私たちの生け花コンクールを巡る国際紛争(?)について続けます。
あまり愉快でもないこんな話を続けるのは、
ひとつには、今回の問題にはパワハラ的な性格があると思うからです。
さらに、いろいろと学べることがあるように思うからです。
おそらくこんないじめのような問題はいつでもどこにでもあったはずです。
しかし、従来は、たしなみのある方々が多い上に、
インターネットも普及していなかったわけで
あまり表立つこともなかったのでしょう。
特に海外での問題となると。
でも、黙って耐えるなんてもうそろそろ止めていいんじゃないでしょうか。
明るみに出し、こういうことが少なくなる方法を
皆で話し合っていく、ということがあってもいいと思います。
ですから、若干、気後れしながら、
攻撃的になったりしないよう注意しながら、続けます。
おつきあい下さい。
しかし、私が感じている、この話しづらさ。
例えば、いじめにあっている方が、なかなか口外できない、
という感覚に似ているように思います。
学校のいじめでもいじめられている生徒は
なかなか認めないでしょう。
「からかわれているだけです」なんて言って。
「いじめられているの?」と教師が生徒に尋ねるとします。
「いいえ」と、生徒。
「あ、そう」と済ませてしまうようでは教師失格。
悲惨な事態になって、
おかしいなあ、なんでだろうなどとずっと後悔することになります。
こんな嫌がらせにあった、なんて言うのは
なんとも意気地がないというか、みっともないことですね。
いじめる相手を見下しているのに、
自分の負けを認めるようなところがあります。
私も華道家として活動していますと、嫌がらせを受けます。
目指しているものが違いますから仕方ないと思っています。
しかし、それを口外するのははばかられます。
中傷しているようで嫌になります。
卑劣な相手と同じレベルに
自分が落ちて行くような感じです。
ただ、問題なのは、
他人をいじめる人間、
セクハラ、パワハラをする人間もそうでしょうが、
こうした下らない連中は、相手が口外しにくいという、
この心理につけ込んでいるということです。
いろいろな状況で気軽に相談出来るシステムができるといいのですが。
さて、話を戻しましょう。
パスタが他国のアナに送ったメール。
パスタがアナに腹を立てている理由は、
アナの国には華道教師がいない、それで、以前少し勉強したことがある男性、
ブラン(仮名)を中心に集まって自主的に勉強しているという、そのこと。
さらに、
非正規の華道教室じゃないか、
そんな連中がこのコンクールに参加するのはけしからん、というのです。
ここでも笑えます。
何たる不寛容、と思われるかもしれませんね。
私の生徒の多くはそうでした。
そして、口を揃えて「小さーい!」(笑)
Pettyという単語で表現します。
しかし、なぜこんな考え方をするのか。
海外で活動する私には察しがつきます。
似たような状況を経験しているからです。
実は、生け花、日本文化の多くは、海外の多くの国々で特別な位置にあります。
クールで、洗練されていて、それを修得していること即ち、ちょっとしたステータスなのです。
日本で言えば、例えば子供の時から英会話を勉強していて、英会話が得意な方。
ちょっと特別な気持ちがするでしょう。
英会話以外にも得意なことがあればいいのでしょうが、
英会話が唯一の得意なことだったとします。
そこへ、英会話が学校で必修になり、すべての人が基礎的な英会話ができるようになったりしたら、その方はどう感じるでしょう?
多少、不愉快な感じがするのではないでしょうか?
もう自分は特別ではないと。
もう優越感には浸れないということで。
それと似た事情なのです。
パスタはおそらく生け花以外にはあまり誇れるものがないのだと思います。
英語がちょっとひどいですし、学歴も調べた限り、普通以下。
こんな表現で失礼します。ただ、国際社会では英語がひどいと知性ある方と
思われないところがあるのです。ご容赦を。
そんな彼が、数年華道教室に通い、華道師範を得た。
彼にとっては大きな業績です。
しかも、自国のリーダー的な位置にまでつけた。
こういう人は自分の立場を脅かすような出来事には強烈に反応します。
力のある者があれば、敵かどうか、まずさぐります。
敵なら排除しようとします。
非正規に生け花を学んで力をつけたとあっては、自分の権威に傷がつきかねません。
排除しようと動きます。
ただ、こうした方は、日本の流派、家元にとっては
とても都合がいいのです。その理由が分かりますか?
そのせいか、こうした方が好き勝手にやっても
日本の流派は黙っている、という構造があるように思います。
私はこの流派の態度が大きな問題だと思います。
また、次回に続きます。