華道家 新保逍滄

2015年2月27日

日本での研究発表


2015年4月、いけ花と現代芸術について、以下の通り2回の研究発表を行います。
ご都合が付きましたら是非お越し下さい。

国際いけ花学会春期例会

日時:2015年4月2日午後2時〜4時
場所:京都造形芸術大学人間館NA204
題目:「いけ花における拡張領域(2):ロザリー・ガスコイン」
参加費:500円。国際いけ花学会協賛会員の方は無料です。
先に発表した「いけ花における拡張領域(1):勅使河原宏」の続編になります。
ガスコインについては以下のブログのポストで紹介しています。
http://ameblo.jp/shososhimbo/entry-11963417369.html
日本語による発表です。
詳細:http://www.ikebana-isis.org/2014/12/blog-post_28.html

The Asian Conference on Arts and Humanities 2015

Dates: 3-5 April 2015
Venue: The Osaka International Convention Center, Osaka  
Title: Power in the Discourse of Art: Ephemeral Arts as Counter-monuments (English presentation)
エフェメラル芸術の可能性を探ります。エフェメラル芸術には無常の彫刻、あるいはいけ花も含まれるでしょう。英語による発表です。
発表の論文は数ヶ月後、以下のサイトから無料で参照出来るでしょう。
詳細:http://iafor.org/conferences/acah2015/





2015年2月25日

一日一華:小説・教室のうわさ話(3)


「ハロー、ショーソー」
おっと、見つかった。まだ教室開始の20分前。
おにぎりでも食べておこうと台所から移動途中だった。
「ね、ちょっと聞いてよ」
玄関でスリッパに履き替えもせず、
土足で入ってきて、私の前に立ちはだかる。
また始まった。ナタリーさんに捕まったら、逃げられない。
20分でも30分でも、
いや、一日中だっておしゃべりがとまらない。
腹ごしらえは諦める。
「息子のガールフレンドなんだけど、最悪。悪夢よ。
私達に、サイテーの親、なんて面と向かって言うのよ。
親がひどいから息子がこうなったんだ、なんて。
よくもまあ言ってくれたわ。
私達の家でよ。
晩ご飯に呼ばれて、なんていう口のきき方。
シンガポールの富豪の娘だかなんだか知らないけどね、
メイド付きで育って、生まれてこのかた家事をやったことがないなんて、
そんなのまともじゃないわよ。
ね、そうでしょう?
全くうちのポールときたら、
よりによってなんであんな娘選んだのかしら。
そりゃね、きれいよ。
単に高い服着てるって意味じゃないの。分かる?
なんていうか、何でもきちんと着こなしているっていうか。
アジア人の女の子って、きれいな子って本当にきれい。
だけどね、あんなのうちの子に合わない、絶対。
ポールはとても優しい子なの。
ハンサムだし、背が高いし、髪はきれいなブロンド。
ねえ、だれかいい子知らない?」
「そうだなあ。うちのクラスのユキさんなんてどう?
恋人募集中だって言ってたけど」
「いいわね。あの子、とても優しそうだし」
「作戦、練りますか?」
「うーん、だめよ」がっかりした口調で言い切る。
「ポール、本当にほれてるの。正気の沙汰じゃない。
だけどね、あの二人、絶対うまくいかないわよ。
続くわけないんだから。続かないわよ」
そう言いつつナタリーはどたどたと自分の机に向かった。
私の存在などもう念頭にないようだった。

2015年2月23日

一日一華:小説・教室のうわさ話(2)


教室の残り物でひとつ活けてみました。
ダリアは我が家で育てたもの。
簡単に育つ上、色がきれいです。

さて、私と私の生花の生徒とのうわさばなしなどを
紹介してみようかということです。

しかし、個人的なことに触れて、面倒なことになっても困ります。
「なによ、ここだけの話だったのに!」
なんていうことで。

ですからこのシリーズ、小説にします。
すべて架空。
海外の小さな街の小さなエピソードの紹介、
でも、そこにちょっとした異文化が感じられたら面白いかな。

しかも、定期連載ではありません。
気まぐれ連載です。

私は午前、午後、夕方と3クラス教えています。
一番人気で、一番にぎやかなのが午後のクラスです。
奥様方に人気の時間帯。

ある程度、余裕のある方々が多いようです。
我が家の前にヨーロッパの大型車がずらりと並びます。
子育ても終わって、一安心。
生花にでも挑戦してみようかしら、というところでしょうか。

ところが、Nさんはちょっと違います。
話す時はいつも微笑みを浮かべ、とても品のある方。
そこまでは他の方と、まあ同様。

「このクラスは私にとって唯一の心休まる時間なんですよ」
「それはありがたいお言葉です。
でも、なにか心配なことでも?」
「実は」

お嬢さんが結婚し、メルボルンに住んでいるのですが、
突然、難病に。
ご主人はすっと逃走。
そういう男の話は残念ながらよく聞きます。

仕方なく自分たち夫婦が他州から引っ越して
お嬢さんの世話をしているのだとか。
24時間ケアが必要とのこと。
余裕のリタイア生活を送るはずだったのが暗転。

他州から引っ越してきたため友達もいない。
クラスでは、他の方とも親しくされているようです。
「あとでお茶でも」なんていうこともあるようです。
小さな憩いの時間にしていただければ嬉しい限りです。

2015年2月22日

一日一華:教室のうわさ話(1) 


メルボルンの花菱レストランに活けた作品。
毎回、花材を用意してもらい、とても便利なうえに、
なにがでてくるか分からないという面白さがあります。

さて、オーストラリアで生花を教えていますと
ちょっと日本では経験出来ないだろうなあということがよくあります。

まずは、生徒が教室でどんな話をしているか、
なんていうところからお話ししてみましょうか。

生徒は明るい方が多く、オープンに接してくれますし、
教室もいい雰囲気でやっていられます。

今回はマディーのことを少し。
彼女については話したいことがたくさんあるのですが。
普通は仮名を使うつもりですが、彼女は実名で大丈夫でしょう。

まだ大学を出たばかり。
母親と2人で教室に通ってきます。

昨年度、頑張って週に3回も教室に通っていました。
そして、念願の生花ギャラリー賞受賞

そのころ趣味で、バンドで歌っていたのです。
しかし、どうもうまくいかないと話してくれました。
「 なぜ?」
「私の声がきれいすぎるって言われて」
「聖歌隊みたいな感じ?」
「そうね」
「それじゃあ、バンドに向かないのかな」

それからソロで歌いだすと、少しずつ人気が出てきて
生花クラスもなかなか出席出来ないほど。

そして、ついに
メルボルンの新人歌手発掘コンクールで優勝。
メルボルンの音楽はレベルが高いと思います。
予選通過者数百人の中からの優勝です。
ローカル新聞全ページに写真が載っていました。

「1年に2つも賞をとったね」
「今年は私、超ラッキー」

その頃、最新のBMWのスポーツカーで教室にやってくるようになりました。
「なんじゃ、この見苦しいの?」
「会社が貸してくれてるの。少しはお金払っているんだけど、ほとんどただ」
仕事も順調のようです。

そうなるとますます生花クラスに来られなくなります。
それでも頻繁に「ごめん、また休みます。でも、またすぐ教室に戻ります」というような
メールが来ていました。

そして、1週間ほど前、「CDデビューです。ローンチには是非きて下さい」というメール。
それはちょっとした成功ではないか。

カフェバーに付随した小さな会場でした。
彼女が歌いだすや、私は驚いて家内を振り返りました。
「いいじゃないか。すごい声だ」
さらに、驚いたのは、客の反応。
彼女の歌に皆、しーんと聞き入っています。
そして、曲が終わるごとに大喝采。
日本ではよくある光景かもしれませんが、
オーストラリアのカフェバーでは
めったにないことです。

以下のサイトで彼女の歌声をお楽しみいただけます。
陽をあびたせせらぎがさらさら流れて行くような
何度でも聞きたくなるような歌声でしょう。

http://bit.ly/1CVpnmM
https://soundcloud.com/madeleine-duke

酔っぱらった蜂の歌。
俳句にヒントを得たというのですが、
私にはどの俳句か分かりませんでした。
芭蕉だというのですが。
一茶ならそんな作品があったかもしれないですが。

2015年2月16日

一日一華:笑うか怒るか(5)


これまで数回に渡ってお話ししてきたいけ花ギャラリー賞を巡る国際紛争(笑)に関連して、私が英文サイトに忠告を載せ、
いけ花ギャラリー賞のサイトに私達の決定を載せました。

その後、パスタ氏からはなんの反応もありません。

ブランからはいけ花ギャラリー賞のサイトに決定を
載せるや、5分もしないうちにメッセージが届きました。

「たった今、ニュースを読んだところです。
心よりお礼申し上げます。
貴方の公平な態度、さらにいけ花の本当の精神を
反映させた決定にお礼申しあげます。

また、他のポストで、今回の件に関連し、いけ花教師の不親切な態度に遭遇したと書いておられましたね。とても申し訳なく思っています(これは私の英文ブログに載せたポストのことです)」

パスタがどう動くのか、まだ分かりませんが、私達の決定に納得してもらえればありがたいところです。ひとまず、一件落着と見なしていいのかもしれません。

海外で生け花をやっているということ。
それがある種の方々に、独特の優越感をもたらすということ。
そこまでは、まあ、いいのでしょうが、
この優越感故に、いじめ、パワハラ、排他的態度などが起こり易いということ。

実際、よく起こっているのです。
リーダーなり流派なりが、
きちんと対応を考えてほしい問題です。
場当たり的な対応ではなく、もっと抜本的な対応を望みます。

ひとつヒントになるのは、池坊の指導方針です。
この連続記事の前のポストで少し触れています。
他の流派、特に大手流派に見習ってほしい点です。

技術指導をもっぱらとするのではなく、
生け花は精神文化であるという側面も
海外では伝えていただきたい。

精神文化などというとなんだか大それたことのようですが、
そうではないのです。

日本で「当然、華道をやっている人ならこうであろう」
と一般の方が考える常識的なことです。
マナーとか、たしなみとかいった日常的なことも含みます。

それが海外にはないわけです。
基本的に、そう思っていただきたい。
ですから技術指導だけでは、不十分なのです。
技術を教えただけで、生け花を教えたということにはならないのです。




2015年2月13日

一日一華:笑うか怒るか(4)


私達のオンライン生け花コンクール、生け花ギャラリー賞で起こった
国際紛争(笑)について報告しています。

某国のパスタ氏が、他国の生け花学習者を侮辱したということです。
笑えるような、腹立たしいようなできごとでした。

さて、私達のパスタへの対応ですが、
まずは穏やかにいきます。穏便に納まればそれでいいでしょう。
彼を罰しようと動いて、溝を深めるのもどうか。

この愚行の原因はパスタの自己保身、不寛容にあるのだろうということを
既に前のポストで分析しました。日本在住の方には分かりにくい事情があるのです。

そして、もうひとつは彼の日本文化に対する無知。
日本の華道教師であるなら、ありえない狭隘な言動です。

第一に、私がやったのは私の英文ブログにやんわりと忠告を掲載。
http://www.shoso.com.au/2015/02/basic-ikebana-articles.html
思いやりに欠ける行為をする生け花教師に遭遇した。
生け花が何か分かっていないのではないか。
文末に以前、雑誌に書いた二つの短い英文エッセーを再録しました。
生け花とは技術だけでなく、精神面をも鍛える修行なのだ、というような内容。
人に優しくするためには時に勇気が必要だ。自己の内なる恐れを克服する勇気と力を花が与えてくるのかもしれない。そうした力がないといじめに傾くと、言いたいわけです。

彼の目にも留まるはずです。
これで目が覚めてくれれば幸いですが、どうでしょう。

第二には、まもなく生け花ギャラリー賞のサイト上
私達の見解を発表します。

「正規の生け花教師から直接学ぶという機会が得られない方々の生け花学習の難しさは理解出来ます。それにもかかわらず情熱的に取り組んでいらっしゃることは、素晴らしいと思います。生け花ギャラリー賞の目的は世界中の生け花学習者を無差別にサポートすることです。正規に生け花を学ぶ方だけでなく、非正規に学ぶ方々からの投稿も歓迎します。このような決定に至ったのには以下の3つの理由からです。

第一に、非正規に学ぶ人が生け花を面白くすることがあるかもしれない。日本の華道は正規に指導を受けた方ばかりでなく、指導を受けないか、わずかの指導だけで創造を続けた華道家によっても発展してきている。

第二に、生け花とは本来芸術的な側面と精神的な側面とから成り立っています。精神面での成長に有用なものとして、無差別の実践があります。この教えに従い、内なる恐れを克服する勇気を持つことが重要です。非正規に学ぶ方々を差別せず、受け入れるのは当然のことです。

第三に、生け花ギャラリー賞は生け花史上初の世界中のあらゆる流派の方が無料で参加出来るコンクールです。このユニークさ、寛大さ、公平さ、友好的態度。これらは私達の哲学です。

近年、いくつかの流派が自己の流派内でオンライン・コンクールを開始しています。正規に学ぶ方々はこうしたコンクールにも参加出来るでしょうが、非正規に学ぶ方々にはこの賞が唯一の機会なのです。

有資格の生け花教師から学ぶ機会がないという不利な状況にも関わらず努力されている方々を、この賞から除外することでさらなる不利な状況に陥れるなどということがあってはなりません。国際的なレベルの、生け花や芸術の専門家である私達の審査員から直接フィードバックを受けることができるという小さな学習の機会を提供出来ることをとても喜ばしく思います。世界中の生け花フレンドがこの決定に同意してくれることでしょう。」

彼を説得しようと甚大な時間を費やし、こんな小論文まで用意しているわけですよ。
これで石頭にも目覚めてほしいですね。
ここで反省出来るならパスタも相応な人物でしょう。
過去の過ちも水に流しましょう。
しかし、どうでしょうか?

他国の方々への嫌がらせが続いたり、
生け花ギャラリー賞への出品を控えるよう自国の生け花学習者に
強要したりするなら、仕方ないですね。
彼の所属する流派の家元に事態を報告し、
善処を求めるしかないでしょう。
それが一番手っ取り早い方法かも知れません。
そして、その流派の対応をここで報告しましょう。

事態はまだ進行中です。
どうなっていくのか、またいつか報告出来るでしょう。

2015年2月12日

一日一華:笑うか怒るか(3)


私たちの生け花コンクール、生け花ギャラリー賞を巡る国際紛争(?)についてさらに続けます。

パスタからメールで攻撃を受けたアナの教師、
ブランが私にメールを送ってくれました。

自分たちの事情を詳しく説明してくれています。
正規に生け花を学ぶ機会はないが、日本からの訪問者があるたび
その機会を捉えて学んできたと。
なんともけなげではないですか。
コンクールに参加していいだろうか?というのが趣旨。

当たり前だよ、と返事をすると、とても感謝して下さり、最後に、
「この件についてきわめて不寛容な方がある。
くれぐれも最大の注意を払って対応して下さい。」

私達の決定は、こうだ、と即公表してもいいのですが、
パスタにも礼をつくしましょう。
ブランからのアドバイスもあることですし。
「この件に関し、貴方が最も気になる点は何なのか?」

すぐに返事が来ました。多少、ブロークンな英語で、意味不明の部分があるのですが、大意は次のようなこと。

「非正規の生け花学習者は、正規の学習者の資格を貶める。コンクールの価値を引き下げることになるし、正規に芸術を学ぶ者のやる気をなくさせる。言っておくが、我が国の者は今後一切、このコンクールには参加させない」

ここでも私達は大笑い。

正規に生け花を学んでいるということが特殊なものだということです。
特権意識に近い。
非正規にしか学べない者などと、同席出来るか、と。

コンクールで自分の生徒が、他の流派の生徒に負けたとか、非正規で生け花を勉強している生徒に負けたとかいうことになると、生徒から批判されるのではないかと不安になるのかもしれません。

たかが小さなコンクール、勝ってもよし、負けてもよし、楽しもうじゃないか、という具合になれたら素晴らしいと思いますが。

ともかく、彼は大手華道流派、ユーロッパの大国の支部長レベルの方です。
無視するのもひとつ。放っておいたらいい。

しかし、もう少し建設的な解決方法はないものでしょうか?
相互の立場を理解しあい、相互に協力出来るような関係が作れないか。

パスタの行為の問題点はいくつかあります。
まず、他国の少数の生け花学習者に対する嫌がらせ。
私達に対する営業妨害。
このプロジェクトは非営利活動ですから
被害を計上することはできませんが。
自らのグループの生け花の生徒が自由に国際コンクールに参加する権利を奪っている。
さらに、日本文化に対する無知。

日本の華道教師が他の生け花学習者を理不尽な理由で
攻撃する、侮辱するなどということがあり得るでしょうか?

例えば、日本の離島で先生の指導が得られず、自分たちだけで生け花を勉強しているグループの方がオンライン上に作品を掲載したとします。
その方々に対し、「生け花やっているなんて言うんじゃねえよ。そんな資格ないぞ」なんて暴言を吐く先生、あり得ないでしょう?

華道とは花を生けるだけでなく、人格の向上をも目指すもの。
人間修養という考えがある程度、浸透している日本ですから、
そんな愚劣で、思いやりのかけらもない態度が明らかになれば、その先生につく生徒などいなくなるのではないでしょうか?

さらに、この暴言教師が、ある流派の、例えば大阪支部長であったとしたら?
その先生本人というより、その流派はどうなっているのか?
ということになるでしょう。

パスタが一個人ではなく、日本の大流派の某国支部長という責任ある立場にあるということが今回の問題を見過ごすことのできないものにしているのです。
自己保身ゆえの、不寛容な一個人の愚行というレベルでは済ませられない。彼の発言は彼の流派を代表するものだという見方だってできるでしょう。
大流派であるだけに、パワハラという要素も出てきます。

彼の言動の責任は、彼の無知を放置して、権力を与えている流派にもあるのではないか?技術指導だけで、精神的な側面の指導を怠ってきたのではないか?
そういう人が海外で日本文化を体現しているだの、マスターだのと言って
会員を統制している姿は、日本文化に対する侮辱です。
日本人として恥ずかしい。

こうした問題に誠意を持って対処する意志がないなら、
海外進出する華道流派の狙いとは、日本文化を広めるなどということは建前ばかり、
本音は金儲けだけなのではないでしょうか。

実際、パスタのような人間は権威を欲しがり、精力的に活動します。流派はそれにつけ込むことができ、便利なのです。「それ、間違っていませんか?」などとすぐ声を上げる人間は扱いにくくてしょうがない(笑)。

さて、私達の対応策です。
次回に続きます。

一日一華:笑うか怒るか(2)


私たちの生け花コンクールを巡る国際紛争(?)について続けます。

あまり愉快でもないこんな話を続けるのは、
ひとつには、今回の問題にはパワハラ的な性格があると思うからです。
さらに、いろいろと学べることがあるように思うからです。

おそらくこんないじめのような問題はいつでもどこにでもあったはずです。
しかし、従来は、たしなみのある方々が多い上に、
インターネットも普及していなかったわけで
あまり表立つこともなかったのでしょう。

特に海外での問題となると。

でも、黙って耐えるなんてもうそろそろ止めていいんじゃないでしょうか。
明るみに出し、こういうことが少なくなる方法を
皆で話し合っていく、ということがあってもいいと思います。
ですから、若干、気後れしながら、
攻撃的になったりしないよう注意しながら、続けます。
おつきあい下さい。

しかし、私が感じている、この話しづらさ。
例えば、いじめにあっている方が、なかなか口外できない、
という感覚に似ているように思います。

学校のいじめでもいじめられている生徒は
なかなか認めないでしょう。
「からかわれているだけです」なんて言って。

「いじめられているの?」と教師が生徒に尋ねるとします。
「いいえ」と、生徒。
「あ、そう」と済ませてしまうようでは教師失格。
悲惨な事態になって、
おかしいなあ、なんでだろうなどとずっと後悔することになります。

こんな嫌がらせにあった、なんて言うのは
なんとも意気地がないというか、みっともないことですね。
いじめる相手を見下しているのに、
自分の負けを認めるようなところがあります。

私も華道家として活動していますと、嫌がらせを受けます。
目指しているものが違いますから仕方ないと思っています。
しかし、それを口外するのははばかられます。
中傷しているようで嫌になります。
卑劣な相手と同じレベルに
自分が落ちて行くような感じです。

ただ、問題なのは、
他人をいじめる人間、
セクハラ、パワハラをする人間もそうでしょうが、
こうした下らない連中は、相手が口外しにくいという、
この心理につけ込んでいるということです。
いろいろな状況で気軽に相談出来るシステムができるといいのですが。

さて、話を戻しましょう。
パスタが他国のアナに送ったメール。
パスタがアナに腹を立てている理由は、
アナの国には華道教師がいない、それで、以前少し勉強したことがある男性、
ブラン(仮名)を中心に集まって自主的に勉強しているという、そのこと。
さらに、
非正規の華道教室じゃないか、
そんな連中がこのコンクールに参加するのはけしからん、というのです。

ここでも笑えます。

何たる不寛容、と思われるかもしれませんね。
私の生徒の多くはそうでした。
そして、口を揃えて「小さーい!」(笑)
Pettyという単語で表現します。

しかし、なぜこんな考え方をするのか。
海外で活動する私には察しがつきます。
似たような状況を経験しているからです。

実は、生け花、日本文化の多くは、海外の多くの国々で特別な位置にあります。
クールで、洗練されていて、それを修得していること即ち、ちょっとしたステータスなのです。

日本で言えば、例えば子供の時から英会話を勉強していて、英会話が得意な方。
ちょっと特別な気持ちがするでしょう。
英会話以外にも得意なことがあればいいのでしょうが、
英会話が唯一の得意なことだったとします。
そこへ、英会話が学校で必修になり、すべての人が基礎的な英会話ができるようになったりしたら、その方はどう感じるでしょう?
多少、不愉快な感じがするのではないでしょうか?
もう自分は特別ではないと。
もう優越感には浸れないということで。

それと似た事情なのです。

パスタはおそらく生け花以外にはあまり誇れるものがないのだと思います。
英語がちょっとひどいですし、学歴も調べた限り、普通以下。
こんな表現で失礼します。ただ、国際社会では英語がひどいと知性ある方と
思われないところがあるのです。ご容赦を。

そんな彼が、数年華道教室に通い、華道師範を得た。
彼にとっては大きな業績です。
しかも、自国のリーダー的な位置にまでつけた。

こういう人は自分の立場を脅かすような出来事には強烈に反応します。
力のある者があれば、敵かどうか、まずさぐります。
敵なら排除しようとします。

非正規に生け花を学んで力をつけたとあっては、自分の権威に傷がつきかねません。
排除しようと動きます。

ただ、こうした方は、日本の流派、家元にとっては
とても都合がいいのです。その理由が分かりますか?

そのせいか、こうした方が好き勝手にやっても
日本の流派は黙っている、という構造があるように思います。
私はこの流派の態度が大きな問題だと思います。

また、次回に続きます。

2015年2月11日

一日一華:笑うか怒るか(1)

古い針金で遊んでみました。

さて、過去2回のポストで触れた問題。
私たちの生け花コンクールを巡る国際紛争。

笑うべきか、怒るべきか。
私の生徒も家族も皆同じ反応。
笑ったり、怒ったり。
さらに考えてみると、そこには面白い問題も潜んでいるように思うのです。
日本文化について。

特に、海外ですから、異文化としての日本文化の受容の問題。

問題の概要がはっきりしてきましたので
何回かに分けて報告しておきましょう。
詳細を忘れたくないですし。
やはり、面白いです。私自身、いつか別の形で書きたいと思うほど。
それに、日本の方々に広く知っていただきたい問題です。
もし共感していただけたら、是非シェアして下さい。
インターネットがあるからこそ報告出来る
笑える、しかし、腹立たしい問題。
問題の原因がどこにあるのか。

発端は、昨年度の私たちのいけ花ギャラリー賞に入選したある国のアナ(仮名)宛の、
別の国のパスタ君(仮名)のメール。

そのやりとりをパスタはすべて私に転送してくれました。
「どうだ。ひどいだろう。とんでもないじゃないか」とかなり剣幕。

しかし、私には何が問題なのかさっぱり。

もう一度メールのやり取りを読み直しました。
はじめは丁寧なやりとり。
それから段々、無礼な言葉の投げ合い。
パスタは「おまえなんか生け花の生徒だなんて言える身分じゃないんだ。
このコンクールに参加する資格なんかないんだ」などなど。
もっとひどい言葉なのです、実際。
これは良識ある人のやることではない。

パスタはある流派の華道教師。
その国のなかではかなり重要な位置にあるらしい。
しかも、彼の生徒が前回のコンクールでアナに負けているという背景がありました。

ここでまず笑えます。

私たちのコンクールがそれほどのものか?
賞金があるわけでもない、スポンサーもない。
まだまだ無名で、日本からもなかなか出展がないと困っている。
本当にちっぽけな賞でしょう。
それにここまでムキになることがあろうか?

自慢出来ることがあるとすれば、ボランティアの審査員の方々。
日本、オーストラリアのこれ以上は望めないだろうというレベルの方々です。
コンクールの趣旨をご理解いただき、ご協力いただいています。
本当に感謝しています。

パスタが腹を立てている理由というのが、
また何とも情けない。

それでまた笑えます。
次回に続きます。

2015年2月9日

一日一華:庭の草木で


この作品の花材はすべて庭から採ったもの。
アガパンサス、紫陽花、家の前の街路樹の実。
さらに花器まで自作です。

前のポストで、生け花をやっていると難しい人と出会うことがある、
と書いたばかりですので、
今回はいい出会いもたくさんあるのだというお話。

メルボルンでいつも感心するのは池坊の先生方です。
とても礼儀正しい。
しかも友好的。

池坊の本部から講師の方や家元がいらっしゃると
よく声をかけていただきます。
「他流の先生がいらっしゃっても、案内なんてされないんだからみんな参加しなさい」
と私の生徒を誘い、ワークショップなどに参加させていただきます。

昨年は、ワークショップの後で、
訪問された講師を囲んで先生方が歓談なさっている席に
「いらっしゃい」と誘われ、
私の生徒共々加えていただきました。

「池坊、いいですね」と私の生徒。
「まったくねえ」

以前、池坊のテキストを拝見したことがあります。
あまり記憶は確かではないのですが、
最初に、生け花を習うということは、
花の修養だけでなく、
人間としての修養なのだ、
というようなことが書かれていたように思います。

華道すなわち人間修養という見方は
「専応口伝」あたりにも既にあります。

生け花のそうした面をきちんと伝えることは
重要ではないかと思います。

池坊の方々は海外でもいいお手本を
示して下さっているように思います。

生け花は人間修養だから、
優れた華道家は礼儀正しいもの。
これは日本では当然、ほとんど常識ですね。
下品で荒っぽい華道家なんて
想像出来ないでしょう。
ところが、海外ではそうした文化的な背景がありません。

「花が上手に生けられたらいいんだ、
人間性なんて知ったことか」
もちろん、そこまでひどい人はいませんが、
寛容性に欠けるということに
なり易いように思います。

折に触れて、
生け花すなわち人間修養ということ、
人間性豊かでないといい花なんて活けられないんだ、
と伝えていきたいものです。

もちろん、私自身まだまだ修行中の身ではありますが。

2015年2月8日

一日一華:ストレリチア


今回も教室の残り物を集めて、小品をひとつ。
ストレリチアの葉を踊るように立ててみました。

日本の事情は経験不足で分かりませんが、
海外で生け花をやっていると、時々、難しい人に出会います。

おそらく生け花がその方のアイデンティティの根本になっているような方。
生け花をとったら、何も残らないなんていうことにもなりかねない。
もちろん、熱心で、素晴らしい方が多いのです。
しかし、どうした拍子にか、おそらく自信がないせいでしょうか、
曲がった形でそれが出てくる方があります。

攻撃的になったり、排他的になったり。
一言で言えば、不寛容。

数年前から生け花学習者を対象にオンラインコンクール
開催しています。

それがちょっとした国際紛争の種になっているのです。

二つの国の、おそらく生け花界のリーダー格同士が
私たちのコンクールへの出品資格を巡って対立。

「世界のすべての生け花学習者」が無料で出品出来る
というのが私たちの趣旨です。

「自分たちの国には華道教師がいない。グループで自主的に生け花を勉強している自分たちも参加させて欲しい」

是非どうぞ、と申し上げたいところです。が、

「生け花学習者とはいずれかの華道流派に属する者である」
という解釈をある国の方はなさる。

そこで前者のグループの方々は出品すべきでない、というのです。

私たちはまもなくこの件について、私たちの立場を公表します。
なんとか調停できるといいのですが。

しかし、なんでこんなことで苦情がでるのかなあと思ってしまいます。

実は、私には心当たりがあります。
同じように不寛容な方に何度か出会っていますので。

おそらく根本にあるのは、「恐れ」だと思います。
恐れに取り付かれると、人は優しさを忘れてしまいがち。

日本でもよく問題になる、いじめ。
その根には同様の構造があると思います。

寛容さを身につける重要さ、難しさ。
いろいろ考えさせられます。

2015年2月5日

一日一華:ドライフラワー


クライアントのお宅での生け込み。
3点の依頼ですが、たいていここにも、あそこにもと
追加になる方。

日本で買った木製の壷に
オーストラリアのネィティブ直物の
乾燥したものも活けて行ってよ、という追加リクエスト。
了解、了解。
ちょいちょいと、添え木留めで一種活け。
水は無し。

そうそう、1年で腕時計を4つ買った話をしたかったのでした。
今後、時計を買う時の参考にしていただければ、
私の失敗談にも多少意味があるでしょうか。

ひとつめ:セイコーのキネティック
少々高かったのですが、万年カレンダー付きで毎月日付を変更しなくて済む。しかも、電池不要。デザインもまあまあ。これで仕事、社交あらゆる場面で大丈夫。

と、ところが、数ヶ月経ったある日、
ぱたりと止まっているのです。
まあ、さすがのセイコーでもそんなこともあるかな。
時間を合わせ、数週間、異常なし。

すると、またも止まっている。
保証期間内ですから、見てもらいました。
1ヶ月以上待たされて、異常なしという返事。
そうかなあ。確かに戻ってきた時計は、きちんと動いているが。
それから数週間。また、止まっているのです。
今度は即、修理を依頼。
またも、待たされて、異常無し、という返事。
それから数週間。また、停止。

これはもう話にならない。
セイコー本社に直接苦情。
返品の上、全額返金してもらいました。

2つめ:Tissot
日本製品への信頼が崩れさってますので、海外の著名ブランドを購入。
セイコーから戻ったお金をすべてつぎ込みました。
デザインはさすがです。
それに秒針の動きがなめらかで気持ちいい。
私の持ち物やファッションに苦情ばかりの家内にも好評。

と、ところが、狂うのです。
1日に10秒ほど。週4、5分は狂う。

高校時代からセイコーのクォーツを愛用し、
狂う時計など、時計と呼べないと信じていましたから、即修理を依頼。
一応、新品の掃除はしてくれましたが、
この程度の誤差、許容範囲だというのです。
冗談じゃない。
4分狂えば、電車に乗り遅れ、授業に遅れ、
不便この上ない。

この時、インターネット相談のようなものに投稿しました。
こんなに狂う時計、21世紀に存在していいものなのか?

すると、高級時計では狂うのは当たり前ということらしい。
毎日、時間を合わせ、慈しんで使うものだとか。
その程度の誤差で騒ぐとは、度量の小さい人ですねえ、
なんてアドバイスされました。

私の知り得なかった優雅な境地があったのです。

家内の意見は、この時計はTissotにしては安すぎるというのです。
ちょっとしたものは数十万、百万以上するわけですから、
おそらくデザインだけで中身は安く作ってある、
そういう類いの時計だろうと。
そんな卑劣な会社じゃないだろうと思うのですが。

まだ買って2、3ヶ月でしたから、
インターネットで売ろうとしました。
しかし、いい値がつかない。購入価格の50%止まり。
2、3ヶ月使って、数万円捨てるというのもばかばかしい。

結局、手元に置くことにしました。
デザインは気に入っているのです。
しまっておいて、時間の正確さが問題にならない
何か特別な場面で使えばいいか。
優雅な境地に浸りたい時にでも。

3つ目:安物
日本へ出張中、東京、上野の路上に時計売りがいました。
「中国製じゃないよ、日本製のクォーツだよ」
見るとなかなかいいデザイン。
1000円。
これは買うしかない。
日本製なら正確だろう。
仕事に使う時計なので、正確ならそれで充分。
とても気に入っていたのですが、「安っぽい」と家内。
そんなことはない。
安いということを知っているから、そう見えるのだ。
知らない人が見れば、どうしてなかなか。

ただ、よく見ると秒針の動きが、
かち、かちではなく、
よれ、よれという感じ。
秒針が病身か。

やはり、まずバンドがすり切れてきました。そして停止。
電池を交換に持って行くと、店の男が、
時計を見るなり「ラビッシュ(ゴミ)」。
失礼なやつがいるものだ。
新しい電池でも、時間は狂いに狂って使用不可。

これは完全な失敗。ラビッシュでした。

4つ目:Pulsar
とにかくタフな仕事用の時計が必要なのです。
もうセイコーのクォーツに戻ろう、と決心。
時計もどこかで進化しているのでしょうが、
昔のものでいい。
安くて正確であればいい。
信頼出来る道具が欲しいだけなのです。

オーストラリアでよく見かける
パルサーというのはセイコーのブランドであるらしい。
そこのスポーツウォッチ的なデザインのものにしました。
買って数ヶ月、一度は止まり、
一度は10分ほど狂っていたり。
しかし、直せば、また正確に動いています。

1ヶ月に1回程度、時間合わせが必要ですが
支障なく活躍してくれています。
やれやれ。

安かったので、苦情は言うつもりはないのですが、一つだけ。
秒針が12時を指す時、針は真上を指すべきです。
しかし、それが文字盤の12時にぴったり一致しないのです。
若干、0.5分ほどずれている。
それがなんだか気持ちよくない。

しかし、しばらくはこれを使い続けます。
でも、次にはきっと満足できるものを。

2015年2月3日

一日一華:フサスグリ


メルボルンの花菱さんで、見事なフサスグリを用意していただきました。
ゼリーのような瑞々しさ、食べたくなります。

この日本レストランでの生け込みは、
毎週月曜日、最初の仕事ですから、
気持ちを切り換えるのにとてもいい機会。
2時間ほど朝の瞑想の時間をいただいているようなもの。
さて、今週も頑張ろう、と。

2015年2月1日

21世紀的いけ花考 32


 室町時代、いけ花(一般名称)には、正統派の立て花に対し、異端の生花がありました。両者の間には強烈な対抗意識があったのではないかと推定しました。立て花が弥生ー貴族ー仏教系であるのに対し、生花が縄文ー武士ー神道系だろうと。

 さて、この仮定を前提として、生花の意味を考えてみましょう。生花とは(1)死んだ花を蘇らせるということなのか、(2)生きている花を生き長らえさせるということなのか?

 正解は(1)です。(2)とすると、生花作者の主張は次のようになります。「生花は切り花を生き長らえさせているが、立て花は生き長らえさせていない。」果たしてそうでしょうか?実際、どちらも切り花に水を与えて生き長らえさせているわけで、違いはありません。両者の対立関係が成立しません。

 (1)とすると次のような解釈になります。いけ花の花は普通に生きている花ではない。切り花は切られた時、死んでいる。生きている花を生返らせるというのは論理的に不可。でも、死んでいるなら蘇らせることも可能になるわけです。「立て花は死んだ花を蘇らせていないが、生花は花を蘇らせているのだ」という主張なら、両者の対立関係が明確。論理的です。

 丁寧に説明してきたつもりですが、こんな話に慣れていない方にとっては難しい話に思えるかもしれませんね。しかし、本当に難しいのは、この続きです。

 上の結論は論理的に明確ではありますが、なにか大変なことを言っていないでしょうか?生花は「死んだ花を蘇らせている」って、どいういうことでしょう?死んだ花に再び生命を与えているというのです。一つ謎が解けたと思ったら、またさらに難しい疑問が出てきました。こつこつ考えていきましょう。

 今月は最近作ったブライダルブーケ。補色の黄色と紫を使ってという難しい依頼でしたからデザイン的には保守的な作品にまとめました。黄を主に紫を従に。バラは三種、大中小を組み合わせ、深みを持たせています。素材の色、形を取り合わせ、狙っているのはいけ花と同様、躍動的な調和感。西洋花なりに達成できます。結婚式の花も都合が付けば受注しています。お気軽にご相談下さい。

 昨年度開始のRMIT大学での講座「日本の美学:いけ花から現代芸術へ」は、今年も再開です。デザイナー、デザイン学科教師など面白い受講生と知り合えるのもメリットです。

 昨年度は日本から観光査証でメルボルンにやってきて、受講して下さった方までありました。週1回、3時間、6週間で1コース、夕方のクラスですから英語留学の方が英語の勉強のついでに受講して下さってもいいと思います。英語での授業ですから英語の基礎力があり、生け花の基礎をやったことがある方ですと、なお楽しんでいただけるでしょう。

Shoso Shimbo

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