華道家 新保逍滄

2019年4月30日

読書の愉しみ:生け花ーその可能性の中心


基本的に読書は好きです。
しかし、残念なことに愉しみのための読書はしばらくしていません。

今のところ、学術論文を書くための読書がほとんどですが、
その核になる書物から、少し離れた書物、
参考文献に加えられるかどうか、怪しいあたりの書物に、実は、とても面白いものが多いのです。

今、気になっているのは西洋モダニズムのいけばなへの影響。

「日本美術を見る眼」(高階秀爾)は、江戸末期以降、日本美術が西洋モダニズムを競って取り入れたあり様を教えてくれますが、おそらく同様の、新しいものへの激しい憧れが生け花の世界にもあったのだろうと思われます。

もっとも顕著なのは昭和8年成立とされる「新興いけばな宣言」。
生け花を大きく変えていくことになり、草月流、小原流などの比較的新しい華道流派にも影響を与えています。

こうした流派は、人気からして現在、日本の華道界の中心的存在でしょうが、西洋モダニズムの影響をたっぷり受けた流派と言っていいと思います。

しかし、西洋モダニズムの行き詰まりがはっきりしてくるにつれ、生け花のあり方にも再度、新しいものが求められているのではないか。ポスト・モダニズムの時代に、いつまでも花は自己表現だとか、人間中心だとかモダニズムの哲学を振り回しているわけにいかないでしょう。

新たな生け花革命が求められているのではないか。

私が注目しているのは、西洋モダニズムの影響を受ける以前の生け花のあり方。

そこには、モダニズムを乗り越え、ディープ・エコロジーを取り入れるヒントがあるのではないか。

西洋のキリスト教思想からは、人間主義的(人間のための)エコロジーしか生まれてこない、とされます。おそらく自然を客体視する態度が根本にあるからでしょう。それを超えた、つまり、人間中心主義を超えたエコロジー(ディープ・エコロジー)にこそ、新しい可能性があるのではないか。

それは「神と自然と人間が同心円的にひとつの世界を作っている世界観」(「修験道という生き方」宮城泰年、田中利典、内山節)に基づく生け花(あるいは環境芸術)のあり方を考えることに繋がってきます。

同著の田中によると、「神殺しの日本」(梅原猛)で、梅原は明治以前に戻れとおっしゃっているらしいですが、生け花についても同様かもしれない。明治以前、西洋モダニズムの影響を受ける以前の生け花のあり方に光を当て、それを現在の文脈で再度学び直せないか。

そんなことを考えていると、唐突に、しかし、確信的に「修験道やるしかないだろう!」と思えてきます。

さらに、そんなことを考えていると、以下のような、ゾクゾクするような一節にであったりするのです。

「上田氏は、神道的宗教においてまず何よりも先行するのは『神との対面』であると言っています。私たちは普通、私たちの世界像の枠組みの中で神に出会うと考えています。(中略)それは本当の宗教体験ではないというのです。真の宗教体験では、一切に先行して『神との対面』があるのです。つまり自然があるかないかより先に『神に対面』するのです」(「日本の宗教とキリストの道」門脇佳吉)

20年以上前でしょうか、オウム事件のあった後でしたが、友人に誘われて、上智大学での門脇氏の講演を聴講したことがあります。以来、門脇氏には心服しています。「道の形而上学」「身の形而上学」は名著。その他のすべての著書をじっくり読んでみたい方です。

ともかく、こうした様々なことをあれこれ考えているわけです。
論文の締め切りまでに、少しでも何かまとまった考えが生まれてくるのか。
とんでもない問題に首を突っ込んでいるような気もしています。

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