2021年2月7日
2020年12月21日
専応口伝と異文化における生花
「瓶に花をさす事、いにしえよりあるとはききはべれど、それはうつくしき花をのみ賞して、草木の風興をもわきまえずたださしいけたるばかりなり」
専応はこの口伝の序文で、生花の誕生を宣言しています。上記の引用は、生花誕生以前の状況を語っているわけです。花の美しさだけをありがたがっている、草木の面白さに気づいてもいない、と。そういう人々とは決別して、生花を誕生させたんだよ、と。
ふと、思ったのは、海外で華道家としている活動している私の現状と生花誕生以前の状況が似ているではないか!ということ。
ありがたいことに私は商業花の依頼もよくいただいています。この写真のような花も作ります。クライアントの満足を第一に考えなければいけません。
日本とは違います。草木の風興をわきまえていない方も多いのです。
もっと花を入れてくれ、もっとカラフルに、長持ちさせてくれ、いろいろなリクエストがありますが、生花が根本からわかっていない方がクライアントの場合、困ることが多いのです。ひどい時には、不愉快な経験をすることもあります。
生花の修養を積めば積むほど、クライアントのニーズから離れていく、時にそんな思いを持つことさえあります。これはなかなか辛い。
私の言うクライアントとは生花の生徒も含まれます。
生花の本質的なところを教えようとすれば、生徒から煙たがられる、そういうこともあります。生花の本質的なところは基本型にある、というのが私の考えです。枝物2、3本、花2、3本で生花の原理を体現していく、その辺りに生花の本質があるのではないかと。
Zoom Ikebana Dojo では、そのような試みをしています。
しかし、このブログで何度も書いてきたことですが、外国人の生徒の多くは、基本型の勉強を厭う傾向にあります。
逆説的ですが、そこにはメリットもあるかもしれません。かなり意地悪な見方ですが、外国人の多くは基本型を厭う、故に、生花がなかなか上達しない、故に、生花学習者に止まり続ける。それは日本の先生には都合が良いのかもしれません。あまりにたくさん上手な方が出てくるということになっては、先生の商売が成り立たないではないですか!生花文化の振興と、家元制度という経済機構の発展には、微妙な関係があるのかもしれません。
以前、日本の著名な華道家のデモンストレーションを当地で拝見したことがあります。色々考え込んでしまいました。当初は、ご自分の本当の最高のところは見せてくださらないのだな、厳しく言えば、手を抜いているな、と思いました。しかし、観客を草木の風興をわきまえていない方々と想定し、そうした方々にどのように楽しんでいただけるか、と考えてのデモンストレーションであったということかもしれません。
草木の風興をわきまえていない方々の中にあって、専応や専応の先人たちは道を開いて行ったわけでしょう。その苦労は、もしかすると、私たち海外で生花に関わる者にはより共感できるものであるかもしれません。
2020年11月18日
Zoom 生花道場カリキュラム:人気のない基本型
Zoom 生花道場のカリキュラムには基本型を含めたい、と思っていました。
このブログでも何度か生花の基本型について書いてきました。生花を外国人に教える難しさについて、ということで。
基本型を厭う生徒が多いことと、我流生花が多いこととは関係があるように思えてなりません。調和のとれた詩的な基本型が作れない方には、調和のとれた詩的な自由花は作れないはずです。実は、基本型を嫌がる方こそ、基本型をもっと練習しなければいけない!そういう場合が多いのです。
しかし、嫌がりますね。「もっと基本型をやらないといけないよ」とアドバイスしようものなら、まるで「侮辱された!」とでもいうような反応が返ってくることもあります。しつこくやらせたら、教室をやめていった生徒がいたという話もこのブログで書いたことがあります。
それにしても強調したいのは基本型の重要性。
基本型には生花の詩性の根本が含まれています。そこを体得しないことには、おかしな方向へ行ってしまうのではないか?その習得不足が、諸問題の元凶のひとつかもしれない、とまで思ってしまいます。
Zoom 生花道場のカリキュラムではレベル2で基本型を導入し、8回作ってもらいます。ここで、生花道場のカリキュラムについて、少し説明しておきましょう。レベル1、2、3と、とりあえず3段階用意しています。それぞれ8回のクラスから成り立っています。
レベル1では、生花デザイン原理、生花デザイン要素を優先した基本的な自由花。生花を学ぶということは、「花を花として見ることをやめる」ということです。初めから花の本質を見ることを学んで欲しいのです。専応のいう、花や葉の「よろしき面影」を見出し、瞑想する訓練の始まりです。
レベル2で、基本型の習得(上級者にとっては復習と発展)。レベル2になると、受講者の数が増えない、という予想通りの状況です。面白いですね。しかし、ここが一番やりたかった部分なのですが。
レベル2で使う花型に各流派の既存の基本型を使うのは問題でしょうから、自分で新たに考案しました。生花の基本型とは、多くの流派で似通っていながら、若干違うという現状であるようなので、その方針でいくつか作っておきました。説明の仕方もかなり独自の方法でやっています。それは将来的な発展を踏まえてのこと。基本型で習ったことを将来どのように使えばいいのか、ということを射程に入れて組み立てています。
レベル2は、生徒にとっても私にとっても忍耐を要する段階です。ここを通過することで、幾らかでも生花のレベル向上に貢献できないか、我流生花の蔓延を抑制できないか(大袈裟ですが!)と願っています。我流生花が流行っても、それでお金が儲かればよいという方には問題ないのでしょうが、華道文化のことを思えば、なんとかしたくなります。山根翠堂のいう「死花」ばかりが生花として溢れているというような事態は、できれば避けたいもの。せっかく取り組む以上、そのくらいの抱負はもちたいですね。
レベル2で気づくのはやはり基本型への嫌悪。特に上級者には多少自分流にアレンジしていいよ、としてるのですが、多くの方が自由型にしてしまいます。しかも、行き過ぎている場合が多い。その結果、基本型に備わっている詩性は失われています。これではなんのための基本型の復習なのか、と残念な思いをすることがあります。本当の上級者以外、きちんと復習に徹した方が生花道場の趣旨を活かすことになるでしょう。
レベル3では少し高度な自由花へのヒントを含めることになるでしょう。生徒が喜ぶクラス、というのは見当がつきます。そういうクラスもレベル3辺りには含められたら、と思います。おそらくその辺りになるとまた人気が出てくるかもしれません。
オンライン講座で成功しよう、儲けようと思ったら、人気のトピックを調べて、そういうものだけをやる方が賢明でしょう。基本型をやったり、「生花のデザイン原理とは〜」などと深入りするのは、労多く、利がすくない。そう分かっていても、妥協できないものがあります。
ともかく、Zoom 生花道場は、私にとって何かと勉強になるプロジェクトです。なかなか大変ですが。
2020年10月27日
危うい言葉
病弱の方とか、酔っ払いとか、フラフラ怪しい足元の様子というのは、一眼でわかります。ほんの数センチでしょうが、本来の位置からはみ出しただけで、少し動きが不自然だな、危ういな、頼りないな、と感じるものです。
特定の人の言葉遣いに、同じような危うさを感じることが時にあります。何度か私の感じている違和感を説明しようと試みてきましたが、上手く納得してもらったことがないのです。すると、こんな感じを持つ人は、あまり多くはないのでしょうか?
例をあげましょうか。ある方は、ご自分の祈りとして、息を吸う時に「讃美」、吐く時に「感謝」と唱えるのだそうです。宗教的な、霊性に関わるような著作も多い方の言葉です。こんな言葉に出会うと、私は「危うい」とすぐに感じます。とくにそれが宗教的な文脈で語られる時、ほとんど拒否反応が起こります。
「讃美」「感謝」!ヒエ〜!
本当に魂から湧き出る言葉というのは、そんな教科書のような、あるいはおしゃれな、それでいて安っぽくて軽薄な流行歌の歌詞のような言葉ではありません。
危うさ。耐えがたい言葉の軽さ。さらに場合によっては欺瞞さえも感じてしまいます。
ことあるごとに名著として紹介するのは、スコッツペックの「平気で嘘をつく人たち」(People of Lie)。もう心理学では古典になっているのではないでしょうか。彼のベストセラー、「愛の精神分析」(Road Less Travelled) が、善の起源を掘り下げた著作であるのに対し、「平気で〜」は、悪の起源の探究でしょう。そこで語られる悪は、なんとも掴みどころがない。日常的に私たちの周囲のどこにでも潜んでいて、とくに犯罪になることもない。
しかし、そこにある魂の欺瞞や腐敗は、人間存在の根本のところに関わってくるように思います。見えない冒涜、沈黙の暴力ではないか。後味の悪い読後感は何十年経っても残っています。
当然、文学でもそのような問題を扱った作品があります。レイモンド・カーヴァーの短編の幾つかとか。村上春樹も多くの作品で同様の問題を意識しつつも、カーヴァーほど巧みには描き切ってはいないように思います(もちろん村上は稀有な文学者ではありますが)。両者の違いは、人間の関係性に対する態度の違いと関連があるのかもしれません。
2020年10月18日
2020年9月17日
2020年9月10日
Zoom 生花道場への序論
Zoom 生花道場についてはいつかきちんと成果を報告したいと思っています。失敗もありますし、成長し続けるものでしょうから、途中報告と言うことになるでしょうが。
始めてから2、3ヶ月でしかないですが、いろいろな試行錯誤を重ねてきています。ですから、いけ花で、あるいは他の科目でオンライン指導を導入したいという方に、私たちの経験は幾らかは参考にしてもらえるのではないかと思います。私たちの回り道や苦労を避けてもらうということになるかもしれません。
以前も書いたことですが、気楽に始めたのです。メルボルンのロックダウンはなかなか解除されないので、ちょっと始めてみようかといった具合。
それがとんでもないことになっている、様な気がします。
ともかくよく考えさせられます。自分の能力が試されている感じがします。
特に必要なのは、2種類の思考力ではないかと思います。
一つは、コースデザイン力。指導内容をどの様に伝えていくか、と考えていく力。これには実は私が大学院でやった応用言語学のトレーニングが役立っています。ひとつの成果は新しいいけばなカリキュラムを作ってしまったことでしょうか。国際社会に適応できるいけばなの指導モデルとは?などと考えた人はおそらく今までなかったのではないでしょうか?伝統的な指導を英語に「翻訳」する試みはあっても、そこに「創造」はあまり求められなかったのではないかと思います。
もう一つは、問題解決力。と言ってもうまく言いえていませんが。問題が起こります。その原因を分析します。そこで従来の方法を改め、根本まで掘り返し、全く新しい方法を考え出す創造力、です。実は、これは私が20代の頃に起業して、ずっとやり続けるしかなかったことです。ビジネスの世界でサバイブする根本の力だと思います。と言っても私など、スケールの小さい世界でチマチマやってきたに過ぎませんが。
こうして新しいアイディアが生まれた時というのは、実に嬉しいものです。病みつきになるほどです。もちろん、それが即、問題解決につながったり、利益につながったりということにはならないかもしれませんが。この興奮は学問でもよく味わってきました。テキストの新しい解釈に気づいた時など、これは大発見だ!などと、一人で悦に入るということになります。他の方に認めていただけるかどうか、これはまた別の問題になりますが。そんなところが私にはあります。
オンライン指導を始めてみると、次々に新しい問題が生じ、対策を練っていかないといけません。それが実感です。ですから、与えられたレールの上を安穏と生きていけばいいという生き方をしてきた人には、オンライン指導で成果を出すということは難しいかもしれません。とはいえ、不器用な私たちがあれこれ考え込んだり、つまづいているところをスイスイ乗り越えてうまくやっているという方もきっとあることでしょう。そこがこの時代の面白いところ。
ひとつの大きな課題は、ZOOMをどう指導に使うか、ということ。
オンライン指導は対面指導にかないません。マイナスの点ばかりです。でも、プラスの点もあります。そこを徹底的に洗い出していきました。
私がよく考えていたのは、織田信長の鉄砲についてのエピソードです。確かに威力はあるが、火をつけてから弾丸を発射するまで数分かかる。しかも命中率は低い。これでは戦場で使い物にならない、と多くの大名が相手にしなかったものを、信長は使い方を工夫して大きな戦力にしたという有名な話です。史実かどうかはわかりませんが、ZOOMには使い方次第で、きっと鉄砲の様な力が見つかるはずなのです。
ZOOMを従来のワークショップ型の指導の枠組みの中で使っても、それを生かし切ることにはなりません。オンライン指導をいかに対面指導に近づけるか、という発想では新しいものは生まれないでしょう。オンライン指導を対面指導の「代わりに」使うという発想ではなく、対面指導とは「別のもの」と考えて、オンライン指導の特徴、強みを活かす方法を探る方が生産的である様に思います。
結局、「学ぶ」ということを突き詰めて考え、従来の学びのモデルを壊し、新しいモデルを考えるということになりました。
もちろん、ここで「そんな新しい学習方法にはついていけない」という消費者が出てくることは当然です。その問題への対処もまた難しい。
そこで、マーケティングです。新しい学習モデルができてもそれを上手にパッケージにし、様々な方法でPRしていかないことには商品として成立しません。
私たちには大きな資本があるわけではありません。主導役の私の実力、知名度もたかが知れている。出発点がかなり厳しいのです。
ナイナイづくしの中で、あるのは優れたスタッフのみ。と言っても皆、ほとんどボランティアです。「将来、お金が入るからね、多分」と説得し、あれこれと協力してもらっているのです。
驚くのは、スタッフの熱意。「こんないけばな指導プログラム、世界で一つだけだ、誰にも真似ができない、いけばなを世界に広げることになる」などと皆、大変なプライドと情熱を持って取り組んでくれています。この熱血集団のためにも、多少でもお金になってくれるといいのですが。どうなりますか。
スタッフに協力してもらったのは、まず、親しみやすい、品のあるロゴ作成。これは欠かせません。ロゴのフォントを選ぶのにも数日議論しています。そしてYouTubeの活用。ビデオ編集、SNSの活用など、私には手の回らないことが多いのです。
日本からもZOOM 生花道場への参加者があると面白いだろうなと思っています。日本語案内はこちら。
2020年8月20日
作品集 「新保逍滄2020」
作品集 「新保逍滄2020」
ようやく完成しました。eBook - Aus$4.99
以下、右側の拡大アイコンをクリックするとサンプルをご覧いただけます。
この作品集「Shoso 2020」は「Shoso 2016」以降の作品、2016年から2020年までの新保逍滄の作品を紹介するものです。この間の活動の焦点のひとつは環境芸術における生花の可能性の追求であったと言えそうです。環境破壊の元凶が資本主義でありながら、資本主義のシステム内でしか環境芸術は存在できないのでしょうか。純粋な環境芸術のひとつの形は「贈与」にも似た概念芸術ということになるのかもしれません。相手を決めず、報酬を求めず、できれば匿名で贈る行為。それは自然界の隅々にまで浸透する資本主義に対峙しうる最後の砦。あるいはそれを本物の精神文化と呼んでもいいのではないでしょうか。すると「贈与」は日々の生花の修練が深いところで意味するものとも似通ってくるようにも思えます。孤軍奮闘の折にふと浮かんだ想念です。
This is the second collection of Shoso Shimbo’s work , following the first collection, Shoso 2016. It focuses on his works from 2016 to 2020. This is a significant period for Shoso’s career as an artist, expanding the possibilities of Ikebana into the areas of contemporary art, and environmental art in particular.
Shoso has been exploring environmental art from an Ikebana perspective. It is in a sense investigating Western art in the light of Eastern traditions of art.
Some traditional aspects of Eastern art can offer a different perspective on our attitudes to the environment. Art may not be able to instantly solve the difficult problems we currently face, but it can raise questions about the role of capitalism in environmental degradation.
Shoso 2020 reveals his direction toward new type of minimalism, where Japanese aesthetics are re-examined in the age of environmental crisis. Shoso is exploring the possibilities of a union between environmental aesthetics and environmental ethics.
2020年8月18日
思い出すこと:留学生として
2020年8月16日
2020年8月12日
彫刻:木蓮、完成しました。
Magnolia Flower
Designed by Shoso Shimbo & Shoan LoStainless Steel, 450 x 1200 x 450
The form of this sculpture was inspired by the magnolia flower. Flowers have held spiritual significance since ancient times. In some cultures, the magnolia flower signifies an enduring true love that lasts throughout time and space.
Based on Ikebana aesthetics, this sculpture shows the different stages of an opening flower. As the viewers walk around, the flower may slowly open before their eyes.
Floating Petals
Designed by Shoso Shimbo & Shoan LoThe work represents flower petals floating on running water. This combination is one of the most highly admired poetic images in Japanese culture. It signifies both the transience of our existence and the eternal cycle of nature, our spirituality. The metal flowers come from Hiromitsu blacksmith in Izumo, Japan.
Web: Le Pine Funerals
葬儀会館への制作依頼には木蓮の花からイメージを膨らませた。古代より花は精神的な意味を持つものとされてきた。類人猿もまた死者に花を手向けたという。木蓮の花は時空を超えた永遠の愛を象徴するとする文化圏もある。非対称性を用いたことで、周りを歩くと彫刻の花が徐々に開いていく様子が感じられる。
流れの花びらは、花の刹那性と流れの永遠性(大自然あるいは精神性)の対比として日本文化史上、最も親しまれてきたイメージのひとつであろう。壁作品はこのモチーフを元にしている。桜の花弁は出雲の鍛冶職人に特別に制作していただいた。
2020年8月8日
生花道場 2020年8月の予定
日本の皆様のご参加歓迎いたします。日本語案内
15 August 2020
Special Program - Using more than 5 materials
Apply by 11 August
25 August 2020
Special Program with Mr Katayama
Apply by 11 August - New Deadline!
Mr Katayama agreed to facilitate 2 sessions on 25 August. A few more extra seats are available now.
Please apply soon. We changed application deadline because the participants need some time to prepare for this very special Dojo session.
5 September 2020
Ikebana Aesthetics Program - Line 1
Please check our post about the sessions in September & October.
生花道場というのはかなり変わった企画だろうと思います。
海外における通常の生け花教室とは、違います。公的な機関でも、非営利を謳う組織でもありません。
実はたくさんの方々に御協力いただけませんかと
お願いしていますが、あまりいいお返事はいただけません。
それは仕方ないと思います。あまり儲かる話でもないですし。
素性もよくわからないということもあるでしょう。
それでも、勝手なお願いであるにもかかわらず、ありがたいことに御協力くださる方はいらっしゃいます。時に、日本の花道界を代表するような方々から。
おそらく、いくつか面白い、独特なところを認めていただいているせいではないかと思います。
まず、ひとつは海外で生花振興を目的にしているというところ。関心を持って下さる方々は、海外での活動歴があるなど、海外での生花学習者のことを考えて下さる方であるように思います。
海外の生花学習者を新しい市場として関心を持つ方もあるでしょうが、おそらく大きな花道流派の一部の方々などに限られるでしょう。また、海外進出したいということであっても、問題はたくさんあります。特定流派という家内企業の海外進出ということにとどまらず、日本の文化、生花を海外でどのように伝えていくかということになると、難しい、大きい問題がたくさん出てきます。お金だけ集めて、あとは勝手にやってくれというわけにはいきません。かなり覚悟のいることです。
生花道場にご協力いただける理由が、もうひとつあるかもしれません。それは生花道場が生花ギャラリー賞、メルボルン生花フェスティバルとともに、海外における生花振興運動の一環だということだけでなく、それが、小規模ながら長く続いてきた活動の一環だとご理解いただいているせいだろうと思います。生花道場自体は新しいのですが、10年ほどのボランティアを含む活動実績が信用の裏付けになっているのかもしれません。そう考えると、信用というのは小さなものであっても簡単には手にできない、しかし、獲得できたなら強力な資産になると言えそうです。
様々な不理解や問題にも立ち向かっていかなければいけません。
最大の幸運は、とても優秀な方々が味方になってくれているということ。
スタッフには、いつか儲かる話も出てくるから、とか、次の世代のために捨て石になる覚悟を持ったらいいじゃないかと鼓舞しています。鼓舞になっているかはわかりませんが。
さらに、ありがたいのは、この事業を本業としてやる必要がないということ。
これはきちんと事業展開した経験のある方はご理解いただけるでしょう。キャッシュフローの現状をみれば、ビジネスとして存続できるレベルではありません。
まあ、どこまで行けるのか。
自分の仕事も大事にしつつ、とりあえずもう少し続けていけたらと思っています。












