次から次へと生花関連の企画を思いついては、取り組んでいます。
生花道場、生花ギャラリー賞、メルボルン生花フェスティバル、さらに学術的な取り組みなどなど。
お金になるわけでもなく、名声につながるわけでもない。それでもやらざるを得ない。と言うか、基本的には好きなことをやっているだけなのですが。
さらに、来年から「いけばなとは何か」と題し、山根翠堂の名言を英訳していこうと思います。真生流のお家元からお許しをいただきましたので、国際いけ花学会の「いけ花文化研究」に数年かけて連載する予定です。
このタイトルは、西谷啓治の「宗教とは何か」に啓発されたもの。学生時代、最も刺激を受けた本のひとつでした。
私が英訳し、米国の大学で日本古典文学の教授をしている畏友(ネイティブ英語話者)に見ていただければ最高だろうと思います。
内容は山根の遺言とも言うべき「花に生きる人たちへ」(中央公論美術出版)の抄訳になります。この著作は、現代、いけばなに関わる人たちにとっても大きな意義があると思うのです。
ひとつには、いけばなには理念があるということを紹介できるでしょう。いけばなは花型(デザイン)の問題だとしか思っていない方が多いのが海外の実情でしょう。いけばなに関する英語文献を見回したことがありますが、理念についてきちんと述べた類書は少ないのです。
また、誠実にいけばなに生きた方があったということ、そして、本物のいけばなマスターとは、こういう方なのだ、と紹介したいですね。現在、私たちにはロールモデルとなるような方がなかなか見当たらないように思うのです。
さらに、山根の言葉には、いけばなの癒し、あるいは、いけばなと環境問題について考えていく際のヒントがあるように思います。つまり、いけばなと現代の問題の関連を考える際の参考になるかもしれないのです。この点は私にとって重要なポイントです。
現代のいけばなに対する、私の最大の不満は、現代社会の問題にきちんと対峙していないということ(もちろん、例外はあります)。
いけばなは現代社会に何ができるのか?
いけばなは次の世代に何を伝えるのか?
例えば、現代芸術が真摯に環境問題に取り組んでいるのに、いけばなの大勢はそうはなっていないように思います。時代の動きに関わらない、あるいは時代の求める新しい価値が提示できない、ということでは、いけばな人口が減っていくのは仕方ないことかもしれません。
そのようなわけで、この抄訳が少数であっても関心のある方々に届くならば、大いに意義があるだろうと。
私がやる気になるのは、こういう企画なのです。