢を完全に諦めた出来事。

役者になろうなどと本気で思ったことはないのですが、
オーディションに来ないかと声をかけられ、出かけて行ったことは3、4回あります。
なかなかギャラがよろしかったのです。

しかし、その最後のオーディションでのこと。
最後というのは、もう2度とオーディションへなど行くことはないでしょうから。

日本の航空会社のコマーシャルのための制作でした。
セリフはなし、経験不要ということでした。
これは私にぴったりだと思ったのですが、行ってみると、要求は、
「君は、日本の禅僧だ。日本庭園を作っている。作り終えた時、自作の庭を眺め、至福の表情を浮かべてほしい」。
これをカメラの前でやるのです。

3回やりました。
諦めました。

私がニコリと笑っても、視聴者は私が自作への満足感を表していると感じ取れるでしょうか?変なこと考えているんだろう、くらいにしか思われないでしょう。

考えてみると、果たしてプロの役者でもセリフなしで、そんな表情を作れる方がありますか?笠智衆さんくらいでないと無理ではないでしょうか?

役者さんの大変さが少し分かったように思うのです。
半端な気持ちでやれる仕事ではないのです。

Love Actually 礼賛


私は映画はあまり見ません。
DVDコレクションも20本も持っていないでしょう。
(もっとも最近、これらに加え、「男はつらいよ」全巻取り揃えましたが)
それでも幾つかの作品は、年に1回くらい繰り返し見ています。
その一つは、Love Actually。

日本でどのような評価がされているのかと思って、
幾つか映画評を読んでみました。
共感できる映画評がありませんでした。

この作品はとてもおしゃれです。
成熟した、大人のコメディ。
これを日本人が作れるか、と思うとまず不可能でしょう。

日本で名優とされる方々は、多くは眉間にしわ寄せて人生を語ったり、
怒鳴ったりというような役が多い。

コメディと言っても、ボケとツッコミのやり取りが多く、
どうもいじめの文化かなあと思ったりします。

例えば、Love Actually のヒュー・グラントのキャラクター、
私は大好きなのですが、これを演じられる人は、まずいないでしょう。
ユーモアがあり、冗談がうまく、
自分の状況をちょっと距離を置いて眺めて、やれやれと溜息をついたり。
そこに人柄の良さ、誠実さ、余裕、人生への態度が現れる。

おそらく、最近、亡くなられた樹木希林さんはそんな役が演じられる稀な方じゃなかったかと思います。思いがけず、樹木さんとヒュー・グラントが重なってしまいました。
素人の思いつきですが。

2018年9月3日

外国人に生け花を教える難しさ



以前、「生け花上達のコツ」ということで書き出したところ、外国人に生け花を教える難しさ、という話に変わっていったのでした。今回はその話の続きです。

https://ikebana-shoso.blogspot.com.au/2017/02/blog-post_8.html
https://ikebana-shoso.blogspot.com/2017/08/blog-post_9.html
https://ikebana-shoso.blogspot.com/2017/08/blog-post_13.html

草月流の場合、5冊教科書があり、1、2冊目は基本型、以後、自由花ということになります。おそらく、日本人にはそれでいいのでしょう。私のクラスでも日本人の場合、あまり問題はありません。

しかし、外国人の場合、このカリキュラムでは5人に1人くらいしか目的のレベルに到達できません。もちろん、これは私のクラスでのことであり、私の指導力不足という限界があるのは承知していますが。

自由花に入っていくと、多くの生徒がおかしな作品を作り出します。しかも、その生徒独特のクセのようなものが毎回表れます。貧弱だったり、色使いが混乱していたり。単に力強いだけだったり。結局、基本が身についていないのでしょう。私が生徒に与えるコメントは、以下のようなものが多くなります。

「綺麗な作品だね。でも、綺麗さを作品の目標にしてはいけない。生け花の原則に則って制作しましょう(これは綺麗な作品だけど、生け花と言えないよ)」

「生け花は数学だ。日本の美学は数学だ。君の作品のどこに数学があるんだ」

「弱い!君は瞑想していない。花と君の間に大きな距離があるんだ。もっと花と話しなさい (だんだんイライラしてきます)」

「花でお遊びして何になる。なんのために生け花やっているんだ!」とまでは、直接は言いません。だんだんコメントが厳しくなっていくのです。

私の生徒作品はフェースブックに紹介していますので、よければご覧ください。
https://www.facebook.com/IkebanaGallery/

そこで対策です。2つほど考えて実践しています。
効果はまだわかりませんので、詳しくは紹介できません。

ただ、ひとつは基本型の徹底復習。
これは不評です。やりたがりません。

しかし、完璧な基本型を作れれば、かなり効果があるのではないかと思っています。
そのような基本型を持てることが流派の最小限の存立条件でしょう。

ともかく、だまし、だまし上級者(実力での上級ではなく、カリキュラム上の上級)にも基本型の練習をさせています。
結果がどうなるか、いずれ報告できるでしょう。

補記:もしかすると、外国人(ことに西洋人)への生け花指導の難しさには、自然観の違いが根本にあるのかもしれません。日本人の神道的な自然観 (自然を客体視しない)への共感が生け花の修得には必要になってくるのではないか、これは大きな、そして、かなり魅力的な仮説です。



2018年 生け花ギャラリー賞


2018年度の生け花ギャラリー賞が発表になりました。

ご察しいただけるように、このプロジェクト運営はなかなか時間がかかります。

生徒作品ということで、まだまだ不十分な作品が多いのですが、
それでも生徒にとっては数万人の方々に自作を見てもらえる機会となる、
さらに
国際レベルの審査員(日本で最も著名な美術館長、兵庫県立美術館長蓑豊先生を含む)に作品を見てもらえる機会となる、

しかも、それが無料。

それらは、やはり華道史上意義あるプロジェクトと評される根拠でしょう。

それに、選出された生徒の喜び!ときたら大変なものです。

「生徒への励まし、生け花を学び続ける動機付けになれば」ということで始まったプロジェクトですから当初の目的は達成できているように思います。関係者の努力も報われるというもの。

そして、毎回いろいろな課題が出てきます。
それらについてはまた別の機会に話しましょう。

さらに、相変わらず抵抗勢力の嫌がらせは続きます(笑!)。
そこには生け花の特殊性があるように思います。
例えば、絵画コンクールとか、音楽コンクールであれば、
このような嫌がらせはないだろうと思います。

海外の方々からは、「生け花とは審査されるべきじゃないだろう」、「賞が生け花に関係あるか?」とか、私たちのフェースブックに書き込まれます。生け花になると、権威主義的な発言をされる方が多いと感じます。

もちろん、異論を持つのも、反対意見を持つのも自由です。しかし、私たちの結果発表に合わせて嫌がらせを書くという心性は普通ではないです。受賞者、おめでとう、ご協力いただいた方々、ご苦労様、というムードの中へ水を差すような書き込みをするわけですから。話して分かり合える相手ではないでしょう。こういう方に限って「生け花マスター」などと自称されていることが多いので手がつけられません。

私もこのプロジェクトの意義をあれこれ書いていますが、一人一人相手に議論するつもりもありません。そこまで暇ではないのです。

また、日本の生け花の教師、生徒からは静かに無視されています。
海外発の賞である、超流派の賞であるなどいろいろ事情はあるでしょうが
日本の生け花のあり方の一面を反映していると思います。
各流派主催のコンクールですと、上からの意向にしたがって参加すればいいのですが、
自分で判断しなければいけない要素があると慎重になるのかもしれません。
しかし、いずれ状況は変わってくるだろうと楽観視しています。

このような経験を通して、結局、生け花とは何か?
なんのために生け花をやるのか、その最大公約数は何か?
と個人的に考えているところです。

問題は生け花が容易に金や名声に結びつくというところにあるのではないでしょうか。

それを最大に利用しているのは、家元制度、流派という組織かもしれません。
もちろん、それが悪いなどと言うつもりはないです。
日本文化に特徴的な現象で、興味深いものです。貢献度も大きいでしょう。

ただ、生け花の本質はもしかすると、そんなところにはないのではないか、とも思うのです。
生け花は魂を磨くための一つの技術です。
自分のためだけに日々修練していければいい。
それだけのものだと思います。

2018年7月27日

生け花ギャラリー賞決勝進出の条件


私たちの主催する2018年度生け花ギャラリー賞の準決勝15作品が7月に発表になりました。

この15作品は過去1年間に生け花ギャラリー・facebook に投稿された作品から選ばれます。

選ぶのは生け花ギャラリー賞委員会メンバー。全員師範を有する生け花教師。世界各地の先生がボランティアで協力して下さっています。そしてこの中から5作品が決勝進出です。私たちの審査員の先生方に送り、審査していただくのです。

この5作品の選出には、私たちの審査員の一人にご協力いただいています。日本の生け花研究家としてはおそらく最高レベルの方です。この選出はかなり難しい作業だと思います。選ばれた作品をみると、先生がとても慎重に選んで下さっていることがよくわかります。なるほどなあ、といつも感心します。結果は、まもなく発表になりますので、facebook あるいはブログにご注目下さい。

「上手くまとまっているというより、世界観のようなものがある作品が今後の伸びしろがあるのではないか」というコメントを、今回、先生からいただきました。

ここには注意すべき点が幾つかあります。

ひとつは、「上手くまとまっている」ことのもろさ、です。生徒作品ですから、初心者の作品と言っていいと思います。初心者でも上級者のある部分を真似て、それなりのまとまった作品を作ることができると思います。学習上は必須の過程です。しかし、それだけでは決勝まで行けないということです。

そのような作品には欠けているものがあります。
先生はそれを「世界観のようなもの」と表現されました。

私は、それは瞑想性ではないかと思います。最近、生徒作品を見ていてよく感じることは、瞑想を経ているかどうかが作品に生命が宿るかどうかを決める、ということです。

制作の過程で、素材をしっかり見つめ、素材と語り合い、素材を生かしているか、ということです。表現は難しくなりますが、様々な方が同じようなことを色々な表現で語っておられるはずです。

本当に瞑想し、悩み抜いて、作られた作品は判ります。

同時に、とにかく綺麗に仕上げようとか、人を驚かしてやろうというような意図で作られた作品、細部への配慮が欠けた軽率な作品、というのは安っぽくて、見ていてイライラしてきます。

その次元を突破していただきたい。

おそらく、生け花が瞑想だというような経験、生け花の喜び、というのもそこら辺にあると思います。なんとか、師範取得前に、そのような境地を体得して欲しいと思います。時間はかかりますが、そこまで到達できた方でないと、生け花ギャラリー賞決勝進出は叶わないでしょう。

今回書いたことはいつかもう少し掘り下げてまた考えてみます。

2018年7月18日

ワークショップの目的


Ikebana Workshops

Shoso Shimbo and his students conduct Ikebana workshops at a special price.
Book early. Number of tickets are limited.

When: 7 October 2018
Where: Breakfast Parlour, Abbotsford Convent, Melbourne
$35

Details

先に、生け花教師には技術指導だけでなく、指導力指導も必要ではないか、と書きました。
https://ikebana-shoso.blogspot.com/2018/07/blog-post.html

指導力のない生け花教師に将来はありません(ちょっと言い過ぎか)!
教え方が下手では、生徒が増えない、教える機会が減る。
教える機会が少なくなると、生け花も生活から遠ざかります。
どうしても生け花に費やす時間が減っていきます。
その結果、生け花の上達も限られるのです。
10年、20年かけて先生方を見てみればそういう結論になります。

私の生徒から力のある教師を育てたい。
すると指導力指導にも力を入れざるをえません。
10年、20年計画です。

指導力指導の一環として、まもなく開催する生け花展でワークショップを同時開催し、
私の生徒たち(新人教師、上級の生徒)に指導実習をしてもらおうと思っています。
いろいろ配慮する点があります。

料金も適当に設定しないといけないでしょう。
高すぎては満席にならず、また文句も出やすくなる。
安すぎては赤字になる。ビジネスマンと自負する私には赤字のオプションはありえません。
限られた時間内にたくさんの生徒に指導の機会を作るため、少人数クラスとし、多数のセッションを設けます。定員9人のクラスを8回予定しています。
新しい生徒獲得と、新人教師、教師予備軍の実習という二つの目的を持っていますから。
参加した生徒(クライアント)にはアンケートに答えてもらい、良かったところ、改良すべき点をフィードバックしてもらいます。きついコメントがあるかもしれません。お金を頂く以上、覚悟しないといけません。

私の生徒たちも大変ですが、どうなるか、楽しみです。

2018年7月16日

2018年度生け花ギャラリー賞準決勝


恒例の生け花ギャラリー賞、準決勝進出作品が発表となりました。ぜひご覧ください。
https://ikebanaaustralia.blogspot.com/2018/07/semi-finalists-for-ikebana-gallery.html
Facebookは以下になります。人気投票も受け付けていますので、よければご参加ください。
https://www.facebook.com/IkebanaGallery/

この賞創設の意図についてはあちこちで書いています。
https://ikebana-shoso.blogspot.com/2018/05/blog-post_28.html

最大の動機は、生け花をキャリアとして取り組んでいきたいという方を助けたいということ。
特に、海外では、生け花で幾らかの収入を得るということ自体、なかなか難しい。
海外で生け花をキャリアにできるという人は極めて少ないのです。
幸運にも、私はその一人です。
とはいえ、日本とは状況が違います。
私の活動範囲はおそらく日本の一般の生け花教師よりはるかに広いでしょう。
私の状況については、別の機会に書くことがあるかもしれません。

ともかく、

私は、海外で生け花で収入を得る人がもっと増えてほしいと思っています。
教室を運営するのが一般的でしょうが、そのような形でいいですから、生け花で稼いでほしいと思っています。

なぜか?

それが生け花を人生の一部として、継続させるきっかけになるからです。
上達し続けるためにも、実際に指導していくということが大切だと思っています。
生徒にもそのように説得しています。
商業的な機会を積極的につかめ、と促しています。
そんなことを言っているのは私くらいでしょうが。
それには理由があります。

私は海外で生け花が上手だなと関心した人々に何人か会っています。
しかし、同時に、数年経つと、生け花をやめていたり、
ちっとも進歩していなかったり、
そういう人が多いのです。

それに対し、以前それほど上手とも思えなかった方が、
数年でとても進歩していることもあります。
そういう方は決まって、指導などの活動をされています。

生け花の上達には時間がかかります。
その長い修行を継続させることはどうしたら可能か?
最もてっとり早いのは生け花が幾ばくかの収入源になってくれること。

そこまで考えて、サポート策を考えている生け花教師は、おそらく私一人かなと思います。私への共感者、賛同者が全くないですから(私の側近教師たちを除いて)。私を批判する人はありますが。
「俺はあなたの10年後を心配して、言っているんだ」
なんてアドバイスする先生はあまりいないのでしょうね。

本当は各流派が検討すべき問題です。

しかし、そこまで取り組んでいる流派は一つもありません。
海外会員を収入源としか見ていないのではないかと思うこともよくあります。
海外会員を増やしたいと意図した活動は散見します。
しかし、海外の事情を踏まえて、自立をサポートするまではいっていません。
趣味として生け花をやる人を開拓しているだけです。

おそらく、海外に最大の生け花学習者を抱えているのは草月流でしょう。
大手の草月流がこの問題について動いてくれたら素晴らしいでしょうね。

ともかく、

私の意図は、「生け花ギャラリー賞受賞」と履歴書に書ける生け花学習者、教師を増やしたいということ。

それが生徒を集めるのに役立ったり、
コンクールに出品する助けになったり、
制作依頼を得る助けになるのではないか、
それらが最大の効果でしょう。

さらに、受賞者は自信をもてるはずですし、
生け花にもっと精進しようという方が多く出てくるのではないか。
そういうところも目指しています。

 そして、もうひとつ。

今後、取り組みたいのは、生け花教師の指導力をどう伸ばすか、という問題。
技術はある、しかし、指導力がないという教師は問題です。

技術については、各流派、いろいろな取り組みがあります。
しかし、指導力については、どうでしょう?

「素晴らしい作品を作る。しかし、教え方が下手すぎ」という先生より、
「多少、技術は劣る。しかし、教え方がうまい」という先生の方が
実際には、生徒数も増え、生け花文化拡散には効果的なのです。

しかし、「海外での指導」となると言葉の問題、文化の問題などいろいろあって、一筋縄ではいきません。

今いろいろ考えているところです。

2018年6月27日

一日一華:締め切りが破れない


私は締め切りを破ったことがほとんどないように思います。

確かに、人生後半ともなれば、締め切りをうっかり忘れていたとか、体調不調でお手上げ、ということは何回かあったと思います。ただ、自分がきちんと意識した場合、不思議とやり遂げているのです。

原稿依頼の締め切り、
彫刻制作の締め切り、などなど。

実は、今日も無理だと思っていた6000語の英文論文を仕上げ、
学会誌の担当者に送付したところです。

時々、よく間に合ったなあと自分でも感心することがあります。
周りの人たちにもよく感心されています。
「だめだあ、時間ねえ」とぼやいても
「あなたは大丈夫」としか返事してもらえないのです。

タイムマネジメント能力かもしれません。
学生の頃もあまり無茶な長時間の勉強もせず、やるべきことはやってこれたように思います。

しかし、もっと関係があるように思うのは長距離走者だった経験。
中学、高校の頃ですが、どんなに苦しくても絶対完走すると自分に誓って、それを守り通しました。一度でも脱落すると、それが癖になってきっといつも脱落するような人間になってしまうんだ、と自分に言い聞かせていたものです。

それにしても、あの長距離走の苦しさ!
自分を追い込んで意識が朦朧とするまで走り続けた日々を思うと
この程度の苦しさ、なんでもない。
そう思うことが度々でした。

おそらく自分を少しは強くしてくれた経験だったようです。

Shoso Shimbo

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