華道家 新保逍滄

2017年5月1日

一日一華:自作花器で



テーブルの足を逆につけて作った花器です。
もう少しいろいろ試してみようと思います。
こんな遊びを歓迎してくれるクライアントはありがたいです。
リシアンサスとフリージアを加えて商業花にしています。
本当は不要でしょうが。

日本滞在中、気をつけたことは最終日まで本屋に行かないように、ということ。
普段、私の読書はほとんどが英文。
そのせいもあるのでしょうが、日本語の本を見ると、手にしたい欲求が抑えがたく、何冊もの重い本を抱えて旅行することになるのです。
この注意はかなり守れまして、日本滞在の最終日に、東京の大きな本屋で手さげかごいっぱいの買い物をしてきました。

それでも、列車の待ち時間に売店を覗くと、最後の日を待ちきれず、ついつい何冊かは買ってしまうことになりました。その中で、特に買ってよかったと思った本は、サリンジャー著、村上春樹訳、「フラニーとズーイ」。そして島田裕巳著「人は死んだらどこに行くのか」。

前者は私の大好きな小説の新訳。サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」も好きで、初めて英語で読んだ小説だったように思います。しかし、それ以上に自分が鷲掴みにされたような読後感のあったのが「フラニーとズーイ」。おそらく私にとっての小説トップ10の上位に必ず入る小説。それを村上が訳しているのですから、買うしかないでしょう。

後者も素晴らしい。アマゾンかどこかの読者コメント欄にも読後感を書こうかと思っていますが。
主要な宗教の特徴がとてもわかりやすい文章でまとめられています。
日本の祖先崇拝をめぐる神道と仏教の役割が少し気になっていたので、とても参考になりました。
日本人の無常観についての解説、現代的な洞察、ともにとても興味深い指摘でした。
ただ、ひとつ、もの足りないのは、無常観が悲観的なものとしてのみ捉えられているということ。
おそらく、日本の無常観は、肯定的なものに転換していく契機を含むものだと思います。
自然との融合、永遠の直観というような独特の宗教的、あるいは神道的回心(禅の悟りと同一視されていないか)へと。
そのあたりの問題は、私の生け花論にも関係してきます。
環境芸術、エコロジーの問題とも関連してきます。

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