2016年8月30日
2016年8月29日
一日一華:ちょっとさんへ
メルボルンに新規開店した日本食カフェ、「ちょっと」さんへの花。
精進料理を基調にしたカフェというコンセプトが
場所にピッタリ合致したのでしょうか、
とても盛況のようです。
特に週末は毎週、売り切れで対応できない状況とか。
若いカップルの初のビジネスということですが、
初めから順調な滑り出しのようです。
実は、開店初日は閑散としていました。
看板も間に合わず、
ギャラリーだったスペースをそのまま使っていたので、
全くレストランらしくなかったせいでしょう。
花担当の私も少し心配しました。
ところが、新聞その他のメディアで
取り上げられると、瞬く間に満員御礼。
2016年8月22日
2016年8月20日
2016年8月10日
一日一華:根拠のない楽観主義
メルボルンの花菱レストランにいけた作品です。
最近どこかで読んだ記事で繰り返し
使われていた言葉、「根拠のない楽観主義」
が気になっています。
確か、第2次世界大戦へ向かう日本の言論状況についての
コメントだったと思います。
つまり、なんとなく勝てるんじゃないかという気持ちから
あまり熟考することなく国が戦争へと動いていった。
無謀で、被害が大きすぎる国難へと。
そんな指摘でした。
とても面白いと思いました。
根拠のない楽観主義、そして、その悲劇的展開。
これは日本史上何度か繰り返されているようです。
悲観的なこと、不穏な現実は考えたくないですから、
楽観的に構え、世の大勢に流されていく。
そして悲劇的結末に。
今現在もそうした言論が盛んではないでしょうか。
あるジャーナリストが、
「中国が攻めてくるなんてあるわけないでしょう。妄想ですよ」
と盛んに宣伝していました。
もちろんその通りならありがたい。
ただ、これも「根拠のない楽観主義」ではないか、と気になります。
このジャーナリストは、他の日本のジャーナリストの多くと同様、
左翼的で反日的な言論で知られている方のようです。
首相を「安倍が」などと呼び捨てにしたり(他者を貶めることで、自分が偉くなったような気持ちになるのでしょうか?)、
国内法でしかない日本国憲法を守れば、戦争は避けられるかのような
主張を繰り返したり(国際法さえ無視しようという某国がどうして日本の国内法を尊重すると考えるのか?いい子にして丸腰でいれば、誰も攻めてきたりはしないよ、ということでしょうか?)、
天皇制には反対だとかという観念論を振り回したり、
自衛隊はいらないと主張したり。
もしかすると「根拠のない楽観主義」に基づいているがゆえに、
国際社会の厳しい現実からひきこもって、
不穏な現実に目をつむっているがゆえに、
反日を主張できるのではないか?
お花畑の平和主義者をやっていられるのではないか?
「根拠のない楽観主義」は、
根本に甘えがあるのかもしれない。
それよりもっと重要なことは
「根拠のない楽観主義」は多くの人を不幸にしかねない
危険な思想傾向だということ。
右翼にも左翼にも影響を受けすぎることなく、
自分の頭で、現実に基づいて、できれば冷静に、
現状を考えていくことができるといいのになあと思います。
関連ポスト:http://ikebana-shoso.blogspot.com.au/2016/06/blog-post_23.html
2016年8月9日
21世紀的いけ花考 49
いけ花は現代芸術になりうるか?と様々考えてきました。おおよその結論には達しました。これからは少し補足です。
現代芸術がいけ花と大きく違う点のひとつは学術的な体系ができていること。私がコンテクストとか批評の充実として説明してきたこととも関連しています。その結果、どうなるか?現代芸術家は文武両道であることを求められるのです。もちろん比喩ですが、文とは現代芸術の理論や専門的知識のこと。武とは実技のこと。モダン芸術以降、何でも芸術の素材になるという考え方から、実技と言っても分かりにくくなっていますが、素材にどのように手を加え、面白い作品に変容させているかということ。特に、大学の芸術学部スタッフとなると一般に文武両道が求められます(もちろん、文だけ、武だけの先生もあります)。
しかし、私の知る限り、本格的な文武両道の芸術家は少ないようです。理論が強い人でも作品がトホホであったり。作品は素晴らしいのに論文はアチャ〜であったり。ある博士論文を読んでいて驚いたことがあります。1ページに1回くらいパワフルという形容詞が出てくるのです。芸術作品の評価をするのに使っているわけですが、こんな論文でいいのか?と思ったものです。ともかく文武両道はとても達成が難しい。でもそこを建前上目指しています。
その点、いけ花は分かりやすい。武(実技)だけです。武だけで師範にも教授(?)にもなれるのです。もちろん、若干文も求められる場合もあるでしょうが、学問的には脆弱です。
いけ花においても文を追及できないか。私が所属する国際いけ花学会の任務はそういうところにもありそうです。年刊学術誌も3号発刊済み、会長、副会長共に近年重要な書籍を出版されました。なおこれらの書籍は全てモナシュ大学図書館に収蔵されています。今後いけ花はもっと深くなっていくでしょう。
今月は今年の5月に行ったいけ花パフォーマンスの作品を紹介しましょう。約40分間、尺八と琴の生演奏をBGMに黙々と活けていきました。いろいろな見せ方があると思いますが、瞑想しながらひたすら生けるところを見てもらいたかったのです。
さて、8月にはオンライン国際いけ花コンクール、いけ花ギャラリー賞の発表、10月にはアボッツフォード・コンベントで合同華展・和が開催されます。詳細は私のサイトからどうぞ。
2016年8月8日
2016年8月2日
2016年8月1日
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