華道家 新保逍滄

2016年9月6日

21世紀的いけ花考:第50回


 現代芸術といけ花の違いについてあれこれ書いてきました。しかし、どうも木を見て森を見ずではないか、という感じがします。両者の相違点はたくさんあって、いずれも重要ではありますが、根本的な違いをがっちり押さえておかないことには、どうも腑に落ちないということになりかねません。

 「どちらも『芸術』。根本は同じさ」というのは浅薄。きちんと考えれば違いばかりがごろごろ出てきます。では、最も肝心な違いとは何でしょう?A Bとの違いが分かるというのはとても大切です。違いが分かると、A が、そしてBが一層よく分かるようになるからです。豪州に住んでいると日本との様々な違いに気づきますね。その結果、日本が一層よく分かるようになります。違いが分かると理解が深まるのです。A Bも同じだよ、なんていうのは、A Bも分かっていないということです。

 現代芸術といけ花の根本的な違いとは何でしょう?この違いに気付いてもらえば、芸術もいけ花も一層よく理解できるというポイントは何でしょう?現代芸術もいけ花もやる制作者としての主観的な見解ですが、両者の違いは小説と俳句の違いに似ています。現代芸術は小説、いけ花は俳句として鑑賞したらいいのではないでしょうか。もしかすると私の「いけ花・俳句論」は現代芸術の本質は西洋文化的、いけ花の本質は日本文化的というようなありきたりな文化比較論になってしまうのかもしれません。それも悪くないでしょう。現代芸術、そして、いけ花を一層よく理解してもらうのに役立てていただければ十分です。いけ花・俳句論については、次回からお話ししていきましょう。

 今月はレズリー・キーホー・ギャラリーズでの小林秀明展に小路光男の花器を使っていけたもの。オープニングには小路さんもいらっしゃったそうですが、気に入っていただけたか気になります。一杯やりましょうという約束を果たせないでいるのが残念。

 主花は木瓜。様々な使い方ができ、楽しい花材です。我が家では白、ピンク、赤、と3株育てています。この作品に限らず言えることですが、数十本の花材一つ一つを長さ、位置を計算しながら活けていく過程は瞑想そのもの。集中した無我の時間で、一度味わうと病みつきになります。多くの方に経験していただきたいものです。まずは10月8、9日の私たちの花展にお越しいただければ幸いです。


2016年9月5日

一日一華:二つの戦争


メルボルン、花菱レストランへの今週の花。

日本近隣の国々が騒々しいせいでしょう。
最近は、どこへ行っても戦争をどう避けるか、
どうしたら平和が維持できるのか、という話に巻き込まれます。

日本のマスコミは日本周辺の不安材料をあまり報道していないようで、
日本全体がのんびり構えているように見えます。
日本のマスコミは意図的に国民を白痴化しようと
努めているのかもしれません。
あるいは、根拠のない楽観主義がはびこっているのでしょうか。

「憲法改正反対」「日本を戦争のできる国にするな」という声はよく耳にします。
そうした話に注意してみると、気付くことが幾つかあります。

まず、彼らの言う戦争とは、日本の侵略戦争のことであるようです。
戦前、日本は侵略戦争を行った(と彼らは主張します)。
そのために徴兵制や軍事拡大が国是であった。
あのような戦時体制を二度と経験したくない。
というのが大まかな主張。

今現在、日本が侵略戦争を行えるでしょうか?
植民地主義が国際的に批判されている中で、
日本が侵略戦争を開始すれば、
国際連合軍相手に戦うことになります。
即、敗戦です。
それが分からないような政権が、日本の現体制から生まれるでしょうか?
日本はそこまで退化していないです。心配の必要はないでしょう。

「第二大戦前夜を見てみろ、今の日本と状況はとても似ている」
というような議論もとても多い。
これは日本人大衆の無知につけ込んで、不安を煽る意図的な議論です。
意図的と私が断じるのは、そうした議論で民衆を非現実的な幻想に閉じ込めておくことで、有利になる人、国があるからです。
現実から目をそらすよう誘導しているのです。
本当の不安の正体を見えないようにしよう、としているのではないでしょうか。

もっと、国際情勢を知り、日本の現状を理解する必要があります。
心配しなければいけないのは
外への侵略戦争に引っ張り出されることではなく、
外からの侵略戦争に巻き込まれることなのです。
戦場に無理やり送り出されることではなく、
日本が戦場になってしまうことなのです。
そちらの方こそ今、心配しなければいけない。
その上で、現状の憲法で非常時に対応できるのかな、と
考えていくべきでしょう。

いくら対外的に攻める戦争を放棄しますと頑張っても、
攻めてくる相手にはどうにも手立てがないのです。
相手が攻めてくれば、戦争が始まります。

その現実を見たくないために(あるいは意図的に隠すために)、
全く必要のない心配をしている(させている)のではないでしょうか?

日本が対外的に仕掛けていく侵略戦争と、
外部から日本が侵略され、その防衛のための戦争とを
まず、区別をすること。

前者は非現実的で心配はないが、後者は現実的で心配なのだと早く気づいていただきたい。
日本を「戦争ができない国」にすることで、前者は防ぐことができても、
後者は防ぎようがないのです。この二つの戦争を一緒くたにしてはいけません。

「戦争ができない国」であれば、平和が維持できる、一切の戦争がなくなる、二つの戦争のどちらも防げるというような議論は間違っています。
そのようなお花畑の平和論はとても危険です。
「戦争ができない国」ほど、攻めやすいものはない。
即、国土をいただき、略奪虐殺やり放題。
侵略したい国にとっては願ってもない餌食です。

以上は誰が考えても明らか。国際的な常識です。
そのことに、「今、気付いた」という方があるとすれば、それはマスコミの洗脳にかかっていたということ。

日本のマスコミの多くは
日本を侵略したい国々に近い人間達が牛耳っているのだ、
日本人白痴化を狙っているのだ、
危険な平和論で日本人を洗脳しているのだ、と
早く気づいていただきたい。

また、「侵略されたら戦争などせず、相手のなすがままにしていましょう」
「相手が欲しいという島があれば差し上げましょう」
というのに近い議論まであります。
これもまた、日本を侵略したい国々に近い人間達の言説。

チベットがどうなっているのか、
国家を失った難民がどうなっているのか、
少しでも調べてみるべきです。

関連ポスト


2016年9月2日

2016年8月30日

2016年8月29日

一日一華:ちょっとさんへ


メルボルンに新規開店した日本食カフェ、「ちょっと」さんへの花。
精進料理を基調にしたカフェというコンセプトが
場所にピッタリ合致したのでしょうか、
とても盛況のようです。
特に週末は毎週、売り切れで対応できない状況とか。

若いカップルの初のビジネスということですが、
初めから順調な滑り出しのようです。

実は、開店初日は閑散としていました。
看板も間に合わず、
ギャラリーだったスペースをそのまま使っていたので、
全くレストランらしくなかったせいでしょう。
花担当の私も少し心配しました。
ところが、新聞その他のメディアで
取り上げられると、瞬く間に満員御礼。

2016年8月22日

2016年8月20日

無料いけ花カレンダー 2017


来年度のカレンダーをご希望でしたら、以下からダウンロードして下さい。
今回はレスリー・キーホー・ギャラリーズにいけた作品を使いました。
小路光男さんの花器が素晴らしい。

https://www.scribd.com/document/320341498/Ikebana-Calendar-2017-International

2016年8月10日

一日一華:根拠のない楽観主義


メルボルンの花菱レストランにいけた作品です。

最近どこかで読んだ記事で繰り返し
使われていた言葉、「根拠のない楽観主義」
が気になっています。 

確か、第2次世界大戦へ向かう日本の言論状況についての
コメントだったと思います。
つまり、なんとなく勝てるんじゃないかという気持ちから
あまり熟考することなく国が戦争へと動いていった。
無謀で、被害が大きすぎる国難へと。
そんな指摘でした。

とても面白いと思いました。

根拠のない楽観主義、そして、その悲劇的展開。
これは日本史上何度か繰り返されているようです。
悲観的なこと、不穏な現実は考えたくないですから、
楽観的に構え、世の大勢に流されていく。
そして悲劇的結末に。

今現在もそうした言論が盛んではないでしょうか。

あるジャーナリストが、
「中国が攻めてくるなんてあるわけないでしょう。妄想ですよ」
と盛んに宣伝していました。
もちろんその通りならありがたい。

ただ、これも「根拠のない楽観主義」ではないか、と気になります。
このジャーナリストは、他の日本のジャーナリストの多くと同様、
左翼的で反日的な言論で知られている方のようです。

首相を「安倍が」などと呼び捨てにしたり(他者を貶めることで、自分が偉くなったような気持ちになるのでしょうか?)、
国内法でしかない日本国憲法を守れば、戦争は避けられるかのような
主張を繰り返したり(国際法さえ無視しようという某国がどうして日本の国内法を尊重すると考えるのか?いい子にして丸腰でいれば、誰も攻めてきたりはしないよ、ということでしょうか?)、
天皇制には反対だとかという観念論を振り回したり、
自衛隊はいらないと主張したり。

もしかすると「根拠のない楽観主義」に基づいているがゆえに、
国際社会の厳しい現実からひきこもって、
不穏な現実に目をつむっているがゆえに、
反日を主張できるのではないか?
お花畑の平和主義者をやっていられるのではないか?

「根拠のない楽観主義」は、
根本に甘えがあるのかもしれない。

それよりもっと重要なことは
「根拠のない楽観主義」は多くの人を不幸にしかねない
危険な思想傾向だということ。

右翼にも左翼にも影響を受けすぎることなく、
自分の頭で、現実に基づいて、できれば冷静に、
現状を考えていくことができるといいのになあと思います。

関連ポスト:http://ikebana-shoso.blogspot.com.au/2016/06/blog-post_23.html

2016年8月9日

21世紀的いけ花考 49


 いけ花は現代芸術になりうるか?と様々考えてきました。おおよその結論には達しました。これからは少し補足です。

 現代芸術がいけ花と大きく違う点のひとつは学術的な体系ができていること。私がコンテクストとか批評の充実として説明してきたこととも関連しています。その結果、どうなるか?現代芸術家は文武両道であることを求められるのです。もちろん比喩ですが、文とは現代芸術の理論や専門的知識のこと。武とは実技のこと。モダン芸術以降、何でも芸術の素材になるという考え方から、実技と言っても分かりにくくなっていますが、素材にどのように手を加え、面白い作品に変容させているかということ。特に、大学の芸術学部スタッフとなると一般に文武両道が求められます(もちろん、文だけ、武だけの先生もあります)。

 しかし、私の知る限り、本格的な文武両道の芸術家は少ないようです。理論が強い人でも作品がトホホであったり。作品は素晴らしいのに論文はアチャ〜であったり。ある博士論文を読んでいて驚いたことがあります。1ページに1回くらいパワフルという形容詞が出てくるのです。芸術作品の評価をするのに使っているわけですが、こんな論文でいいのか?と思ったものです。ともかく文武両道はとても達成が難しい。でもそこを建前上目指しています。
 
 その点、いけ花は分かりやすい。武(実技)だけです。武だけで師範にも教授(?)にもなれるのです。もちろん、若干文も求められる場合もあるでしょうが、学問的には脆弱です。

 いけ花においても文を追及できないか。私が所属する国際いけ花学会の任務はそういうところにもありそうです。年刊学術誌も3号発刊済み、会長、副会長共に近年重要な書籍を出版されました。なおこれらの書籍は全てモナシュ大学図書館に収蔵されています。今後いけ花はもっと深くなっていくでしょう。

 今月は今年の5月に行ったいけ花パフォーマンスの作品を紹介しましょう。約40分間、尺八と琴の生演奏をBGMに黙々と活けていきました。いろいろな見せ方があると思いますが、瞑想しながらひたすら生けるところを見てもらいたかったのです。


 さて、8月にはオンライン国際いけ花コンクール、いけ花ギャラリー賞の発表、10月にはアボッツフォード・コンベントで合同華展・和が開催されます。詳細は私のサイトからどうぞ。

2016年8月8日

2016年8月2日

一日一華:ギャラリーに


レズリー・キーホー・ギャラリーズでの展覧会の
オープニングにいけ花を依頼されました。
オーストラリアを代表する陶芸家の一人、
Shoji Mitsuo 氏の花器です。
木瓜を使って楽しい瞑想の時間を過ごしました。

これは今日教室でこの作品について話したことですが、
50本ほどの木瓜を一本一本
長さ、位置、角度を計算しながら活けていくわけですが、
「その苦労をどれだけの人がわかってくれるのかねえ」
と言うと、
「私たちは分かりますよ」という返事。
皆苦労していますから。


2016年8月1日

新規開店の祝い花





メルボルンに新しく開店した日本レストランの祝い花を依頼されました。
二メートル四方のテーブルの上に。
花を囲んで食事していただきます。
精進料理を基本とした和食カフェ。
おそらくメルボルン初のコンセプトでしょう。

以前、ギャラリーだった店ですから、
とてもすっきりしたインテリア。
いけ花に最適です。

Chotto, 35 Smith St, Fiztroy, Melbourne


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