華道家 新保逍滄

2016年8月9日

21世紀的いけ花考 49


 いけ花は現代芸術になりうるか?と様々考えてきました。おおよその結論には達しました。これからは少し補足です。

 現代芸術がいけ花と大きく違う点のひとつは学術的な体系ができていること。私がコンテクストとか批評の充実として説明してきたこととも関連しています。その結果、どうなるか?現代芸術家は文武両道であることを求められるのです。もちろん比喩ですが、文とは現代芸術の理論や専門的知識のこと。武とは実技のこと。モダン芸術以降、何でも芸術の素材になるという考え方から、実技と言っても分かりにくくなっていますが、素材にどのように手を加え、面白い作品に変容させているかということ。特に、大学の芸術学部スタッフとなると一般に文武両道が求められます(もちろん、文だけ、武だけの先生もあります)。

 しかし、私の知る限り、本格的な文武両道の芸術家は少ないようです。理論が強い人でも作品がトホホであったり。作品は素晴らしいのに論文はアチャ〜であったり。ある博士論文を読んでいて驚いたことがあります。1ページに1回くらいパワフルという形容詞が出てくるのです。芸術作品の評価をするのに使っているわけですが、こんな論文でいいのか?と思ったものです。ともかく文武両道はとても達成が難しい。でもそこを建前上目指しています。
 
 その点、いけ花は分かりやすい。武(実技)だけです。武だけで師範にも教授(?)にもなれるのです。もちろん、若干文も求められる場合もあるでしょうが、学問的には脆弱です。

 いけ花においても文を追及できないか。私が所属する国際いけ花学会の任務はそういうところにもありそうです。年刊学術誌も3号発刊済み、会長、副会長共に近年重要な書籍を出版されました。なおこれらの書籍は全てモナシュ大学図書館に収蔵されています。今後いけ花はもっと深くなっていくでしょう。

 今月は今年の5月に行ったいけ花パフォーマンスの作品を紹介しましょう。約40分間、尺八と琴の生演奏をBGMに黙々と活けていきました。いろいろな見せ方があると思いますが、瞑想しながらひたすら生けるところを見てもらいたかったのです。


 さて、8月にはオンライン国際いけ花コンクール、いけ花ギャラリー賞の発表、10月にはアボッツフォード・コンベントで合同華展・和が開催されます。詳細は私のサイトからどうぞ。

Shoso Shimbo

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