華道家 新保逍滄

2020年5月13日

Zoomで生け花


Zoomを生け花指導に使えないか、と多くの方が取り組んでおられるようです。数あるインターネットを使っての指導の試みの中では、とても面白いものだと思っています。
やがては、家元制度の根幹を揺るがすほどのことになるかもしれないと、個人的には思います。

私が同時に考えているのは、指導という「教師から生徒へ」という一方的な使い方だけでなく、共同学習の機会にできないか、ということ。

ファシリテーターを一人に担当してもらう。
参加者で励ましあい、各自の勉強のペースメーカーの機会になるような使い方です。
これは難しいでしょうかね。
私が少々かじった応用言語学の方では、Cooperative Languge Learning という、グループワークの多用などで、かなり影響のあった指導方法があります。上位の力のあるものから、下位の生徒へという一方的な情報の流れ(伝統的な指導方法) を改善していく力がありました。生徒は先生からだけでなく、他の生徒からもたくさん学ぶのだということを示しました。

生け花の現状は、家元制度が強固です。それ以外はなかなか通用していないでしょう。
それが悪いとは思いませんが、それが全てだ、とも思いません。
もっと多様であっていいのでないでしょうか。

生け花の力をつけるために、本当に大切なのは自分でやること。
受け身ではいけないのです。
参加者の間で、自主トレやろう!というような空気ができると、共同学習はうまくいくでしょう。そうしたら受講料も安くていいだろう、と。
ただ修行の場で無料というのは私は好みません。緊張感がなくなります。

実は、私の中にあるモデルは、故勅使河原宏の男子専科クラスです。
私が参加した頃ですから、もうかなり昔の話。
5、6人のクラスメートの一人は假屋崎さんでした。
ちなみに彼はクラスの優等生、初心者の私は最底辺でした。

あの学習環境は特殊なものでした。
特に宏家元から何かを学ぼうということではなかったと思います。
だいたい家元からのアドバイスは、せいぜい一言、「重い」とか。
もちろん、宏家元は頂点に立つ特別な方でしたから、そこにいらっしゃるだけでありがたかったのですが。

何かを教えてもらう、というよりも、各自自分のベストを尽くす機会、と捉えていたのではないでしょうか。参加者はそうした自分の限界へ挑戦する場を求めていたようでした。

免状を取るためとか、評価を得るためとか、あれこれくだらないことはどうでもいい。
もっと、真剣に生け花に向き合っていたように思います。
修行者の集まりといった感じでした。
そんな環境が作れないか。
いつか私にもっと力がついたら、きっとうまくいくのでしょうが。
どうなりますか。
ダメでもともと。しばらくはいろいろ研究してみます。
日本からも以下の生け花道場への参加者募集中です。
一緒に考えてみませんか?



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