華道家 新保逍滄

2017年7月25日

一日一華:超えるということ(1)


久しぶりにいい本に出会ったなあ、と、感心したのが、
T.J. Demos (2016) Decolonizing Nature: Contemporary Art and the Politics of Ecology.
著者はUC, Santa Cruzの教授。

こういう上質の本を読むと、頭の中がスッキリ整理される感じがします。
本の内容については、おいおい紹介することもあるでしょう。
今準備している論文では、重要な参考文献になるでしょう。

さらに、読みながら、思ったのは、「超える」ということ。

個人的な定義でしかないですが、超えるという経験を何度かしてきました。

ある宗教者の著作を集中的に読んだことがあります。
かなり画期的な主張だと感心していました。
心酔とまではいきませんが。
自分を反省するためにはとても役立ちました。

それがある出来事から、この宗教者の生き方に落胆。
すると、ネガティブな情報ばかりが入ってくるというような経験をしたことがあります。
その時に、超えたという感じを持ったのです。

超えるということは、超える以前の自分が対象化されるということ。
やや客観的に見ることができます。距離ができるのです。
以前の自分の輪郭がはっきりしてきます。自分の限界でもあります。
同時に、感心していた宗教者のことも客観的に見ることができます。
その限界もはっきりしてきます。

おそらく、政治的な転向などにも当てはまることでしょう。
私自身は経験がないので、よくわかりませんが。

私自身については、戦後教育を受けたものですから
どちらかといえば、左翼的な言説に惹かれたものです。
反日的で、日本などという悪徳な国家権力は潰してしまえといった具合でした。
それが日本のマスコミの主流でしたし、
著名な学者の大多数の意見でもありました。
それに同意しない者は、好戦的で、頭が悪い右翼連中としか思えませんでした。

しかし、今は、そうした左翼的な考え方は超えたなと感じます。
もちろん、いきなり右翼になってしまったわけではないです。
右翼と関わるつもりもありません。
ただ、洗脳されていたのだなとは、分かってしまいました。

日本の左翼は、結局、勉強不足。
きちんと勉強すれば、誰でも洗脳が解けます。

ここでも、超えてしまうと、
左翼思想が対象化でき、その限界がはっきりしてきます。

左翼的な主張をしていられるほど、日本には余裕はないのです。
日本はそれほど絶対的でもないし、日本の平和も盤石ではない。
国際上、かなり危うい立場なのです。

日本の左翼の平和に関する主張(例えば、シールズとかいう学生グループの主張)は、諸外国の、例えばオーストラリアの小学生でも呆れかえるレベルです。世界のどの国でもあのような主張が大手メディアで取り上げられることは決してありません。(一つでも見つけられた方がありましたら、お知らせ下さい。私はお詫びします。さらに賞金も差し上げます)。

しかし、こうした日本の現実が特異なものであるということは、ある程度勉強しないことには分からないようになっています。通常、日本では、勉強すればするほど左翼になっていくのです。そこを超えるほどの猛勉強が必要なのです。

ところが、最近は、インターネットを中心に、きちんとした、正鵠を得た主張に触れる機会が増えてきたようです。日本の左翼メディア(日本を狙う共産主義国家寄り)を対象化できる、つまり、超えられる機会が増えてきたように思います。ちょっと脇道に逸れてみるだけで、簡単に超えていけるのかもしれません。

そして、左翼の洗脳が解けた人は、「自分も洗脳が解けた!」と恥ずかしがらずに声を上げること。
それが役に立つのではないかなと思います。

現代日本では、左翼から右翼に変わる人はあっても、
右翼から左翼に変わる人はいないそうです。

必ずしも左翼から右翼に変わる必要はないと思いますが、
左翼の洗脳からは早く脱して、
自分の頭で物事を考えられる人が増えたほうがいい。
それは確かだと思います。

さて、以上の話が、最初に提示した本の内容と
どう関わってくるのか、ということですが、それはまた次の機会とします。
長くなりそうなので。

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