引き続きいけ花と現代芸術についてです。いけ花で現代芸術のように意味の探求が可能か、いけ花に意味を生成するコンテクストがあるのか、その辺が問題の核心。おそらく正解はない問題で、様々な回答があっていいように思います。
コンテクストについて、前回はコミュニケーションを例に説明しました。コンテクストが言葉による意味の伝達を補っているというようなことです。もう一つコンテクストについて重要な点があります。批評です。コンテクストによる意味の生成に欠かせないのが批評。学術論文も含まれます。現代芸術には批評が溢れています。博士論文も毎年膨大な数が生産されています。
それに対し、いけ花はどうか?いけ花に関する学術論文は極めて少ない。博士論文も時折目にする程度。しかも、その内容ときたら呆れるくらいのレベル。批評の量、質とも現代芸術とは比較にならないのです。この批評におけるギャップを認識せずにいけ花と現代芸術を云々しても滑稽なだけ。華道家が現代芸術をやろうというのは、草野球のエースがいきなりプロ野球の選手に挑むようなものかもしれません。また、現代芸術で鍛えられた人がいけ花を見たら「確かにデザインとして美しいが、なんの意味も読み取れない」ということになるのではないでしょうか。つまり、「いけ花で現代芸術のような意味の探求が可能か」という問いに対する私の最短の回答は、否。
しかし、それでもなおいけ花の芸術としての可能性はないのか、現代芸術にはない独特のコンテクストがあるのではないか等とジタバタしているわけです。その関連で、今年3月ローン彫刻ビエナーレに制作した2作品のうちの一つを紹介しましょう。現代彫刻として制作した作品に花を添え、いけ花にしたもの。現代芸術といけ花との関連を考える上で面白い試みだったかなと思います。
現代芸術とは主に想像力に訴えるもの。鑑賞者は想像力を使わないことには作者とコミュニケーションができない。それに対し、いけ花はそうした能動的な努力を求めない。もっと受動的で、直接的に感性に訴えかけるものであるように思います。高度に洗練された生命の姿を求めるというところはあるでしょう。しかし、指導においても技術指導が主になっているならば、芸術というよりデザインに近いものがいけ花の実態かもしれません。
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