分かり過ぎる!という読書経験が何度かあります。
大抵、数年間考え続けてきた問題に、すっぱりと答えてもらえたような時に
感じたものです。
例えば、学生の頃読んだコリン・ウィルソンの「アウトサイダー」。
「アウトサイダー」が自分が考えてきた問題のキイワードだったのだ!
その言葉を軸に考えればもやもやしたものが一気に整理できる!
なんという名著!
しかし、分かり過ぎると逆に少し不安にもなってきます。
本当に、その理解でいいのだろうか?
そのような形で簡略に整理してしまっていいいのだろうか?
もっと深く考えなくてはいけないのではないか?
最近では中沢新一の「東方的」。
西洋モダニズムの根本にあるものは何だろうかと、考えてきたのですが、よくわからなかったのです。
モダニズム以降、自然の客体視が強くなる、ということは言えそうですが、
その根本には何があるのか?
何がそれをもたらしたのか?
宗教観の変化?
資本主義の拡大?
中沢は4次元への関心だとし、
そこからキュビズムの発生、抽象芸術の発生、さらにデシャンの難解な作品まで説明してしまいます。
その議論は、面白く、私の頭の中で様々な事柄が繋がっていきます。
「専応口伝」解釈にも関連してくる、
村上春樹の異世界にも関係してくる、等々。
これは面白い!名著だ!
しかし、少し気になります。
ここまで簡略に説明してもらっていいいのだろうか?
ここまで分かってしまっていいのだろうか?
確かに学問的な傍証はついていますし、説得力はあります。
しかし、先行研究への言及が少ないように思います。
学問において、斬新で画期的な新説などなかなか生まれるものではないのです。
他にも同じような説があるということだともう少し安心できるのですが。
もう少し考えてみることにします。