禅僧・庭園デザイナー、枡野俊明氏の素晴らしい作品集を最近拝見しました。彼は「庭禅一如」、つまり庭づくりは禅の修行と全く変わりなく、修行そのものだと言います。重要なのは日々の精進。ある日突然いい作品が作れるということは絶対にない。ここには芸道の哲学があります。一つの事柄を極めていく時、真剣な自分自身の生き方を極めることになる。極めた生き方と極めた事柄が一体となって「道」となるというのです。枡野氏は龍安寺の石庭について「このような眺める者の心に、迫り来る感動を与える庭園の作者は、自らの仏性を自覚した者であることは、言うに及ばない」と書いています。精神的な高みに達した人でないと名作は作れない。名作の背後に名人あり。この名人は単に技術が素晴らしいというだけでなく、精神的にも高潔であるはずだ。卑しい人であるなら、作品に卑しさが現れてしまうという信念。
日本では花道などの習い事に限らず、料理、経営、学問、その他様々な活動に「道」への信仰があります。こうした信仰は日本人には容易に理解できるはずです。前回までの話からお分かりのように、いけ花は芸術かデザインかなどと考え始めるとなかなかいけ花の位置がはっきりしません。しかし、いけ花とは芸道なんだ、禅や瞑想と同様一つの精神修養なんだとやってしまえば、すっとします。そんな風にいけ花を外国人に説明するのも一案。鈴木大拙の日本文化論などはその好例。
昨年11月にメルボルンにいらっしゃった「花道の思想」の著者、井上治氏(京都造形芸術大学准教授、国際いけ花学会副会長)もまたそうした方向で考えていらっしゃるようです。久松真一(「茶道の哲学」)など京都学派の哲学者が茶道を禅と関連付けて説明していますが、同様の作業が花道でも必要でしょう。井上さんは京都学派に連なる方ですから次の仕事、「花道の哲学」が楽しみです。
私もいけ花は厳しい修練を要する「道」だと実感しています。しかし、いけ花を禅で説明してしまうことには、いくつか納得できない部分があるのです。鈴木大拙や京都学派に対抗しようというのではありませんが。これからは私の花道論ならびに日本文化論めいたことをあれこれ書いてみましょう。いけ花の可能性というような大きな話につながるかもしれません。
今回紹介するのは、1年前、クラウンホテルの此処(ここ)に活けた新年の花。今年も展示していますので、機会がありましたらご覧下さい。少しづつですが毎回進化しています。
Related Posts:
21世紀的いけ花考 第60回
生け花とは何か、という話から、あちこち話が飛んでいます。「生け花は精神修行」だというのは、共感者も多い有力な生け花の定義。しかし、その中身はなかなか複雑。禅との関連で説明することもできそうですが、よく考えると、過去数回にわたって書いたように、多数の疑問点が出てきます。
さらに、生け花とは何かと考えていくと、日本文化とは何か、ということにまで話が繋がっていくことにも気づいていただけたでしょうか。これは生け花の歴史についても言えることで… Read More
21世紀的いけ花考 第65回
新興いけばな宣言(1933)を一つの契機として、生け花は大きく変わっていった、という話でした。一言で言えば、モダン芸術の影響を受けたわけです。その影響は現在まで続いています。現代生け花の課題を国際的な文脈で考えようとすると、様々な疑問が生じてきます。それらをおいおい考えていくことにします。
1、モダニズムとはどんな主張だったのか?ここでの話の流れでは、なぜ精神修養としての生け花が否定されねばならなかったのか?2、前衛生け花はそこから何を学… Read More
21世紀的いけ花考:第66回
西洋芸術のモダニズムの影響を受け、日本の生け花は大きく変わっていきました。その影響は現在まで続いています。昭和初めの生け花改革運動は、従来の生け花の何を改革しようとしていたのでしょう? 15世紀、立て花の成立から始まった生け花、そのすべてを否定し、まったく新しい生け花を提唱しようとしたのではありません。では、何を否定したのか?この運動に関わっていた人々の間でもこの点で合意があったのか、よく分かりません。抜本的な改革を意図していた方もあ… Read More
21世紀的いけ花考 第63回
重森三玲の芸術としての生け花論では、草木など自己表現のための材料でしかない、ということでした。戦後大躍進した草月流、小原流などに影響を与えた、この主張がいかに日本の伝統に反するものであるかを理解するためには、生け花の起源にまで遡る必要があります。
土橋寛が「遠く古代に源流する花見の習俗が、『立花』を経て『活け花』という生活文化を生み出すに至った」(「日本語に探る古代信仰」中公新書)と書いていますが、正論でしょう。
花と… Read More
21世紀的いけ花考 第61回
「生花は精神修行か」という話です。16世紀に池坊専応が「専応口伝」で、生花は仏教的な悟りに至る道だと言ってくれました。私たちはその言葉を頼りに励んでいるわけです。通念としても生花は精神修行だろうと多くの日本人が思っているでしょう。
しかし、昭和8年、重森三玲が「生花は精神修行じゃない。道徳とは無関係だ」と宣言します。では、生花とは何か?芸術なのだ、というわけです。新興生花宣言と言います。これが日本の生花を大きく変えていくのです… Read More