華道家 新保逍滄

2019年3月13日

生け花パフォーマンスとは何か?(4)


生け花パフォーマンスについての覚書、第4回目。1から3回目は以下です。

生け花パフォーマンスで見せる焦点は、プロダクト(作品)ではなく、プロセス(制作過程)。その方法については、生け手の所作の洗練具合に応じて、3種類くらいに分けていいのではないかと思います。もちろん、私の見知っているパフォーマンスには限りがあり、もしかするともっと別のやり方があるのかもしれませんが。

まず第1のタイプは、生け花儀礼のパフォーマンス。おそらく見たことがないという方も多いと思います。私はたまたま池坊専永家元が、両脇にアシスタント役を一人づつ配し、実演してくださったものをメルボルンで拝見しました。花を準備する、切りそろえる、最初のひと枝をいける、等々という手順を一つ一つ様式化していくものであるようです。このプロセス、所作をさらに洗練し、様式化していったなら、茶道に通じるものがあるように思います。生け手の所作を洗練させる一つの極限として位置付けておかなければいけないでしょう。

第2のタイプは、生け手の所作を変化していく作品とともに見せるもの。大部分の生け花パフォーマンスはこのタイプに入ります。面白いのは、生け手が一心不乱に生けるその姿。無駄のない所作、隙のない動き。前回も書いた通り、私が目指すパフォーマンスも基本的にはこの路線です。

具体例は幾つかあります。

まずは、人気の「花いけバトル」。制限時間5分という厳しさ。さらに競争原理を持ち込むのですからエンタメとして成功するのは当然です。私もメルボルンで花いけバトルを開催していただけないかと日向先生にご相談しています。いつか実現するのではないかと思います。ただ、ひとつの問題は、当地の観客がどう受け入れてくれるか、です。日本のように生け花が普及しているわけではないのです。下準備が必要かもしれません。

また、昨年(2018年)、假屋崎省吾さんがメルボルンで生け花ショーをなさいました。15分で5作を生けるというものでした。1作3分です。全て直留め、当然、同じようなデザインになってしまいます。假屋崎さん本来の、緻密でありながら、軽妙な作風など望めないでしょう。それでも彼の所作には人を惹きつけるものがありました。

さらに、1990年頃でしょうか、勅使河原宏氏がメルボルンで大作を公開制作されたことがあります。小舟を花器に見立て、ステージ上に花の森が出現したものです。私にとっては生け花パフォーマンスのひとつの典型となっています。多くのアシスタント(片山健先生もその一人だったとのこと)が、機敏に、無駄なく動いていく、見事なものでした。音楽が流れ、完成後、ライティング効果で作品が一層映えました。

さて、第3のタイプですが、これは最近、幾つかソーシャルメディアなどで拝見したものが主です。かなり勢いのある音楽、ダンサー、照明などを使い、花を素早く生けていきます。グループ制作の場合も個人制作の場合もありますが、共通しているのは、残念ながら生け手の動きが美しくないということです。枝を大げさに振り回してみたり、わざとらしい、無駄な動きが目立ちます。これは、前回、私の失敗として書いたことに通じる点です。
ダンスと生ける行為を組み合わせたいという気持ちはよくわかります。ダンスをきちんと勉強した人ならば、それは可能かもしれません。しかし、素人には無理でしょう。
しかし、もしかすると、このようなパフォーマンスのあり方は進化の途上にあるのかもしれません。これからもっと洗練され、面白いものになっていくのかもしれません。私ごときの批判は無視して頑張ってほしいと思います。

以上のようなことをあれこれ考えて、では、私はどんなことがしたいのか?次回はひとまずの結論です。


Shoso Shimbo

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