折笠和文著「マーケティングの批判精神:持続可能社会の実現を目指して」読了。
久しぶりに休暇がとれ、読みたかった本を一気に読みました。
去年、桜の頃に亡くなられた折笠先生は私には特別な方です。
30年以上の付き合いです。
多分、先生は周囲のどなたにも話せないようなことでも
私には気楽に話して下さっていたのではないか、そんな気もします。
なんの遠慮もいらない、気安く付き合える方でした。
私が声をかけると必ず時間を作って下さいました。
大学教授として忙しいはずなのですが、そんなことは一度も口に出したことがない。
どうやって時間を見つけて多数の著作を出版されているのか、不思議でした。
先生の著作の幾つかを経済学の教科書のような形で扱う大学も少なくありません。
そのことを指摘しても「ああ、そうなの?」とあまり関心がなさそうなのです。
だいたい先生と学問のことなど話したことがないのです。
いつもロクでもない冗談を言い合っていました。
メルボルンに遊びにいらっしゃるという約束を果たしてもらえなかったことが残念です。
「広告は、なくせって言いたいんだよ」と先生。
二人で名古屋駅近くの寿司屋で飲んでいた時でした。
「え?経済学の先生がそんなこと言っていいんですか?」
「広告はね、ウソだよ。新保くん、俺はウソが嫌いなんだ」
福島出身の侍が出たなと私は笑ったものですが、あれは先生の本心だったのだなあ、とこの本を読んで納得しました。
そして、「広告がウソだ」という先生の言葉の真意もわかりました。
広告がウソで購買意欲をかき立てているというようなレベルの批判ではないのです。
企業の広告が現在の資本主義社会が存続不可能であるという事実から消費者の目を反らせ、その真実を伝えることなく、消費者を消費中毒にさせようと目論んでいる、という見識に立って、広告はウソだ、と断じているのです。広告の存在自体がウソだというのです。
私は専門が違うので、この本のキチンとした書評は書けません。
ただ、議論の流れには批判されかねない部分が多々あるように思いました。
しかし、そんなことよりも、この本には何としても言わずにいられない、という熱意が溢れています。このままでは地球は危ないという、先生の熱のこもった警告、そして将来への提案は多くの方々に考えて欲しいものです。私にとってはそこが読む価値の中心でした。おそらく大学教授レベルの方々にはこうしたトピックに触れたくない、立場上ここまでは言えないという方も少なくないでしょう。
私は遺言と受け取っています。
グレタ・トゥーンベリさんの言う「気が狂いそうになる程の焦燥」を、先生もまた感受しておられたのだろうと思います。こうした警告を無視できるのは、知的に乏しいか、愚劣で強欲な利己主義者だけだということが世間一般、政治家の間でも常識になり、そこから新しい社会に向けた歩みを始めなければいけないでしょう。