生花と現代芸術については書きたいことがまだたくさんあります。数年来、両者を比較して考えてきましたから。現代芸術の中にも花を使った作品が多数あります。しかし、「花を花として使っていない」と感じることが多いのです。おそらくいけ花をやっている方には分かっていただける感想でしょう。もしかすると西洋花に対してそのように感じるいけ花制作者もあるかもしれません。内輪だけならそれで分かり合えるでしょうが、この違和感をきちんと説明するのはなかなか難しい。知的訓練を積んでいない人になると「花が生きてないわ」「花への愛情がないのよ」とか言って済ませてしまいそうですが、それは浅薄。
実は、この違和感を追求していくと「いけ花では花をどう使っているのか」「花をどう使ったらいけ花で、どう使ったらいけ花でなくなるのか」、結局、「いけ花とは何か」「その真髄は何か」と考えていくことになるのです。私の場合、そんなことを考えているうちに小論文ができてしまいました。Flowers in Contemporary Art という題で、国際いけ花学会の学術誌「いけ花文化研究」第3号に掲載されました。英文論文ですが、邦題は「現代芸術における花:いけ花的見地から」というあたりでしょう。A. Goldsworthy, S. Sze, A. Gallaccio という3名の現代芸術家の花を使った作品を取り上げ、花の扱い方を分析しました。この考察で気づいたことはまたおいおい話すことにしましょう。面白そうだなと思っていただけたら、私のサイトに論文要旨を英文、和文で掲載しますので、ご覧下さい。さらに、学術誌を購入しようかという方も大歓迎。1冊千円(要送料)。コーヒーとケーキを一回我慢すれば買えます。頭のトレーニングになって、国際いけ花学会を支援できて、カロリー減量もできる。いいことだらけです(笑)。
今回は国際交流基金の依頼で制作した作品。前回紹介したのがビクトリア州政府依頼でしたから、数週間の間に政府関連の仕事が続きました。ありがたいことです。スノー・トラベル・エキスポという日本他への冬の観光振興を目指す博覧会でした。そこで日本文化紹介のコーナーに制作。制作したことのあるスタイルなら楽ですが、せっかくの機会です。あえて新しいスタイルに挑戦。制作時間が限られていて、うまくいくか分からない部分が多分にありました。とても勉強になりました。逆境への挑戦だけが成長をもたらす、と実感。