華道家 新保逍滄

2021年12月9日

生け花と第二言語習得論

 学校の英語の授業を受けても英語は話せるようにはならない。英会話を身につけたければ、英会話教室へ。これは私が日本で学校教育を受けた頃の常識でした(私は大学までは日本です)。昔の話なので、最近はどうなのかわかりません。学校英語と英会話教室の英語。どうも違いがあるなあ、というのは多くの方が感じておられたことでしょう。いろいろな意見があることでしょうが、大学院で第二言語習得論を少しかじった者からすると、この違いにはとても重要な意味があります。簡単に説明します。言語教授法の歴史上、学校英語というのは文法翻訳教授...

2021年11月18日

生け花と嗜好

 フランスの社会学者、Bourdieuの"The Rules of Art" は、手強い本ですが、名著とされています。私にとっては専門外の本ですが、自由花運動の分析の際、参考にさせてもらいました。その論考は、京都芸術大学から出版される書籍の一章に加えられるようです。専門外のことに口を出すのはかなり怖いことだと承知していますので、いろいろ言い訳めいたことを言いたくなります。日本語版が入手できなかったので、英語で読み、それをもとに日本語で論文を書いた、などなどいろいろハンディがあったわけです。ま、それはとも...

2021年11月16日

生け花とポストモダン

 河合隼雄対話集「こころの声を聴く」(新潮文庫)の中で、ちょっと気になる部分があります。村上春樹とのやりとりです。河合「日本の読者はプレモダンの人もたくさんいるから、ポストモダンみたいに見える人もいるんですね。それも大きい問題でしょうね。モダンをまだ通過していない人(笑)(略)僕が心配しているのは、西洋の場合はモダンを通過してポストモダンに行くけれど、日本がモダンを回避してポストモダンに行った場合です」村上「それはすごい問題になりますね。(略)」私は生け花の文脈で、生け花の近代化について考えています。戦...

2021年10月31日

Zoom 生花道場、レベル3

 生花道場はのんびりと続けています。レベル1では、自由型でデザイン要素、デザイン原理を8回で導入。レベル2では、基本型を復習しながらデザインの基本を8回再確認。レベル3では、デザインから離れるということを目指して8回の予定。ともかくこのコースの根本を作ってしまいたかったので、全24課程とし、一区切りしようと思っています。その後で、いろいろ改変していけばいいでしょう。既存の生花コースとはかなり違うものになっているのではないかと思います。なんと言っても体系的で、理論的に整然としています。海外で生花を教えてき...

2021年10月15日

外国人に生け花を教える難しさ(6)

外国人に生け花を教える難しさ、ということで何回か考えてきました。https://ikebana-shoso.blogspot.com/search/label/%E5%A4%96%E5%9B%BD%E4%BA%BA その難しさの原因は何だろう、どうしたらあの独特で強烈な癖(失礼!)が矯正できるのだろう?と、あれこれ考えてきました。ひとつのことを考えだすと、あれこれと仮説が出てきたり、あれやこれやとつながってきたりするのがいつものことです。すると、ひとつのエッセーができたりします。ちょうど著名なオンライン...

2021年9月7日

花信:今、世界が求める花がここに

オンライン花展、HANADAYORI 2021が公開されました。世界中の方々からリクエストを募集し、華道家に個別に挑戦していただくという初の試みでしたが、予想以上の仕上がりでとても満足しています。生け花ならではの力、心を撃つ花のメッセージ。そのようなものが感じていただけるものになれば、と願っていましたが、公開初日から「涙が溢れました」というようなメッセージをいただきました。私たちが目指していたものが少しは達成できたのかもしれません。ご協力いただいた多くの方々にお礼申し上げます。花信詳細花信関連ポスト花信プレスリ...

2021年7月24日

メルボルン花器賞の発想

 前回、オンライン花展・花信の着想について書きました。今回は「メルボルン花器賞」の発想についてです。この企画もメルボルン生け花フェスティバルの新しいプログラムとして今年から始めたものです。まだ、うまくいくのかどうかは不明です。うまくいくことがはっきりしてから、「成功への着想」などとして自信たっぷりにお話しできれば、もっと面白いのでしょうが。今回もまた参考にしていただけるのかどうか分かりませんが、問題打開の方法として、もしかすると一般化できる点があるかもしれません。それほど独特の発想方法ではなく、広く行われていることでしょうが、私にとっては面白い経験でした。まずは背景です。コロナのせいで海外、州外からの出展者があまり見込めないだろうという非常事態です。すると、開場費用の捻出が難しくなります。どうするか?もちろん対策は色々あります。最も簡単なのはキャンセルすること。あるいはより小さな安い会場を借りること。しかし、メルボルンの文化芸術の発信地として知られ、市の中心部にも近く、数年来使っているアボットフォード・コンベント、これに代わる場所はなかなかありません。会場費用が仮に10万円だとします。出展者からの費用では5万円しか調達できない。不足の5万円をどうするか?ここが出発点だったのです。おそらく似たような状況を経験したことがあるという方もおありでしょう。まず考えたのは、会場を半分、陶芸教室に貸して、彼らと合同の展覧会にしようという案。陶芸教室を調べてみると、その数の多さに驚きました。メルボルン近辺で軽く20ほど見つかります。それに比べ、メルボルンで常時営業している生け花教室など一つもないはずです。陶芸はかなり大きなマーケットなのだと気づきました。さて、こちらの条件に合わせて展覧会をやってくれるところがあるだろうか?しかし、飛び込みでいきなりこんな話をもっていっても、私たち自体あまり実績がないため、なかなかうまく話が進みません。私の営業力は不十分です。どうしたらいいのか?問題は、予算です。その枠です。10万という枠組みで考えていると、どうしてもやれることが限られてくるのです。では、この枠組みを二倍にしたらどうか?つまり、20万の予算で発想してみてはどうか?20万遣って、20万入ってくる仕組みができないか?と考えると、途端にオプションが増えます!会場費の10万に加え、10万の賞金を予算に追加して花器賞を創設しては!?コンクール出品者から出品費用を集め、さらに、出展作品を販売。その手数料を得て、合計...

2021年6月22日

オンライン花展、花信の発想

 オンライン花展、花信(Hanadayori)の準備が整ってきました。https://www.ikebanafestival.com/news/hanadayori-2021素晴らしいゲスト出展者にも恵まれ、とても幸運な初回開催となりそうです。花信について、まず話したいことは、その発想の原点です。私にとっては少し変わったアプローチでした。何かの参考にしていただけるのか、それは不明ですが、少しお話ししてみましょう。通常、ある製品を開発する際、既存の成功している製品から発想していくということはよくあると思います。例えば、マツダのSUVがヒットした、となると、トヨタはそれとほとんど同じような製品でありながら、少し室内が広いとか、特別な装備を加えるなどして対抗する新製品を発売します。あるいは、あるイベントがあって、そこそこうまくいったという場合、そこからヒントを得て、さらにいろいろな改良点を加えて、発展させ、新しいイベントを企画する、というようなこともよくあると思います。つまり、AからA+を考えていくというやり方です。おそらくこれが普通の製品開発でしょう。今回の花信は、そういう典型的な製品開発とは少し違った方法でブレイン・ストーミングしていきました。オンライン花展をやりたいという発案がありました。それは、いろいろな意味で私達、メルボルン生花フェスティバルにふさわしい、ということだったのです。問題は、いかにやるか、ということ。出発点として、既存のオンライン花展をいくつか見てみました。何かもの足りないのです。でもそれが何なのか、また、どうすればいいのか全く見当もつきません。そこで、A,...

2021年6月19日

外国人に生け花を教える難しさ(5)

 何度もお断りしていますが、外国人の中にはとても生花が上手な方がいらっしゃいます。それはまずきちんと確認しておきたいと思います。それでも、時々、「これは外国人の作品だな、日本人はこういう作品は作らないな」と思うことがあるのです。それが、私の生徒の場合、どのように指導したらいいのだろう、と悩むことになります。ひとつ特徴的なのは、線の硬さ。まあ、例えば、直立不動(気をつけ!)のままダンスを踊っている感じです。不自然で、硬いなあと感じます。詩性も楽しさも感じられません。もしかすると、「生花は自己表現」だという...

2021年5月7日

花信(Hanadayori)プレスリリース

 報道関係各位2021年5月5日年和·メルボルン生け花フェスティバル「今、こんな花が見たい!」という世界の方々からのリクエストに華道家がお応えするオンライン生け花展「花信 Hanadayori」を9月に開催します。~ 今、世界はどんな生け花を欲しているのか ~和·メルボルン生け花フェスティバルは、「今、どのような生け花が見たいか」への回答を世界から公募し、それに日本国内外の華道家が応じるオンライン生け花展、Hanadayori 花信: Ikebana by Request を2021年9月4日に開催致します。 【URL】https://www.ikebanafestival.com/news/hanadayori-online-exhibition 【Hanadayori...

2021年3月29日

メルボルン生花フェスティバルの分かりにくさ

 先のポストで触れたように、生花に関する様々な活動に関わっていますが、自分にとって最もわかりにくいのが、メルボルン生花フェスティバルです。まだ1回しか開催していないのですから仕方ない部分もあります。自分の納得できる形になっていないという事もあります。商業的な事業であれば、経験からやり方がわかります。学問のような個人的なプロジェクトも同様です。どちらも達成目標が明確で、それに向かって手順よく努力していけばいいのです。慣れたものです。また、ボランティアならそのように割り切ってやれるでしょう。しかし、メルボルン生花フェスティバルには、どうもそれらのどれとも割り切れない部分があり、今まで経験したことのないプロジェクトなのだと感じています。ある面ではボランティア、ある面では事業、ある面では自分が捨て石になる覚悟を求められます。自分の立場がよくわからないのです。さらに、自分がどこまでコミットするべきか、についても確信が持てません。支持者があり、多くの方がメリットを認めて下さるなら今後も続き、意義のある活動となり得るでしょう。また、支持者がなければ消えていくでしょう。どのようになっていこうと、それを受け入れる覚悟は持とう、あまりこだわりは持つまい、執着は持つまい、とは思っています。このイベントを私物化しようなどという考えは持つべきでないと思います。リーダーが自分の利益、便宜だけを優先するようなことはあってはいけないでしょう。人がついていかないでしょう。「より多くの人に生花を」というような大きい目標も達成できません。おそらく、会社組織で運営するなら別でしょうが。ですから第1回目は私が代表を務めましたが、2021年度からは別の方に代表を代わってもらおうと希望しています。国際的なスケールで、創造的に、そして、平等に(誰でも参加でき、努力した方が相応の機会を得られ、特権者は作らない)、というような基本方針が定着したなら、私は役目を終えたいのですが、その段階なのか、これまた確信が持てません。このように私にとって実にわかりにくいプロジェクトなのです。リーダーが熱意を持たずに成功するはずはないですから、とりあえずの熱意を持ちつつも、深いところではどう関わったらいいのか、まだ手探り状態なのです。となると、周囲の方からすれば、おそらくもっとわからないでしょう。相手によって趣旨説明を変えていますが、話が通じなかったり、誤解が生じるのも仕方ないと思います。メルボルン生花フェスティバルの運営を特に難しくしている根本の理由は、多くの方々にご協力いただかなければ成立しないプロジェクトだから、です。ここが私が関わる他の生花の活動との大きな違いでしょう。権内・権外という言葉があります。学問研究などは権内の活動と言えるでしょう。自分一人の努力で成功失敗が決まることが多い。基本的に自分次第です。小規模の事業などもある程度、そうかもしれません。それに対し、メルボルン生花フェスティバルには権外の要素が大部分。私一人がいくら頑張っても、どうにもならないことが多すぎるのです。ですから、初回の開会式で「これは奇跡じゃなかろうか」などと私が大袈裟な発言をしていますが、そこにはそうした事情があるからです。私の関与できない様々なことが上手く組み合わさり(まるで人智を超えた力が働いているかのように)、成功へと導いてくれました。「とびきり運が良かったな」「人に恵まれたな」というのが、初回の実感でした。そこで、只今の大きな課題は、メルボルン生花フェスティバルへの協力者や関係者をどのように説得し、動機付けしていけばいいのか、です。例えば、実行委員の方々。ほぼボランティアで、よく頑張って下さいます。しかし、彼らの仕事はかなり大変です。賃金を払って、仕事を割り振るなら簡単です。実際、そうしたいとも思います。会社組織にしてメルボルン生花フェスティバルを運営できれば分かりやすくていいですね。収益は少ないので、経営は苦しいでしょうが。赤字にはならない程度にお金を動かせるのではないかと思います。しかし、無報酬で彼らの動機をどのように維持できるのか。幸いこれまでのところ、メルボルン生花フェスティバルの目指すもの、遠大な夢のような私の話に共感し、「ついていってみようか」という事だと思うのです。「前人樹を植えて、後人涼を得る」。私たちはこの...

2021年3月18日

日本文化の発信(2)

 次から次へと生花関連の企画を思いついては、取り組んでいます。生花道場、生花ギャラリー賞、メルボルン生花フェスティバル、さらに学術的な取り組みなどなど。お金になるわけでもなく、名声につながるわけでもない。それでもやらざるを得ない。と言うか、基本的には好きなことをやっているだけなのですが。さらに、来年から「いけばなとは何か」と題し、山根翠堂の名言を英訳していこうと思います。真生流のお家元からお許しをいただきましたので、国際いけ花学会の「いけ花文化研究」に数年かけて連載する予定です。このタイトルは、西谷啓治...

2021年3月15日

日本文化の発信(1)

 先週、当地(オーストラリア)のラジオで東日本大震災の特集をやっていました。そこに二人の日本専門家が登場し、あれこれ日本社会にコメントしていました。そこで「ああ、そうか」と、「自分がぼんやり思っていたことはこういうことか」と納得したことがあるので書いてみます。まず、日本文化の紹介者、研究者には大雑把に言って、二つのタイプがあるということ。一つは、日本文化にある程度の敬意を持った方。というか、日本文化の奥深さを認識し、自分の知らないこともありえると自覚している、謙虚な印象の方。もう一方は、日本人なんてこん...

2021年2月7日

「専応口伝」再びー山根翠堂自由花論との類比

 「専応口伝」についてあれこれ考えてきたことがようやくまとまりました。と言っても一つの仮説です。想像に任せて書いてみました。学術的に認められるのか、定かではありません。独断と偏見!ということになるかもしれません。UC Davis の教授等、何人かに読んでいただいたところ、そこそこ面白いじゃないかということであるようで、「いけ花文化研究」に掲載されるようです。私が指摘していることは、「専応口伝」には生花の定義として二点、存在論的な定義と認識論的な定義が明言されているのに、なぜか認識論的側面が無視されてきた。「専応口伝」の定義する自然の象徴としての生花と、天地人を骨格とする生花(せいか)は、似ているけれど、微妙に異なっている。自然の形而上学的把握の有無という点からすれば、両者は異質なものだ。自由花運動は生花への西洋モダニズムの導入ということだけでなく、本人たちは気づいていないが、無視されてきた生花の本質の再興という側面があったのではないか。こんな奇論が出てくると、「花道史も面白いじゃないか」という方、さらには、「もっと研究してやろう」「反論してやろう」という方が出てこないだろうか、と密かに期待しています。実はこのエッセーは、構想している山根翠堂3部作の2つ目です。一つ目は昨年、Intenernational...

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