重森三玲の芸術としての生け花論では、草木など自己表現のための材料でしかない、ということでした。戦後大躍進した草月流、小原流などに影響を与えた、この主張がいかに日本の伝統に反するものであるかを理解するためには、生け花の起源にまで遡る必要があります。
土橋寛が「遠く古代に源流する花見の習俗が、『立花』を経て『活け花』という生活文化を生み出すに至った」(「日本語に探る古代信仰」中公新書)と書いていますが、正論でしょう。
花とは鼻なのです。花の語源については諸説ありますが、私は冗談ともとれるこの説が好きです。鼻は顔の先端。外界に接する部位。花もまた外界・異世界と接する存在です。この外界とは、つまり、聖なる世界。この類比の論理で、花と鼻がつながるのです。日本語は面白いですね。
花見で春の訪れを祝うのですが、本来の趣意は花を見ることで生命力を強化すること(タマフリと言います)。また、山に咲いた花の枝を折り、田植えの際に田に挿すという風習もあったようです。ようやく訪れた春の生気・神性。それは花に宿っているわけですが、豊作を願って、それを田に移そうということでしょう。古来から伝わる日本における花の性格が少し分かってくるでしょう。難しい言葉では呪物崇拝とかマナイズムなどと言います。
まず、花は生命力に満ちた存在とみなされていたということ。これは了解できるでしょう。しかし、生命力とか「いきいきした感じ」などという表現では、言葉足らずな感じがします。その力は神秘的で日常を超えた聖なるものでもあります。さらに、その力は伝染します。魂に流れ入り、魂を振り起こしてくれます。花とはそうした霊力・呪力を持つ存在。本来、花は神聖なるものという認識が立花にも、生け花にもあったのです。
つまり、重森の主張は、精神修行としての生け花を否定しただけでなく、この伝統的な花に対する見方をも否定したのです。これをどう考えたらいいのか。世界史的な見地から再検討すべきです。大変なことになりそうですが、次回に続きます。
今回の作品はレズリー・キホー・ギャラリーズでの松山智一展に活けた小品のひとつ。松山さんの色の祝祭に対し、色を渋く押さえ込んで対峙しました。
10月7、8日にアボッツフォード・コンベントで華道展和開催、また、22日からのYering Station彫刻展に選出されました。どちらも観光名所です。ぜひ、お越し下さい。さらに、25日からはRMITでの公開短期講座・日本美学も新学期開始。今月は忙しくなりそうです。
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