華道家 新保逍滄

2017年1月30日

一日一華:自宅玄関に。そして書くということ(3)

庭の草花や教室の残り物やらを集めて玄関の迎え花。 さて、エッセイ公募のお手伝いの体験談を書いてきました。 http://ikebana-shoso.blogspot.com.au/2017/01/blog-post_30.html http://ikebana-shoso.blogspot.com.au/2017/01/blog-post_17.html 実は、今回、真っ先にボツにした作品があります。 作中、中傷かなと思われる点があったからです。 ある特定可能な人にこのように(批判と...

2017年1月19日

一日一華:カフェに。そして書くということ(2)

メルボルンの和食カフェ、ちょっとさんへ。 酒類ライセンス申請中ということですから、 もうすぐお酒も飲めるようになるようです。 楽しみです。 さて、先にエッセー公募の話を書きました。 私はある国際的なジャーナルの編集のお手伝いをしているのです。 http://ikebana-shoso.blogspot.com.au/2017/01/blog-post_17.html ある応募者には、書き直しを依頼しました。 没にするには惜しいと思ったのです。 この応募者、エッセーの主題につ...

一日一華:ギャラリーに

Lesley Kehoe Galleries でのディナー・テーブルに。 リクエストは、日本的なもの。 あとはお任せ、ということでした。 いつも素晴らしい花器をご用意いただいています。 しかも背景は Motoko Maio の屏風。 少し緊張します。 四季の流れを躍動する色彩で表現したダイナミックな屏風に囲まれているわけです。 花の色は控えめなものを選びました。 それがとても好評でした。 ...

2017年1月17日

一日一華:レストランに。そして、書くということ。

メルボルンの花菱レストランにて。 私は文章を書くことがあまり苦ではないです。 上手下手はともかく。 多分、10歳くらいからずっと日記を書き続けているせいでしょう。 書くというのはとても自然な行為です。 私にとっては考えるということとほぼ同義と思うこともあります。 瞑想かもしれません。 メルボルンの日本語新聞「伝言ネット」に 毎月、和文と英文で生け花エッセーを書き続けて 多分、10年くらいになるでしょう。 このブログでも「21世紀的いけ花考」として転載しています。 全く苦労なしなのです。 ですから、10年...

2017年1月15日

2017年1月11日

一日一華:甥はなぜ医学部に合格できるのか?(2)

メルボルンの花菱レストランに活けた作品。 メルボルンを訪れる日本人著名人の多くの方が利用されるレストランです。 具体的に名前を挙げることはできませんが、 国際的にも知られた方々がいらっしゃいます。 さて、出来損ないと思っていた甥が医学部に合格したという話の続きです。 http://ikebana-shoso.blogspot.com.au/2017/01/blog-post_6.html ふと、思うのは、私はある一つの現象を目撃しているのではないか、ということ。 それは、社会の中の階級の固定化と言ったら...

2017年1月10日

2017年1月6日

一日一華:甥はなぜ医学部に合格できるのか?

私の甥が医学部に合格できたようです。 オーストラリアの教育制度や大学受験制度、 大まかなところは承知していたつもりですが、 今回、甥が大学生になるということで、改めて考え込んでしまいました。 まず、甥についてです。 私からするとこの結果は予想外でした。 一体彼に何があったのか! ビクトリア州の大学受験制度はどうなっているのか! という心境です。 1、まず、彼はガリ勉というものをしていない。 高3まで毎週サッカーをやり、車を乗り回し、ガールフレンドとよく遊び。 ジャズ・バンドのメンバーで、 州の大会で2位...

2017年1月5日

一日一華:結婚式に(2)

最近の結婚式に作ったラウンド・ブーケです。 これはブライド・メイドへの小さいブーケ。 基本はクラウド・ナインというシャンペンかかったピンクのバラを20本。 さて、先に中途半端な文章を書いていますね。 http://ikebana-shoso.blogspot.com.au/2016/12/blog-post_6.html 概要はこうです。あまり努力しているように見えない方が、 評価が得られない、成果が得られないという現実に直面する。 そこで、自分を省みることなく、外部の状況を批判する、 果ては自分は差別されているなどと言い出す。 こういう方にどう対応したらいいのだろうと困っていたのでした。 聖賢の言葉でも紹介したら、目が覚めるかと思っていたのですが、 なかなかふさわしいアドバイスも見つからないということだったのです。 努力が足りないなら成功しない。 当たり前だろうと言っても通用する相手ではない。 成功哲学の基本は 自分のためではなく、他のためにどれだけ努力できるか。 自分のためにしか時間を使いたくない方であるなら、 本当の成功はありえないだろうと言ってもまた、通じる相手ではない。 どうしたものか。 しかし、ネットで偶然ではありますが、人格障害の項目を見つけました。 ああ、なるほど。 軽度の「自己愛性パーソナリティ障害」と考えると、彼の言動がよく理解できます。 自己愛性パーソナリティ障害の発生には、子供の時の親との関係が一因となることがあるらしい。彼からあまり健常でない親子関係にあったということを聞いたこともあります。 もっと明らかな問題が出てきたらプロのカウンセラーに相談するよう勧めるしかないようです。 以下、ウィキペディアの引用です。 誇大性(空想または行動における)、賛美されたい欲求、共感の欠如の広範な様式で、成人期早期までに始まり、種々の状況で明らかになる。以下のうち5つ(またはそれ以上)によって示される。 自分が重要であるという誇大な感覚(例:業績や才能を誇張する、十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待する) 限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。 自分が...

21世紀的いけ花考 54

 禅僧・庭園デザイナー、枡野俊明氏の素晴らしい作品集を最近拝見しました。彼は「庭禅一如」、つまり庭づくりは禅の修行と全く変わりなく、修行そのものだと言います。重要なのは日々の精進。ある日突然いい作品が作れるということは絶対にない。ここには芸道の哲学があります。一つの事柄を極めていく時、真剣な自分自身の生き方を極めることになる。極めた生き方と極めた事柄が一体となって「道」となるというのです。枡野氏は龍安寺の石庭について「このような眺める者の心に、迫り来る感動を与える庭園の作者は、自らの仏性を自覚した者であることは、言うに及ばない」と書いています。精神的な高みに達した人でないと名作は作れない。名作の背後に名人あり。この名人は単に技術が素晴らしいというだけでなく、精神的にも高潔であるはずだ。卑しい人であるなら、作品に卑しさが現れてしまうという信念。  日本では花道などの習い事に限らず、料理、経営、学問、その他様々な活動に「道」への信仰があります。こうした信仰は日本人には容易に理解できるはずです。前回までの話からお分かりのように、いけ花は芸術かデザインかなどと考え始めるとなかなかいけ花の位置がはっきりしません。しかし、いけ花とは芸道なんだ、禅や瞑想と同様一つの精神修養なんだとやってしまえば、すっとします。そんな風にいけ花を外国人に説明するのも一案。鈴木大拙の日本文化論などはその好例。  昨年11月にメルボルンにいらっしゃった「花道の思想」の著者、井上治氏(京都造形芸術大学准教授、国際いけ花学会副会長)もまたそうした方向で考えていらっしゃるようです。久松真一(「茶道の哲学」)など京都学派の哲学者が茶道を禅と関連付けて説明していますが、同様の作業が花道でも必要でしょう。井上さんは京都学派に連なる方ですから次の仕事、「花道の哲学」が楽しみです。  私もいけ花は厳しい修練を要する「道」だと実感しています。しかし、いけ花を禅で説明してしまうことには、いくつか納得できない部分があるのです。鈴木大拙や京都学派に対抗しようというのではありませんが。これからは私の花道論ならびに日本文化論めいたことをあれこれ書いてみましょう。いけ花の可能性というような大きな話につながるかもしれません。  今回紹介するのは、1年前、クラウンホテルの此処(ここ)に活けた新年の花。今年も展示していますので、機会がありましたらご覧下さい。少しづつですが毎回進化しています。 p.p1...

一日一華:結婚式に

昨年度末に依頼のあった結婚式の花、数点を紹介しましょう。 まずは、ブライダル・テーブルの花。 ピンクとバーゲンディのコントラストで、というご依頼でした。 時期が難しく、予定していたピンクの牡丹はちょうど終わったところ、 バーゲンディーのバラも入手不可と前日に言われ 慌てたものです...

2017年1月1日

Shoso Shimbo

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