
海外で生け花の先生方と接していると、ここは我慢だな、と感じることが時にあります。きっともうすぐ状況は変わってくる、と思ってはいますが。先生方への要望はあります。しかし、非難でも、愚痴でも、嘲弄でもなく、「もう少し勉強なさいませんか」という要望を伝えるのはなかなか難しいものです。例えば、大変親切な生け花の先生がいらっしゃいます。私のためにわざわざ時間を割いて、お話して下さいます。「いいかい、生け花というのはね、云々」「天地人と言って、宇宙を表すものでね・・・」そこで、私が「それは、歴史的には、象徴的表現を説明的表現と勘違いしたもので」と口を挟むや、「そこは大事じゃない」と私を制し、ご自分の御高説を滔々と話し続けられるわけです。失礼ながらこの方はいけばなに関する英文書籍を2、3冊は読んでおられると思います。一般向けのガイドブックのようなものが出ています。しかし、それで生け花の大家のようにお話をなさるには、相手があまり良くない。「これを読んで勉強しなさい」とご自分の書かれた2ページほどの生け花論を手渡して下さいました。もちろん、私は礼儀正しいですから、黙って聞いて、お礼申し上げましたが(それでなくても傲慢な奴と思われかねない)、いろいろ考えていました。・ 早く終わらないかな?(失礼)・ 私の論文、ひとつでいいから読んで欲しいな。まずは、"Ikebana...