この作品の花材はすべて庭から採ったもの。
アガパンサス、紫陽花、家の前の街路樹の実。
さらに花器まで自作です。
前のポストで、生け花をやっていると難しい人と出会うことがある、
と書いたばかりですので、
今回はいい出会いもたくさんあるのだというお話。
メルボルンでいつも感心するのは池坊の先生方です。
とても礼儀正しい。
しかも友好的。
池坊の本部から講師の方や家元がいらっしゃると
よく声をかけていただきます。
「他流の先生がいらっしゃっても、案内なんてされないんだからみんな参加しなさい」
と私の生徒を誘い、ワークショップなどに参加させていただきます。
昨年は、ワークショップの後で、
訪問された講師を囲んで先生方が歓談なさっている席に
「いらっしゃい」と誘われ、
私の生徒共々加えていただきました。
「池坊、いいですね」と私の生徒。
「まったくねえ」
以前、池坊のテキストを拝見したことがあります。
あまり記憶は確かではないのですが、
最初に、生け花を習うということは、
花の修養だけでなく、
人間としての修養なのだ、
というようなことが書かれていたように思います。
華道すなわち人間修養という見方は
「専応口伝」あたりにも既にあります。
生け花のそうした面をきちんと伝えることは
重要ではないかと思います。
池坊の方々は海外でもいいお手本を
示して下さっているように思います。
生け花は人間修養だから、
優れた華道家は礼儀正しいもの。
これは日本では当然、ほとんど常識ですね。
下品で荒っぽい華道家なんて
想像出来ないでしょう。
ところが、海外ではそうした文化的な背景がありません。
「花が上手に生けられたらいいんだ、
人間性なんて知ったことか」
もちろん、そこまでひどい人はいませんが、
寛容性に欠けるということに
なり易いように思います。
折に触れて、
生け花すなわち人間修養ということ、
人間性豊かでないといい花なんて活けられないんだ、
と伝えていきたいものです。
もちろん、私自身まだまだ修行中の身ではありますが。