2019年のメルボルン・フラワー・ショーに出展しました。
Melbourne International Flower and Garden Show
3、4年ぶりの出展です。
南半球最大のフラワーショーとなりますから、メルボルン在住の業界人としては無視できないイベントなのです。
しかし、思うところはいろいろあります。
まず、私が過去数年出展しなかった理由は、
1、PR効果が案外少ない。入場者10万人とありますが、出展、あるいは受賞したとしてもその効果は少ないのです。会場で私の作品を見て、教室に入ってくれたなどという方は過去10年、皆無です。これは花部門についてのことであり、庭部門では事情が違うのかもしれません。
2、他のイベントと重なる。秋のメルボルンは多くの行事が開催される時期です。過去数年、同時期に開催される重要な彫刻展や学会に招待され続けたのです。
3、 賞、審査に対する疑問。フラワーショーに参加すること、すなわち賞レースに参加することになります。避けられないのです。大企業が大きな予算で制作する作品の隣では、なかなか自作は映えません。賞など気にすることなく、自分が満足できる作品を作ればいい、というスタンスで続けてきました。
しかし、花を大量にゴテゴテ使用しただけの受賞作を見ては、ここは自分が出展する場ではないのではないか、という思いを強くしてきました。自分のアプローチは、一般に評価される装飾としての花ではないのでは?と。
不思議なもので、芸術性のない稚拙な作品(失礼。私にそう見えるというだけのことです)であっても受賞作となると、よく見えてくるものなのです。逆もしかり。
彫刻の方で評価をいただける機会が続き、自分が表現したいものが理解していただけるのは彫刻だ、と思うようになっていました。
4、すでにこのショーで最高の金賞を受賞済み。2回3回とってもあまり意味はないでしょう。
5、制作の費用、時間はなかなか負担が大きい。
大体こんなところです。
それにもかかわらず、今回出展したのは、作品集出版のための作品写真が必要という事情が最大のものでした。
さらに、8月末に予定しているメルボルン・生け花・フェスティバルのPRに効果があるかもしれないということも大きいものでした。
おそらく分かってはもらえないだろうから、賞は期待しない、自分に挑戦するための作品、自分にとって意味のある作品を作る。妥協しないこと、という心がけで臨みました。審査員や多くの観客の気に入るように不必要に飾り立てたりするのは馬鹿げたことに思えます。
結果、予想通り、自作は他の多くの作品とは別の領域に属しているなあ、と感じました。
もちろん、他の作品を批判するつもりなどありません。実際、すばらしい作品が多数あったのです。例年以上ではないでしょうか。ただ、私とはアプローチが違います。
そもそも、自作ときたら、花を一輪も使っていない!
「作品の7割以上に花を使わなければいけないんでしょう?ガイドライン無視しているんでしょう?」と私の生徒が笑っていましたが。
それでも、私の生徒の何人かがとても感心してくれましたから、それで良しとし、まあ、生徒のため、そして自分のために出展したんだよと納得。
さらに、実は、私自身、今回は不思議な満足感を経験しました。
ここまで手をかけると、作品が生命を獲得するのだ、という感じ、でしょうか。
その「ここまで」という、到達点がはっきり実感できたのです。
ただの自己満足かもしれませんが。
ともかく、とても充実した経験でした。
こうした、自分に挑戦する機会は必要でしょう。