華道家 新保逍滄

2026年7月31日

メルボルン生け花フェスティバル2026:挑戦について





 Noteに「メルボルン生け花フェスティバル」における最近の「変革」について思うところを、記しました。

https://note.com/shoso_shimbo/n/ncea10e58369a?sub_rt=share_pw

変革というのは、同時に挑戦ということでもあります。

現状を変えたいなら、挑戦する。

現状を変えたくないから、挑戦しない。

今回は、挑戦しない限り、近い将来、組織が存続できなくなるだろう、という状況でしたから、挑戦せざるを得なかった訳です。

そうした非常事態でない場合にも、挑戦ということは問題になります。例えば受験などもそうかもしれません。高校生の頃、私が自分の志望大学を告げると、周囲の人たちには笑われたものです。実際、自分の身の丈に合わない大きすぎる挑戦でした。

私を笑った人たちのことをふと思います。私の人生に何の意味も持たない人たちでした。

要は、挑戦する自分を笑う人たちとは距離を置くことです。議論しても意味がない。自分が挑戦に失敗すればさらに笑われるでしょうし、成功すれば妬まれ、憎まれる。他者の成功を褒め称える度量もない。それだけの人たちです。

もちろん、そのような人たちとの付き合いが大切なら、挑戦などせず、皆の期待に応じて、目立たぬよう、嫌われぬよう気をつけて、グループの中でおとなしく生きて行くことが大切でしょう。皆と同じように振る舞い、同じように考え、目立つ者の悪口を言い。そんな、皆に好まれる生き方をしている人が多すぎるように、私には思われますが(いつか私の甥がこの文章を読んでくれることがあるでしょうか?おじさんは君にもそう言いたいんだよ)。

挑戦する限り、周囲に敵が現れ、「不遜だ」、「お前ごときにそんなことができる訳ないではないか」というような声に囲まれます。嘲笑、陰口はもちろん、機会があれば、ここぞとばかりに陰で足を引っ張るような者まで出てきます。そういう人達とは、礼を失しないように心がけつつも、冷静に、確実に、距離を置く。自分が関わるべき相手ではないのです。

そのグループから卒業することで、自分によりふさわしい、その上のレベルのグループに入ることになるのだと思います。挑戦者の心がけとして、そのような見切りが大切なのではないかな、と思います。犀のツノの如くひとり行け、と釈尊も言っている通りです。

気楽に始めたメルボルン生け花フェスティバルの運営。思いもしなかった挑戦に次々と見舞われています。挑戦者の心がけで乗り切るしかないでしょう。CEO放談シリーズであれこれ書いています。挑戦など必要とせず、気楽に運営できる状態を夢見ていますが、そうなってしまうと、もしかすると、あまり楽しくなくなるのかも。辞めたくなったりするでしょうか。

Shoso Shimbo

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