華道家 新保逍滄

2017年3月21日

一日一華:レセプションに。英語プレゼン対策


間も無く国際学会で英語でプレゼンテーション。
何度か失敗してきました。
また、何度か他の人のうまくいっていない発表にも付き合わされてきました。

日本語なら楽ですね。
かなり気楽に、論理的に、深く、話せるように思います。

しかし、英語となると
私たちのようなノン・ネイティブの英語話者は
一工夫必要であるように思います。

もちろん、英語が達者な方には不要なアドバイスかもしれませんが。

まず、読む原稿を用意する。そう、読めばいいのです。
発表の内容がずっと深くなります。

そのことに気づいたのは、アメリカのある著名大学の教授の発表でした。
もちろんネイティブの方でしたが、原稿を読み続けながらも
きちんと聴衆とやりとりできるのです。

私のプレゼンは25分。私の対策はこうです。

英文約500語を読むと約4分。
それを1段落とします。

発表の内容を5段落に分けます。今回は環境芸術と生け花の関連について。

1、環境芸術の定義
2、環境芸術の歴史
3、環境芸術の分類
4、日本的美意識と環境美学
5、自作について

それぞれ500語。4分づつで20分。
最後の5分で質疑応答。

本当は上記4、5を中心とすべきですが、
私にとってはまだ新しいトピックなので前置きが長くなります。

まあ、500語くらいですと、書くのもさほど難しくない。
パワーポイントも用意しておけば、なんとかなるでしょう。

これで実際にうまくいったら
この方法を英語の発表で苦労されている方々、院生にもお勧めしたいです。

日本人の英語の発表はうまくいっていない方がとても多いです。
中にはパワーポイントも用意ぜず、原稿も用意せず
演壇に立つ方があります。
おまけにひどい英語ですから、自滅行為。
聴衆が次々席を立って、半分以下になったという発表を聞いたことがあります。
ところが、本人は全く意に介していない。
「なかなか好評であった」と。

学会、講演で目指すもの、根本の動機が違うのでしょう。

私の場合は、自分の研究が止まってしまわないように、
外から強制してくれる機会として、学会参加や論文発表を捉えています。
大学に所属していれば、そういう強制はあるのでしょうが、
離れてしまうと研究を持続させることはなかなか難しくなりますから。

2017年3月20日

2017年3月9日

21世紀的いけ花考 第56回


「生け花は精神修養だ」という説明は便利です。しかし、どうしてそう言えるの?と尋ねられると、とたんに説明は難しくなります。どうして生け花の修行という観察可能な行為が、精神的な向上という観察不可能な境地につながるのか。それをどう証明するか。難問です。瞑想や禅と同様、修行の時間を積み重ねることで、精神が変化していくのだ、ということにはなりそうですが。

 まず、思い当たるのは、文化人類学が通過儀礼をうまく説明している事例です。似たような研究方法である程度解明できるかもしれません。それに近い研究の一例として、現象学の方法を用いた社会心理学の研究があります。生け花の経験の長い方が、幸福感が大きいというようなことを実証しています(新保著、Ikebana in English: Bibliographycal Essay 参照)。

 また、生け花の修行を禅の修行にたとえることもできるでしょう。禅には「十牛図」というのがあって、禅を通じて悟りに至る過程を、段階的に十の図で解説しています。散歩していると、牛のしっぽがちらりと見えるのです。気になりますね。ちらりですから。牛とは悟りのたとえ。やがて、修行を重ねると、牛に触れ、ついには牛を捕まえることになります。悟りを摑むわけです。しかし、なんと、そこで終わりではないのです。さらに、その後、牛がとても不思議なことになります。このたとえ話は魅力的ですから、解説書がたくさんあります。私は上田閑照の「十牛図を歩む」が面白いと思います。

 ここで提出された悟りに至るモデルに合わせて、生け花の修行を段階的に説明することも可能でしょう。おそらく最も効果的に生け花と精神性の結び付きを説明できるはずです。かなり大変な作業でありますが。私自身、スケッチ程度のエッセーを試みたことがあります。

 しかし、私は、ここで妙な気持ちになります。確かに生け花を禅に結びつければ、話は分りやすい。おそらく最もきちんとした議論が成り立つアプローチでしょう。

 でも、どうして禅なのでしょう?日本文化即禅文化論は不都合な何かを隠していないでしょうか?禅は日本の多様な精神文化の一要素でしかありません。室町時代に日本的文化が花開いた。それに影響を与えたのが禅だ、というのが通説のようですが、この辺りを再考する必要があるように思います。


 今月紹介するのは結婚式のテーブルアレンジメント。ピンクとバーゲンディで統一ということでしたが、花材が揃わず苦労しました。しかし、クライアントの希望以上の仕上がりで、喜んでいただけました。
参照:
Shoso Shimbo, Ikebana in English: Bibliographical Essay, 
https://independent.academia.edu/ShosoShimbo  

2017年3月6日

一日一華:レセプションに


クリニックのレセプションに。

道路の端に捨ててあった百日紅を整理してみると
面白い枝があらわれましたので、使ってみました。

この写真は作品を横から見たもの。

最近、メルボルン市主催の水に関する学会に参加してきました。
とても有意義でした。

アボリジニの人たちと話したり、会議の後、飲んだりできたのも楽しかったです。
彼らの自然への畏敬。
自然観。
それは日本人が古来保持してきた神道的なものととてもよく似ているようです。


おそらく、神道というとてつもなく古い信仰が、
アボリジナルの宗教観と共通しているというのは
あり得ることでしょう。

キリスト教が圧巻する以前の古代世界には
自然に対する態度で、共通する部分が多かったのでしょう。












Shoso Shimbo

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