華道家 新保逍滄

2018年5月28日

生け花ギャラリー賞について(3)


お知らせ:この度、Ikebana Gallery Awardでは蓑豊先生(兵庫県立美術館館長金沢21世紀美術特任館長、大阪市立美術館名誉館長)に審査員としてご協力いただくことになりました。蓑先生は日本を代表する美術館長として国際的にご活躍中です。「超美術館革命」(角川新書)他著書多数。https://www.artm.pref.hyogo.jp/ 
 先生の芸術に対するご見識の高さを審査結果に反映させていただけることでしょう。
 
 私どもは今後ともより多くの生け花学習者へ、履歴書の受賞歴に記載できる賞を無料で提供したい所存です。日本からの多数の応募をお待ちしています。
生け花ギャラリー賞募集要項日本語版:http://ikebanaaustralia.blogspot.com.au/p/japanese.html

 ご講演、著書を通じ、そのお仕事ぶりに圧倒され、さらに夕食をご一緒させていただき、そのお人柄に心服する者として、蓑先生から私たちのプロジェクトに貴重なお時間をさいていただけることに感激しています。
 なぜこのような小さなプロジェクトに国際的にご活躍の多忙な先生が関わって下さるのだろう?これは多くの方が抱く疑問でしょう。私もよくは分かりません。お願いしても、よくて断られるか、無視されても当然と思っていました。ところが快く引き受けて下さいました。
 推測ですが、このプロジェクトは私たちが営利目的でやっているものではないということ、これから生け花を真剣に学ぼうとする人たちを助けたいという、ただそのために私たちが骨をおっているというところを認めていただけたのではないかと思っています。先生はとても直感の鋭い方です。
 実は、半信半疑のような目を向けられることもあるのです。本人の心のスケール相応に相手が見えるのでしょう。そこそこ(「完全に」と主張すると窮屈になりますので、「そこそこ」で十分)純粋に他人のために動く人間もいるのだと、なかなか信じられない、生け花をやる人は皆自分のため、自分の流派のためにだけ活動するものだと硬く思い込んでいる人もあるようです。もちろん状況の変化に応じて、将来このプロジェクトもボランティアに頼るだけでなく、もっとビジネス化していく必要が生じるかもしれませんが。
 私は生け花ギャラリー賞・選考委員としてボランティアで協力してくれる私の生徒たちには、これは花道史の一つになる活動なんだよ、他の生け花学習者を応援し、励ますことができるんだよ、と鼓舞しています。私たちにとってはとても意味のある活動です。
 この機会に生け花ギャラリー賞について書いてきた文章を以下にまとめておきます。

「応募しようかな」とお考えの方へのメッセージ
http://ikebana-shoso.blogspot.com.au/2017/07/blog-post.html

生け花ギャラリー賞発表のお知らせ
http://ikebana-shoso.blogspot.com.au/2017/08/blog-post_27.html

生け花ギャラリー賞について(1)
http://ikebana-shoso.blogspot.com.au/2017/07/blog-post_20.html

生け花ギャラリー賞について(2)
http://ikebana-shoso.blogspot.com.au/2017/07/blog-post_31.html

生け花ギャラリー賞の目指すもの(「いけ花文化研究」所収)
https://www.academia.edu/36680038/Ikebana_Gallery_Award_no_mezasu_mono_International_Journal_of_Ikebana_Studies_Vol.5_2016_pp.92-95


2018年5月21日

一日一華:新書について


最近1年くらいについてですが、私の読書は多分80%くらいが英文。ほとんど学術関連です。
20%くらいが日本語。その約半分(つまり10%くらい)が小説などの娯楽としての読書、そして、他の半分が日本語での学術書。

日本語の学術書は、私の論文に使えるものが限られているため、結果的に新書が多くなっています。

新書というのは、私にとっては学生時代から特別なものです。
学生時代の友人と読んだ新書の冊数を競争したこともありました。
当時は1日1冊という勢いで読んでいたものです。
講談社現代新書、岩波新書, 中公新書など内容が充実していて、何といっても信頼できます。

平川彰先生から仏教学を学んだことがありますが、大学の講義1年間で学ぶことが先生の1冊の新書(「現代人のための仏教」)に書かれている!と感じたこともあります。それほどの充実ぶり。他にも名著がたくさんありますね。

特に自分の知らない分野、専門でない分野について、その入門的な役割を期待してしまいます。そこから興味深い点はもっと深めていけばいい。
そういう期待は、あまり裏切られたことはなかったのです。
つい最近まで。

今は、日本の新書はどうなってしまったのだろう、と感じています。

現在、私は日本語での読書量がとても少ない上に、日本の本屋を覗くのは数年に1回という有様ですから、見当違いかもしれませんが。

最近は神道に関心があって、先月、日本で関連の新書を数冊購入しました。
驚いたのは、ベスト新書の一冊。

まず、日本語があちこちおかしい。2ページに1箇所くらいの割合で、文法が乱れていて、文章の意味が不明瞭。主語と述語が一致しないため、意味がいくつかに取れてしまいます。話し言葉ではそういうことが起こるかもしれませんが、書き言葉にしたならば、訂正すべきでしょう。これはもちろん著者のせいでしょうけれど、国語力のなさは編集の方がきちんと補うべきです。呆れています。

さらに、論理が飛躍し、ちょっとついていけない。これは学問的に考えるということをしたことがない人の語りです。こんな雑文を新書として出版してはいけないでしょう。

昨今は読み手も気をつけて新書を選ばなければいけない、ということなのでしょうか。タイトルだけでなく、著者略歴、前書き、後書きなどもチェックしないと後悔しそうです。

2018年5月17日

21世紀的いけ花考 第70回(最終回)


江戸後期、明治大正期にそれぞれいけばなブームが起こったという話でした。前者では生花(せいか)という単純化されたいけばなが目玉商品であり、後者では盛花という一層手軽に生け花を活けられる様式が目玉商品でした。

さて、3回目のいけばなブームが起こるのは戦後。そのブームの中心にいたのが草月流創始者、勅使川原蒼風。蒼風は従来の生け花を様々に批判していきますが、特に、模倣という一つの指導方法を否定していきます。初心者は模倣して覚えていくしかないように思えます。しかし、上級になっても模倣ということではいけない。作者の創意が尊重されねばならないということだったのでしょう。

西洋モダニズムの影響を受けて(というかそのいいとこどりをしつつ)自由花が1920年代に提唱され、その動きを引き継ぐように前衛花という目玉商品が注目を集めたのでした。キャッチコピーは、「生け花は芸術だ!」。「注目を集めた」と書いたのは、賞賛ばかりでなく、批判も多かったからです。本当に芸術か?芸術とは何だろう?そうした議論を避けることはできません。しかし、ブームの渦中にあっては、勢いのある議論がまかりとおります。蒼風らの運動には、旧来の生け花にまつわる種々のしがらみなども払拭できるかもしれない、という期待と後押しもあったのではないでしょうか。おそらく歴史的な評価を受けるのはこれからでしょう。

実は、草月流がもっと面白くなるのは、1980年代以降、3代家元の宏からだろうと思いますが、宏の仕事についてはここでは語ることはできません。というのは、発行者様の事情により私の連載は今回限りとなったからです。発行、編集担当の皆様には実に長らくお世話にな りました。読者の評判などまったく意に介せず続けてこられたのは幸運でした。読む人はあまりいないのだろうと思っていましたが、最近、初めて「伝言ネットの記事を読んで、習うことにしました」という生徒さんがやってきました。読んで下さる方もいらっしゃるのですね。ありがとうございました。文章を書くのは、日本語でなら全く苦ではないので続けろと言われればいつまでも続けられます。しかも、10年間、一度も締め切りを破ったことがないように思います。しかし、一区切りつけるのも新しい方向を探るためには必要なことでしょう。伝言ネットスタッフ、読者の皆様、そして私の英文をチェックしてくれた私のパートナー、ジュリーそして義母、パットにあらてめてお礼申し上げます。

21世紀的いけ花考 第69回



 日本史上の生け花ブームは社会・文化現象。その歴史を調べることで、日本社会もよりよく理解できます。より深く研究しようという方が出てきたら嬉しいですね。また、ブームの研究は即ちヒット商品の研究。成功のコツは世間のニーズをつかんで、革新的で魅力ある商品を提供すること、これが教訓でしょうか。

 ここで少々脱線。明治期のブームについて補足します。このブーム以前は個人指導が主でした。月謝は定額ではなかったようです。生徒が自分の経済状況に応じて支払っていたようです。前近代的ですが、私もそうしたいなと思うことがあります。私のクラスは格安で、日本で学ぶよりはるかに安く習得できます。ですからもっと日本人の方にご利用いただきたいものです。私の教え方が合うという方は速習できるでしょう。ただ、最近は格安で教えるのもどうかなと思っています。早く多くの師範を育成したいと格安にしているわけですが、値段に惹かれて教室に来る方は継続できない場合が多く、メリットがないのです。ともかく、明治、大正期のブームでは教室で集団で教えるという形態が定着していきます。 

 また、生け花の教師は主に男性でした。ところが、明治期、女性師範が急増しました。理由が推測できますか?日清、日露戦争です。司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読んでみて下さい。この必読書を戦争礼賛などと批判をする人もありますが、偏向マスコミに洗脳されているのでしょう。その浮薄さは危険です。ちょうど、癌が怖いから、癌について見るのも聞くのも嫌と言っているようなもの。予防にはなりません。それはさておき、すざましい数の日本男子が戦死しています。戦争未亡人にとって生け花師範というのは選択肢の一つだったのでしょう。 

 さらに、剣山について。このブームでの目玉商品は盛花。生け花を簡便にしました。実は、その簡便さの一因は剣山にあります。明治期に創案され、幾つかの変遷がありました。大正期に改良した剣山を使い、池坊から独立したのが安達流。改良剣山一つで大手の一流派が生まれるのです。剣山については追手門学院大学准教授小林善帆先生(国際いけ花学会会長)より一部ご教示いただきました。先生は広辞苑最新版の「いけ花」の項を執筆担当されています。

 さて、今月紹介するのはホーム・パーティーでの迎え花。強引な取り合わせが楽しいでしょう。4月には神戸の交際会議とルーマニアの大学で生け花と環境芸術について講演の予定。桜が楽しみです。

Shoso Shimbo

ページビューの合計

Copyright © Shoso Shimbo | Powered by Blogger

Design by Anders Noren | Blogger Theme by NewBloggerThemes.com