華道家 新保逍滄

2020年1月21日

とりあえずーFacebook の問題点

このブログやFacebook などで、何度か触れた問題がありましたが、この問題が解決しましたので、とりあえず報告しておきます。
もしかすると同様の問題でお悩みの方があるかもしれませんので。

問題は昨年度の6月に始まりました。そして解決までに6ヶ月かかりました。

問題とは、メルボルン生け花フェスティバルのサイト(https://waikebana.blogspot.com/)がFacebook、並びにインスタグラムで、コミュニティ・スタンダードに反すると断じられ、それらのソーシャルメディアにリンクが載せられなくなったばかりか、関連のポストが全て削除されてしまったのです。

私たちは広報をFacebook に依存していたため、フェスティバル関連の広報がうまくいかずとても迷惑しました。6月からフェスティバル開催の9月までの3ヶ月間は特に困りました。仕方ないので、どんどん新しいサイトを作りました。20個くらい作りました。それらが次々と、時には数分で攻撃され、封鎖されました。膨大な時間の損失!

原因は、ある特定の方が私たちのサイトを不良サイトとして報告したことであるようです。私たちがフェスティバル関連のポストを投稿する。この方が報告する。当のポスト並びにサイトが削除されるということが何度も繰り返されました。

反社会的な営業妨害ですから、法的手段に出ようという意見まであったのです。

この卑劣な犯罪者は誰か?いくつかの方法で、特定できないかと調べてみたところ、その方の居住国もわかり、生け花に関心のある方というところまでわかりました。ついに、約15人のうちの誰かであろうというところまで特定できました。

しかし、その段階で、突然、サイト禁止が解除されました。

私たちはFacebookに何度も毎週のように、「当方は不良サイトではない、この処置は間違いだ」と訴え続けましたが、6ヶ月経ってようやく、Facebook側から対応してもらえたようです。不良サイトとの報告自体が虚偽であり、報告者の違反行為と認めてくれたのです。

Facebookの立場も理解できます。多数の利用者がいるわけです。
不良サイトの取り締まりには、誰か一人が匿名で報告すれば即封鎖、という手段しかないでしょう。報告者は保護しなければいけないでしょう。匿名を認めるしかないでしょう。そして、それを悪用する者が出てくることは承知しているはずです。
しかし、最小限、「悪用だと分かった場合、悪用した者の氏名は公表する」という条件は追加するべきです。それだけで、悪用する者の数はずっと減るはずです。
加害目的で迷惑行為を行うヤクザ者を保護する必要はないのです。

2020年1月14日

持続可能社会の実現を目指して



折笠和文著「マーケティングの批判精神:持続可能社会の実現を目指して」読了。

久しぶりに休暇がとれ、読みたかった本を一気に読みました。
去年、桜の頃に亡くなられた折笠先生は私には特別な方です。
30年以上の付き合いです。
多分、先生は周囲のどなたにも話せないようなことでも
私には気楽に話して下さっていたのではないか、そんな気もします。
なんの遠慮もいらない、気安く付き合える方でした。
私が声をかけると必ず時間を作って下さいました。
大学教授として忙しいはずなのですが、そんなことは一度も口に出したことがない。
どうやって時間を見つけて多数の著作を出版されているのか、不思議でした。
先生の著作の幾つかを経済学の教科書のような形で扱う大学も少なくありません。
そのことを指摘しても「ああ、そうなの?」とあまり関心がなさそうなのです。
だいたい先生と学問のことなど話したことがないのです。
いつもロクでもない冗談を言い合っていました。
メルボルンに遊びにいらっしゃるという約束を果たしてもらえなかったことが残念です。

「広告は、なくせって言いたいんだよ」と先生。
二人で名古屋駅近くの寿司屋で飲んでいた時でした。
「え?経済学の先生がそんなこと言っていいんですか?」
「広告はね、ウソだよ。新保くん、俺はウソが嫌いなんだ」
福島出身の侍が出たなと私は笑ったものですが、あれは先生の本心だったのだなあ、とこの本を読んで納得しました。
そして、「広告がウソだ」という先生の言葉の真意もわかりました。
広告がウソで購買意欲をかき立てているというようなレベルの批判ではないのです。
企業の広告が現在の資本主義社会が存続不可能であるという事実から消費者の目を反らせ、その真実を伝えることなく、消費者を消費中毒にさせようと目論んでいる、という見識に立って、広告はウソだ、と断じているのです。広告の存在自体がウソだというのです。

私は専門が違うので、この本のキチンとした書評は書けません。
ただ、議論の流れには批判されかねない部分が多々あるように思いました。
しかし、そんなことよりも、この本には何としても言わずにいられない、という熱意が溢れています。このままでは地球は危ないという、先生の熱のこもった警告、そして将来への提案は多くの方々に考えて欲しいものです。私にとってはそこが読む価値の中心でした。おそらく大学教授レベルの方々にはこうしたトピックに触れたくない、立場上ここまでは言えないという方も少なくないでしょう。
私は遺言と受け取っています。

グレタ・トゥーンベリさんの言う「気が狂いそうになる程の焦燥」を、先生もまた感受しておられたのだろうと思います。こうした警告を無視できるのは、知的に乏しいか、愚劣で強欲な利己主義者だけだということが世間一般、政治家の間でも常識になり、そこから新しい社会に向けた歩みを始めなければいけないでしょう。

Shoso Shimbo

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