華道家 新保逍滄

2017年3月9日

21世紀的いけ花考 第56回


「生け花は精神修養だ」という説明は便利です。しかし、どうしてそう言えるの?と尋ねられると、とたんに説明は難しくなります。どうして生け花の修行という観察可能な行為が、精神的な向上という観察不可能な境地につながるのか。それをどう証明するか。難問です。瞑想や禅と同様、修行の時間を積み重ねることで、精神が変化していくのだ、ということにはなりそうですが。

 まず、思い当たるのは、文化人類学が通過儀礼をうまく説明している事例です。似たような研究方法である程度解明できるかもしれません。それに近い研究の一例として、現象学の方法を用いた社会心理学の研究があります。生け花の経験の長い方が、幸福感が大きいというようなことを実証しています(新保著、Ikebana in English: Bibliographycal Essay 参照)。

 また、生け花の修行を禅の修行にたとえることもできるでしょう。禅には「十牛図」というのがあって、禅を通じて悟りに至る過程を、段階的に十の図で解説しています。散歩していると、牛のしっぽがちらりと見えるのです。気になりますね。ちらりですから。牛とは悟りのたとえ。やがて、修行を重ねると、牛に触れ、ついには牛を捕まえることになります。悟りを摑むわけです。しかし、なんと、そこで終わりではないのです。さらに、その後、牛がとても不思議なことになります。このたとえ話は魅力的ですから、解説書がたくさんあります。私は上田閑照の「十牛図を歩む」が面白いと思います。

 ここで提出された悟りに至るモデルに合わせて、生け花の修行を段階的に説明することも可能でしょう。おそらく最も効果的に生け花と精神性の結び付きを説明できるはずです。かなり大変な作業でありますが。私自身、スケッチ程度のエッセーを試みたことがあります。

 しかし、私は、ここで妙な気持ちになります。確かに生け花を禅に結びつければ、話は分りやすい。おそらく最もきちんとした議論が成り立つアプローチでしょう。

 でも、どうして禅なのでしょう?日本文化即禅文化論は不都合な何かを隠していないでしょうか?禅は日本の多様な精神文化の一要素でしかありません。室町時代に日本的文化が花開いた。それに影響を与えたのが禅だ、というのが通説のようですが、この辺りを再考する必要があるように思います。


 今月紹介するのは結婚式のテーブルアレンジメント。ピンクとバーゲンディで統一ということでしたが、花材が揃わず苦労しました。しかし、クライアントの希望以上の仕上がりで、喜んでいただけました。
参照:
Shoso Shimbo, Ikebana in English: Bibliographical Essay, 
https://independent.academia.edu/ShosoShimbo  

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