冬ですので、それほどたくさん花はありませんが、
庭からとった花材で小品を作ってみました。
まもなく生徒向けのいけ花コンクールの応募締切り。
それから私達選考委員の作品選抜作業がなかなか大変です。
http://ikebanaaustralia.blogspot.com.au
https://www.facebook.com/IkebanaGallery
もう少し応募が増えると
もっと面白いのに、と思います。
いけ花にコンクールを持ち込むということに疑問もあるでしょう。
国際的な生徒作品のコンクールと...
2015年6月28日
2015年6月25日
一日一華:花菱レストランにて、そしてピロル菌について

花菱レストランでの仕事は
用意していただいた花材で生けます。
何が出てくるか分からない、
時間制限がある、という難しさ。
しかし、材料調達の時間が節約できるのは有り難いです。
私が忙しい時は、私の上級の生徒にお願いします。
皆、難しかった、でも面白かった、と言ってくれます。
ところで、最近、日本で人間ドックを受けました。
この日本のシステムは素晴らしい。
ビジネス化していて、サイト上で、比較、予約も簡単。
結果をオーストラリア人の医師に見てもらいました。
彼のコメントが面白かったので、紹介します。
...
2015年6月18日
2015年6月15日
一日一華:ハラン
この花材、どう使っていいか分からないから置いていきます、
何か作ってみせて、
なんていうことで、生徒から宿題をもらうことがあります。
日本ではそんなことはあまりないのでしょうが。
海外ですから、なんでもあります。
でも、それも挑戦。
そこで、ハランとバーゲンディーの百合の取り合わせです。
日本でありえない、というか
華道家にとって、多分あまりないのは、
芸術作品制作の依頼でしょう。
華道家が何をやる人間か、おおよそ世間は分かっています。
しかし、ここはメルボルン。
華道家が何ができて、何ができないか、...
2015年6月10日
一日一華:白樺の枝
我が家の白樺の枝で遊んでみました。
おそらくうまく書けそうもないことを書いてみましょうか。
メルボルンに移り住んで20年以上経ちました。
間もなく30年になるでしょう。
メルボルンでいけ花を習った先生は2人。
現在、草月流ビクトリア支部長のエリザベス・アンジェル、
そして、カーリン・パターソン。
両先生にお世話になりました。
特にカーリンの教室へは長く通いました。
先日、カーリンに用があって電話しました。
「ちょっと待ってくれ」と男性。
少し様子がおかしいのです。
「番号違いでしょうか」と私。
電話...
2015年6月6日
2015年6月4日
21世紀的いけ花考(36)
生花という言葉を巡ってあれこれ考えてきました。ここまでの話を簡単にまとめておきましょう。ここで言う生花とは、室町時代、主流の立花に対抗して出てきたひとつのスタイルの花飾りのこと。生花、立花、自由花など様々なスタイルをまとめていけばなと言う時には「いけ花」と表記して区別することにします。
生花とは花に新しい生命を与えて蘇らせるという意味だろうということでした。つまり、生花に使う切花は生命を失った存在。それが生けるという行為を通過して再び生命を獲得するということ。生けるとはまるで宗教的な再生の儀式のようです。そのように考えてみるとまた新しい仮説が出てきます。
前回は東洋哲学の見地からこの再生を無本質的な花としての再生だと説明したわけです。しかし、文化人類学的の基礎概念を当てはめてみることもできそうです。死→儀礼→再生。つまり通過儀礼ですね。結婚式、葬儀などと同じこと。これらの儀礼には共通する要素がたくさんあります。例えば結婚式で着る白無垢。これは死装束と同じ意味。人が生まれれば名前を与え、七五三でお参りする。それは故人に戒名を与え、年忌法要するのと対応しています。
そうすると材料の切花といけ花になった花とは、全く違ったものだということが分かってきます。花を生けるということは葬儀を執り行うようなものなのです。そう言うと「暗ーい」なんてことになりそうですね。婚礼を執り行うようなものだと言ってもいいのですが、最近の婚礼はロマンチックなイメージが強く、旧来の自己が死に、新しく生誕するための儀礼という本来の意味がぼんやりしていますので、どうでしょうか。
ともかく、いけ花のおおよその意味が分かっていただければ結構。次に、いけ花は芸術だろうか、ということを考えていきましょう。
さて、今月紹介するのはメルボルンフラワーショーに出展したハート。単純な作品と見えるでしょう。私自身、企画段階で今年は楽だぞと思っていたのです。しかし、制作は大変。3日間でぎりぎり。今年は私の生徒も多数出展してくれました。作品集をYou...
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